米国の圧力と戦後日本史(総集編2) 日本の市場化・民主主義化を進め、より磐石な支配体制を敷いたアメリカ
前回の記事では、終戦後わずか3年でアメリカによるマスコミ支配・政治支配の構造の根本が確立されたということが明らかになった。今回は日本がアメリカと「サンフランシスコ平和条約」・「日米安保条約」を締結し、独立するに至った後の記事を振り返る。
6サンフランシスコ講和条約と日米安保条約。戦後民主主義体制とは何だったのか
1951年日本は「サンフランシスコ講和条約」・「日米安保条約」を締結し、形の上では独立国家となった。
この後も米国(金融勢力)は市場拡大を求め、民主主義国家を広げていこうとした。民主主義体制を維持するためには世界の秩序化を図る必要があり、これを実現するための軍事力の増強も必要になる。つまり、米国が市場拡大を優先すればするほど、財政赤字が拡大していく構造にはまっており、現代においてもこの構造を突破できずにいる。
在日米軍の存在は、アメリカによる日本支配の象徴であり、これが「日本の真の独立」を妨げていると盛んに言われてきた。ここから、日本独自の国防軍の必要が、保守派を中心に訴えられてきた。
しかし、戦後史を前回の記事のように振り返ってみれば、アメリカの日本支配における力の源泉は『検察・マスコミ支配』である。つまり「アメリカ支配問題」において在日米軍の存在は枝葉の問題であり、問題の本質(幹)からズレている。保守派による「国防軍必要論」は問題の本質から目を背けさせる巧妙な騙しと言えるだろう。
(サンフランシスコ平和条約の締結)
7戦争終結後のアメリカの対日戦略。米国によるエリート支配は何故続いているのか アメリカは1945年より財閥解体をすすめ、続く1946年に「経済同友会」を作らせ、親米的な考えをもつ経済人の支援を行った。戦前の財界人の力を弱めて、親米の経営者に経済団体を作らせ、財界全体を親米化させていったのである。
更に、資金力の無い日本の学者を留学支援することにより、学者をアメリカの豊かな経済力に依存させることに成功した。親米エリートを再生産していくシステムをアメリカは戦後早期から完成させていたのである。
アメリカは以前から検察・マスコミを支配しており、日本の政治家を操ることには一定成功していた。これを足がかりにして、日本の民主化・市場化を早期に実現するために、日本の財界、学会の直接支配に乗り出してきたのである。
(財閥解体による銀行名の変更)
8対米自主派の登場と日本の米露戦略。日本の外交の枠組みが構築された
占領期よりマッカーサーに追従していた吉田茂は、アメリカの外圧変化(共産圏との勢力闘争の必要性)→戦略変化(日本の再軍備推進)を読み取れず、退陣に追い込まれることになった。
一方で、再軍備推進派に担ぎ上げられた鳩山一郎は安保条約の改定要求とソ連との国交の回復を進めた。鳩山政権はソ連との国交回復を実現するが、その際北方領土を返還しないよう、アメリカから圧力を受けていた。北方領土と同様に尖閣諸島や竹島など、日本はアジア各国との間に解決困難な領土問題を多数抱えている。そして、この領土問題が米軍=アメリカ必要論を現代に至るまで日本国内に喚起し続けてきた。つまり、極東地域の領土問題は日中日韓の問題ではなく、対米問題であって、アメリカ支配からの脱却なしに領土問題の解決は無い。
(鳩山一郎)
9アメリカが決して表に出てこない原発推進の構造
第二次世界大戦直後の1949年にソビエト連邦が原爆実験に成功し、アメリカの単独核覇権時代が崩れた。これを受けてアイゼンハワー大統領は1953年に「原子力の平和利用」を宣言する。ここからアメリカは原子力政策を大きく転換し、原子力「利用」の主導権を握るため、原子力の技術を積極的に広めていくことになる。この際、重要な部分は隠しながら技術を拡げていった結果、輸入国はアメリカ無しでは成立しないエネルギーに依存することになった。
アメリカが日本にも原子力発電を推進させようと動いていた矢先の1954年、「第五福竜丸事件」が起こる。日本国内では原子力反発運動が活発化したが、政治とマスコミ(中曽根と正力)の力で反発する国民を原発推進へと誘導していった。この時、マスコミに登場し、原発安全神話を作り上げていったのが、エリート学者である。学者はこの時既に、アメリカ発の方針を追認し、お墨付きを与えるだけの存在に成り下がっていたのである。
(第五福竜丸事件を報じる新聞)
10脱米・自主独立にまっすぐ挑み続けた石橋湛山
1956年に鳩山首相の後を引き継いだのが、対米自主派の代表格である石橋湛山だった。
しかし、石橋は首相当選からまもなく、急性の肺炎に冒されたと発表され、2ヶ月の療養を余儀なくされたため退陣している。この退陣劇のきっかけとなったのが、4人の医師団による発表であるが、この医師団4人のうち2名は名前も分かっていない。つまり、CIAのスパイの可能性が高い。CIAのスパイ網が政界・マスコミ・財界・学会と広く張り巡らされており、いつ何時でも、首相を退陣に追い込むことができるのである。
(石橋湛山)
☆日本は「サンフランシスコ平和条約」「日米安保条約」によって形式上は独立国家となった。しかし、アメリカによって『検察・マスコミ』を既に押えられていたことで、対米自主路線をとる政治家は少なくなっていた。その上更に、財界の親米化とエリート学者の支配が進み、アメリカにとって都合の良い日本の市場化と民主主義化がより促進された。
☆1945年から1950年の5年間で検察・マスコミの掌握に成功し、その後1950年からの5年がかりで、財界と学会の支配を進めた結果、「55年体制」というアメリカによる日本支配のための磐石な政治体制が出来上がった。
☆アメリカは戦後直後から、日本を支配するための支配構造の構築を進めてきた。
その核を担っているのが、検察・マスコミ・学者の支配である。アメリカはこれらの組織がアメリカの思う通りに機能するための内圧を形成する必要があり、そのための外圧(領土問題)を作り出したのである。
支配を進めるための組織を、支配する国の内部に作り出し、これを維持するための内圧=外圧を作り出すという手法は支配の普遍的な構造ではないだろうか。
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