2010年01月14日
検察vs権力者
今、新聞紙上で「検察vs小沢民主党幹事長」の戦いがクローズupされている。結論は、
【杉並からの情報発信です】さんの記事にある様に
「ここに来て東京地検特捜部の全面敗北は決定的です」の可能性が高いと思いますね。
しかし普通人の感覚からいえば、「巨悪は眠らさない」と言う検察は、「大衆の味方で緻密な正義の行使者」と思っていましたが、最近のネット情報を読むと、検察は、大衆の味方でもなく、ズサンでプチ権力者そのものです。これには、非常に危機意識を覚えます。
時の権力者?検事総長樋渡利秋氏と“赤レンガ派”エリート~佐久間達哉東京地検特捜部長
「検察とは時の権力者にとって・・・・・」の検察の本質を突いたリンクがありました。
学者・官僚・マスコミは、かくして骨の髄まで金貸しの手先に成り果てた2 ~法律家こそ現代の神官・「権利」は自己正当化のために捏造された架空観念~
シリーズ第二弾として、私達を守る為にある法律。その世界=法曹界に踏み込んで行きたいと思います
(写真はコチラからお借りしました)
法律家こそ現代の神官
現代の法曹界は、その起源を中世のヨーロッパに遡ります。
国王と教皇の権力闘争の中から、それぞれが理論武装の必要に迫られ、専門家を養成し始めました。大学の起源がボローニャの法律学校と神学のパリ大学、及び医学のサレルノ大学です。現在でも欧米では法学・神学・医学の専門家のみを三大プロフェッションと呼ぶほどの特権意識があるようです。
当初は国王や封建領主の立法権(権力の正当化)を専任してたのですが、法律家も聖職者も常に国王や教皇等のどちらか一方についているわけでもなく、利害関係によって立場を変えながら、自らの身分化、権力化を強めていったようです。大学が帝王権、教権と並ぶ中世の三大勢力となり、やがて教皇の力が落ちはじると、国王の主権を民衆との契約関係と捉え王権神授説を否定する法律家(F・オトマン)が登場し、後のホッブズ等による社会契約説の基盤を築きました。
神学者たちとの観念闘争に打ち勝ち、さらに富裕化した商工者たちの力を背景に国王及び国家に対しても私権要求を続けた哲学者や法律家こそ
>観念を武器に、私権秩序の根幹にある身分序列の闘いで勝ち進んできた階級であり、彼らの並外れた職能意識自体が、私権共認に基く階級意識そのもの(「プロフェッションたちの職能意識の正体」土山氏)
だと言えます。
元来、私権闘争の仲裁者として登場し、従って私権を否定することなど一度もなく、今や世界人権宣言に至るまでに架空観念(実態は私権の正当化)を絶対化させた法律家たちは、現代の神官(参考968)にまで登り詰めたと言えるでしょう
弁護士・裁判官・検察などの法律家は、こうして今の特権階級たる確固たる地位を築き上げていたんですね
では、この法曹界を支えているものとは何なのでしょうか
続きへ行く前に 応援クリック お願いします
思考パラダイムの逆転 まとめ2
今回は「構造認識の現況」「思考次元」「観念パラダイム」のシリーズ全体のまとめ2として、各時代の認識パラダイムの成立構造を図解化してみた。
「思想史年表」
いつも応援ありがとうございます。
社会可能性の直感・・・我々は認識を武器として生きてゆけるか!シリーズ-6~新パラダイムの点検4 物を考えない状態と物を識った状態(思考の源泉)
こちらから拝借しました。
前回、社会可能性の直感・・・我々は認識を武器として生きてゆけるか!シリーズ-5~新パラダイムの点検3 可能性or不全の源を対象化し続ける源泉では、可能性や不全の源を対象化し続ける源泉は、実は同じで、共認機能や観念機能が持つ充足機能にあり、人々は開かれた可能性や立ち塞がる不全を潜在思念の直感によって捉え、それらを実現or突破していくという必然構造を明らかにしてきました。
今回は、点検シリーズの最後:『新パラダイムの点検4 物を考えない状態と物を識った状態(思考の源泉)』 を紹介し、まだ残る課題に対する答えを検証していきたいと思います。
いつもありがとうございます 応援 よろしくお願いします
法制度をどう改造するか?~暴走する検察:国策捜査を助長する刑事司法の実態とメディア~
国策捜査 著:青木理
国策捜査と思われる検察の捜査により、餌食にされた人たちへのインタビューを通じて、実際の捜査がどのように行われていたかを実証している著書「国策捜査」(青木理)に、検察の特徴が端的に表されているのでそれを元に考えてみたい。
この著書は、司法の問題性に注目した「日本の司法を考える会(亀井静香氏等々)」を中心に、現状の刑事司法の問題点を再考しようという試みの中で、国策捜査の標的にされた人たちのインタビューを中心にまとめられている。したがって、餌食にされた側からの視点が中心であり、検察側の分析もあるものの、内部事情に迫るものとはなっていないが、国策捜査の状況を把握するには十分な著書である。
西欧発近代市場と江戸時代・日本の市場の違い
十字軍遠征以降、西欧で急拡大した「市場」と、江戸時代に日本で急拡大した「市場」。文化文芸の発展、消費階級の拡大など共通点は多いものの、根本的に違うもののようにも思えます。
欧州市場の拡大(≒商人階級の拡大)は、十字軍遠征と共に始まりました。
■欧州発近代市場の登場と拡大
キリスト教の広がり、権力化
↓
十字軍遠征(200年にわたる持続的な市場拡大)
↓
商人権力の拡大 ・・・→<ルネサンス>
| | |
| | ・・・・<大航海> |
| ↓ | |
| 免罪符の発行 | |
| ↓ | |
| 宗教改革 | |
| ↓ | |
| 教会権威の失墜 | |
↓ ↓ ↓ ↓
【 市場拡大というパラダイムが絶対化 】
↓
近代思想の登場(ex.デカルト)
↓
イギリス中央銀行 ・・・→大英帝国の確立
(イングランド銀行) |
↓ ↓
近代民主主義国家の誕生 --→帝国主義
(ex.フランス革命、アメリカ独立革命)
十字軍遠征~大航海時代~帝国主義時代を通じて西欧市場の拡大に寄与したのは、『戦争による略奪』でした。略奪対象がイスラム→アメリカ→アジアと拡大し、略奪だけでも約700年にわたる持続的な市場拡大が実現しました。
学者・官僚・マスコミは、かくして骨の髄まで金貸しの手先に成り果てた1~日本人への提言~
新しいシリーズを始めます。
いかに金貸しが日本の特権階級(学者・官僚・マスコミ)を支配してきたか?です。
09年は特権階級の暴走が決定的になった年でした。
るいネット ’09年末なんでや劇場ノート1~偽ニッチの罠に嵌った特権階級
小沢・鳩山といった「政治主導」を掲げる政治家たちへの執拗な「司法権力(検察)の脅し」そして「共認権力(マスコミ)の中傷」。小沢に食ってかかった宮内庁官僚の発言。普天間における国益を無視し防衛利権に固執し続けるマスコミの売国的報道。菅谷さん事件のような権力犯罪。・・・・「国民のため」という大前提を喪失し、自分に都合のよい正当化観念を掲げて、己の利権拡大に固執するばかりの「特権階級」の暴走はあまりにも目に余る。なんといっても検察もマスコミも権力の一角を担う以上、絶対不可欠な「公正・中立に対する配慮」を投げ捨てて、偏向し、裁量権を拡大利用するその姿はまさに「暴走」というしかない。
写真はリンクさんからお借りしました
よろしければ励みになるのでクリック↓お願いします
失われた40年~その全面的総括
’90年代のバブル崩壊以降の日本経済の低迷は「失われた10年」と呼ばれてきたが、2010年代に入り、ついに「失われた20年」と呼ばれるようになった。
いつも応援ありがとうございます!
12/29 なんでや劇場レポート②~近代市場は近世欧州社会の特殊事情の中から生まれた~
画像はコチラからお借りしました。
レポート第2弾です。
レポート第1弾では、近代市場が拡大し市場権力(金貸し)が国家権力を上回ったことによって、それまでの古代市場では無かった特権階級の暴走が起こリ得る構造が明らかになりました。
今回は、その近代市場の拡大の原動力となった『欧州社会の特殊性』について追求され、どのようにして市場の力が国家の力を超えていったのかが議論されました。
いつも応援ありがとうございます!
12/29 なんでや劇場レポート①~学者・官僚・マスコミは骨の髄まで金貸しの手先である~
昨年最後の第110回「なんでや劇場」のテーマは、
『学者・官僚・マスコミは骨の髄まで金貸しの手先である』
でした。
これまでの「なんでや劇場」でも、「特権階級の無能化と暴走」や「意識潮流としての秩序収束」の問題
を扱ってきました。今回は、これらの意識潮流が歴史的に何を意味するのか?
さらに掘り下げた議論が展開されました。
レポートは、2回に亘って報告します。
【P.S.】冒頭の絵は、トマス・ホッブスの『リヴァイアサン』の挿絵です。リヴァイアサンというのは旧約聖書に出てくる海の怪獣のことです。山の上から出現している巨大な人体は、よく見ると無数の人間たちの集合体になっています。これはネーション・ステート(国民国家)の先駆モデルとされています。このような西洋人の思想は、どうも日本人には馴染みにくいと思うのは私だけでしょうか。当時の人々の意識に同化してみる必要がありますね。
では、本年も応援よろしくお願いします
ありがとうございました 😀