本気度が問われる時代。今何を成すべきか2-2~世阿弥に学ぶ本気度:人類の本源性を想起させる芸能=能楽の形成過程~
厳しさを増す経済情勢、年々早まる社会的な意識潮流の変化。今、この状況をどう捉え、どう突破方針を出していくかという「本気度」が試される時代に入りました。
「もっとよくしたい」という想いは高まっていても、どこかで躊躇していたり、できない言い訳を考えたり、他人任せにしたりと、その想いが現実場面でなかなか結実していかないのも、一方の事実でしょう。
年々高まる「もっとよくしたい」という想いを結実させるためにも、まずは現実の外圧(壁)に向かっていく本気度を、先人達に学んでいこうというのがこのシリーズの趣旨です。
前回に引き続き第2弾“世阿弥に学ぶ本気度”をお送りします。
前回の投稿では世阿弥が生きた室町時代がどのような時代であったかに焦点を当てました。大衆の縄文体質が再起した室町時代、現代に通づる日本文化の原型が多く生まれた時代でした。その中でも能は世界で一番古い舞台芸術として、観阿弥、世阿弥によって確立されました。日本人の心(=縄文精神)を色濃く映し出す仮面劇がどのように形成されていったか、今回はその点を深く掘り下げてみようと思います。
芸能(歌や踊り)の起源は、人類が洞窟で生活をしていた約500万年前の“踊り”にまで遡ります。
極限状態に置かれた人類にとって、不全感を解消するための解脱様式であり、また直立歩行訓練としての“踊り”への収束がまず始まりであり、それが「万物の背後に精霊を見る」=観念機能の獲得に至るまで相当期間続いたのではないかということです。
> 観念原回路獲得のシナリオ
踊りは強大な生存圧力にさらされた我々の祖先が生き残る為、その突破口として生まれたものでした。そして踊りによる仲間との共認充足の蓄積が精霊信仰を生み出したのです。
そして踊りは各々の民族や文化のもとで様々な形(芸能)へと進化していきました。
◆日本古来の芸能
古来より豊かな自然に恵まれ、大陸側の激しい略奪闘争に巻き込まれなかった日本(縄文)は、自然への感謝、畏怖、畏敬の念を表現する方向で芸能を発展させました。
・田楽…豊作を祈る舞=神(自然)への祈り
・神楽…奉納する舞 =神(自然)への感謝
→共通するのは自然を対象にしたもの(見せるために出来たものではない)
◆大陸から伝わった芸能
対して大陸から伝わった芸能は、見せ物としての意味合いが強い。
これは力の無い者が生き残りをかけて、権力者に取り入るためにより奇抜で突飛である必要があったからです。そのため離れ業を追求する色彩が強く、現在の中国雑技団からも分かるように文字通り命がけの芸となっていきます。
・伎楽…パレード、滑稽味を帯びた無言劇
・散楽…曲芸や軽業、物まね、呪術、奇術
◆和魂洋才
自然を対象にした踊りが起源の日本芸能。時代と共に大陸から渡ってきた芸能の技術的な箇所を取り入れ、日本的なものに置き換え発展させていきました。
・猿楽…如何に役柄に似せるかという点が評価軸。⇒とことん同化する志向が最大の特徴。
大衆へと広まり、古来の芸能と結びつき発展していく。→大和猿楽
そして一連の流れを経て、縄文気質が再起した室町時代に猿楽と田楽とが融合する形で能楽が確立されたのです。
人類の本源性を想起させる(自然や先人に想いを馳せる)芸能として能は、今日まで600年もの間そのままの形で継承されてきたのです。
次回は、この能楽を確立した世阿弥の「本気度」について学びを深めていきます。
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