自給期待と日本の近未来3 ~否定から実現へのパラダイム転換~
前回記事「不正選挙で大衆はお上を見限った」では、2012~13年の選挙結果によって大衆の意識が大きく転換し、「自給期待」(自分たちで生きる道を考える)が顕在化してきた流れをみてきました。
今回は、現在、大衆の中に生起し始めた自給期待は、人類史上どのような転換をもたらしているのか、かつての運動や意識潮流を振り返りながら見ていきます。
以下、当ブログ 不正選挙で顕在化した「お上を見限って自給期待」とは、否定から実現へのパラダイム転換より引用
一見すると、不正選挙より3・11原発事故の方が社会的影響は大きいはずである。
しかし、3・11では人々の行動は何も変わらなかった。これは、3・11では支配層に対する「おかしい」という不信(否定)に止まっており、その意味では受身の反応で、真に主体的な決断(行動)には至らなかったからである。
お上(現体制)に対する不信も反対を叫ぶことも、その出所は否定意識にすぎない。その否定意識の前提にあるのは体制への依存である。体制依存(お上頼み)を前提にした上で、「お上がしっかりやってくれない」から不信感を生むわけである。
しかし、いくら口で不信や反対を唱えても、肉体が体制依存のままでは行動が何も変わらないのも当然である。
否定意識(と自己正当化)とは近代を貫くパラダイムであり、そのパラダイムの檻に止まる限り、社会が変わらないのは当然の帰結である。実際、近代以降、とりわけ戦後の60年間、数多の反対運動が巻き起こったが社会は何も変わらなかった。
■反対運動では現実は変わらない。
東日本大震災後、原発事故によって放射能が大量に流出した事態を受け、日本各地でいくつもの原発反対運動が起こりました。また、事実を隠蔽し、事実無根の情報で大衆を欺こうとし続ける政治家や学者、マスコミに対する批判もネットを中心に繰り広げられました。
確かに、これらの運動によって、多くの人々が原発の危険性や、特権階級の無能さに気付くことができたという側面はあります。しかし、反原発運動は、特権的地位を持つ政治家、マスコミ、大企業への批判を繰り返しているだけであり、それに代わる具体的な実現可能な方策はどこからも示されていません。また、震災後に原発反対を叫んだ人々も、時が過ぎれば、その多くは豊かで便利な生活を享受し、あるいは、新たな批判のネタ(増税やTPP)を見つけるやそのバッシングに打ち興じ、結局は何も実現していないというのが現実です。
反原発運動に限らず、近代以降、フランス革命やアメリカ独立革命、日本の学生運動など、世界各地で運動が起こっています。近年であれば、環境運動や労働運動などもその範疇でしょう。しかし、どの運動も新たな社会を実現するには至っていません。逆に多くの有為の若者がそれらの運動に巻き込まれ、可能性の芽を摘んできてしまった側面の方が大きいでしょう。
では、これらの運動が新たな社会を実現することができなかったのはなぜでしょうか?
すべての運動に共通する点は、既存の権力や体制への批判と要求しかしていないという点です。権力による支配や私益の独占という状態に異を唱え、その問題の背景を深く追求することなく、表層的な事象のみを捉えて、批判と要求を繰り返してきましたが、それでは何も変わらないのは当然です。さらに言えば、ほとんど何も追求していないということは、根本的には何も実現する意志がないといっても過言ではありません。
つまり、過去の運動はことごとく否定のパラダイムに貫かれているが故に、現実を変えることができなかったのです。
参考
健康づくり運動は終わりのない異常探しで、アリ地獄のようなもの
共認革命6 チンケな運動(要求運動の終焉)
NPOは、正真正銘の体制補完物として形成されてきた。
しかし、不正選挙を契機に登場した「お上を見限った」という意識は、否定や不信とは決定的に位相が異なる。
それは「最早、お上に文句を云っても始まらない」という意識であり、体制依存と否定を止めて自分たちで何とかするしかないというスタンスに立ったことを意味する。
これは否定(と自己正当化)という近代パラダイムを覆して、実現へとパラダイムが転換したことを意味する、画期的な出来事である。あるいはこうも云える。
体制依存の檻から解放されて、視野が360度に広がり、大衆ははじめて自分たちの頭で「どうするか?」を考え始めたのである。
考えてみれば、そもそも人類は、専ら現実に立脚すると同時に、ひたすら現実を対象化して生きてきました。つまり、潜在思念に導かれて現実を直視することによって、新たな可能性を探り当て、新たな意識を形成し続けてきたといえます。そういう意味では、人類が進化の中で培ってきた能力を最大限に発揮できる時代になったと言えるでしょう。
参考
6/27なんでや劇場レポート「日本人はいつ物を考え出すのか?」(5) 本能的な秩序収束⇒課題収束⇒草の根共認⇒ネット収束
では、否定のパラダイムに代わって、どのような新しい動きが生まれているのでしょうか?
これが’12年不正選挙を契機に顕在化した自給期待の潮流であるが、それ以前から先駆けとなる意識潮流は始まっている。健康志向・自然志向・節約志向・農業志向である。
まず、’90年日本バブルの崩壊と同時に、健康志向(まずは自分の身体は自分で守る)という意識が顕在化した。
次いで、’02年世界バブルの崩壊を契機に節約志向が顕在化。同時に農業志向が顕在化した。これは自分たちの食い扶持は自分たちで作るという意識の顕れであり、これも自給志向の先駆けである。
さらに’11年3・11原発事故を契機に、食意識や医者不信が急速に高まっている。これは医者に頼らず、自分で治すor予防という意識の顕れであり、これも自給志向の土台を成す潮流である。
これら健康志向・自然志向・節約志向・農業志向の集約点(合流点)が、’12年不正選挙を契機に顕在化した自給期待であるが、注目すべきは、農業も健康も節約も、どこで切っても「どう(実現)するか?」が問われることである。つまり、これら自給期待の先駆けも、近代の否定パラダイムを覆して実現へと向かう潮流である。
このことも、その集約点として顕在化した自給期待が、否定から実現へのパラダイム転換であるとする、もう一つの論拠である。
■自給期待にどう応え、どう実現していくか。
1970年に豊かさが実現されて以降、過剰刺激に対する本能の拒否反応から、自然志向(ヒッピー、環境運動)、90年健康志向(スポーツジム、サプリメントブーム)、02年節約志向(エコ、もったいない)と、より本源的・根本的なものへ回帰していく潮流が形成されてきました。
例えば、健康についての潮流をみると、過剰な食事で壊した体を薬や手術でムリヤリ治したり、偏った栄養バランスをサプリメントで補うというような流れから、そもそも食べ過ぎないとか日々の食生活に気を配るというように変化してきていますし、中医学や医食同源の考え方なども注目を集めはじめています。
また、エコカーやマイ箸運動など、あたかも環境改善に向けた有効な手段のように聞こえる運動も、一時大きな動きにもなりましたが、今は下火となり、そもそも環境問題の根底にある大量生産大量消費そのものを見直していく流れが生まれています。
そして、健康や環境に限らず、経済や産業、組織、家庭のあり方など、どんな分野でも目先的な方法から脱却し、深く根本を見つめ直す意識が顕在化しています。このような意識の変化こそが「自給期待」なのです。
ですから、この最先端の期待にどう応え、実現していくかが今後最も重要な課題になるでしょう。
自給期待に本当に応えていくには、まずはとことん現実を直視することが必要ですし、さらにはその背後にある人々の意識や社会変化を捉え、その中に実現の筋道を見出していく必要があります。
そのためには、何も実現できない否定のパラダイムを捨て去り、問題構造の解明や可能性の探索、実現するための具体的な方法論の追求に取り組まなければなりません。
そして、その突破口となるのが、自然の摂理や歴史や先人の経験です。私たちはそれらを深く謙虚に学び、先人がこれまで実現してきた構造を掴むことで、パラダイムの転換を促し、自給期待に応えていくことができるのです。
今回は、自給期待の顕在化が、大きなパラダイム転換を意味すること、そしてこれからは自給期待を実現するために深く先人に学ぶことに可能性があることを見てきました。
次回は、実際に自給期待を実現していく次代を担う若者たち、その意識に迫ります。
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