暴走の源流=平安貴族8 地方豪族と癒着する受領たち
今回は地方豪族と癒着し、効率よく(?)富を集積していた貴族たちを紹介します。
画像はコチラからお借りしました。
以下『王朝貴族の悪だくみ―清少納言、危機一髪』より抜粋引用します。
◆地方豪族と癒着する受領たち
但馬(たじま)国の七人の郡司たちが誣告(ぶこく)事件を起こしたことに関連して朝廷から軽く咎められた但馬守藤原実経(たじまのかみふじわらのさねつね)は、その任国の少なくとも一部の豪族たちとは、かなりうまくやっていたのだろう。右の事件において郡司たちの行った誣告を正当な告発として朝廷に上申する役割を担った但馬守実経は、ただたんに郡司たちに騙されて利用されていただけであったにせよ、何らかの利益を得るために郡司たちと共謀していたのであったにせよ、郡司を公職とする在地の有力豪族たちとの間に、ある程度の信頼を築いていたはずなのである。
受領国司が任国の豪族たちと友好的な関係を持つというのは、王朝時代において、必ずしも珍しいことではなかった。確かに、尾張守藤原元命(おわりのもりふじわらのもとなが)の場合など、その任国の豪族たちとの関係は、それ以上にはこじれようのないほどに険悪なものであったろう。元命が豪族たちから毛嫌いされる悪徳受領であったことは、すでに述べた通りである。しかし、王朝時代の現実を広く見渡すならば、悪徳受領と見なされるような受領たちでさえ、その全てがつねに任国の豪族の全てを敵に回していたというわけではない。
いや、悪徳受領たちの場合、むしろ、悪徳受領であるがゆえに、国府の業務に携わる一部の豪族たち-国司や書生や郡司を公職とする面々-と誼(よしみ)を通じておいた方が、かえって都合がよかった。簡単に言ってしまえば、力任せに任国の全ての豪族たちから財を巻き上げるという乱暴なことをするよりも、一部の有力豪族たちを抱きこんだうえで残りの豪族たちから苛酷に搾取した方が、はるかに効率的に富を集積することができたのである。
そうした事情からすれば、自国を治める受領国司の善政を顕彰する地方豪族たちというのはかなり胡散臭い。
はるばると地方諸国から上京した豪族たちが大内裏の門前で自国の受領の治績を喧伝するというのは、王朝時代において珍しいことではなかったが、そのようなふるまいを見せた豪族たちは、悪徳受領と癒着することを選び、郷土の他の豪族たちを裏切っていたのかもしれない。
長元(ちょうげん)元年(一〇二八)の八月二十三日、大内裏の門前にて備前守某(びぜんのかみなにがし)を顕彰する「備前国の百姓」たちの姿が観察されたが、その翌月の七日の『小右記』によれば、備前守の善政を喧伝するために上京した備前国の豪族たちの一人は、明らかに、地方在住の善良な農業経営者などではなかった。彼の父親は、朝廷から「海賊の首(おびと)」あるいは「海賊の長者(ちょうじゃ)」と見なされていた人物だったのである。
もしかすると、遠資が不正に得る汚い利益のおこぼれにあずかり続けようとする売郷奴たちかもしれない。
このように、悪徳受領たちは、力任せにすべての豪族から巻き上げるのではなく、地方の有力豪族と結託し、残りの豪族たちから搾取するというやりかたをとっていたようです。
なかには、「海賊」と呼ばれるならず者まで抱きこみ、搾取のためにつかっていたという話も、、、
チームを組み、役割を分担しながら効率よくを搾取を繰り返していたのでしょう。
村落を統合する役割である受領がこのような状態とは、、、ひどい話です。
次回は善政であったことを捏造して己の富を蓄積した事例を紹介します。
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