2013年02月19日

米国の圧力と戦後日本史18~豊かさの実現が引き起こしたパラダイム転換。アメリカの戦略転換と翻弄される日本~

1970年代、角栄以降、三木、福田、大平、鈴木善幸と、日本の総理大臣は目まぐるしく変わり、さらにそれに伴って対米姿勢も従米と脱米の間で揺れ動き続けている。この動きと連動しているのが、二転三転するアメリカの世界戦略である。
 
1970年代にアメリカを取り巻く世界情勢は急速に変化し、アメリカの世界戦略も転換を余儀なくされていった。
 
すなわち、それまでの「東西冷戦」という【イデオロギー対立】を利用した戦争や市場拡大・金儲けが影を潜め、【局地的・限定的な対立】の中から戦争を引き起こし、利権を搾取する路線が主流となる。
 
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例えば、戦後から1960年代までの戦争は、朝鮮戦争やベトナム戦争など米ソ冷戦構造が前提となる戦争であった。
しかし、1980年代以降の戦争は、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、イラク戦争などに見られるように”石油利権”という明確な(目先的・現実的な)目的を持った戦争へと変化している。
 
つまり、世界各国の対立構造も、それに伴う戦争も、より目先的なものへと変化していることになる。
この背景には、1970年代の「貧困の消滅」=「豊かさの実現」がもたらした、パラダイム転換がある。
 
 

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■「貧困の消滅」が私権を衰弱させ、市場が縮小過程に入る。
1970年代と言えば、世界の先進国が貧困の圧力を克服し、ほぼ豊かさを実現した時期である。
それまで(1970年まで)は、人類はほぼ一貫して飢餓の圧力にさらされて生きてきた。そこでは、社会は飢餓の圧力を下敷きにした私権(財や地位などの私有権益)を確保しなければ生きてゆけないという、否も応もない私権の強制圧力で埋め尽くされ、誰もが私権の獲得という目標に収束する。この私権圧力に対応する私権追求の活力は、この時代を貫く最大の活力源であり、市場の拡大もこの私権追求を動力源としてきた。
 
しかし、豊かさが実現されると、事態は一変する。飢餓の恐れが無くなると、人々はもはや私権を獲得するために身を粉にしてまで働こうとはしなくなる。それに伴って、物的需要も衰弱し、市場も縮小してゆかざるを得ない。
 
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これは、市場拡大を権力の源泉としてきたアメリカ、さらにはその背後にいる国際金融資本家にとっては、権力の基盤・支配力の基盤を急速に失っていくことを意味している。東西冷戦のような大きな対立構造を作り出す余裕など最早彼らにはなく、ひたすら目先的な(現実的な)私権に収束せざるをえなくなっていった。
 
また、誰もが私権には収束し切れなくなった結果、国民的な私権拡大の手段と考えられてきた「戦争」にも大きなブレーキが掛かることになる。
さらにまた、私権獲得を正当化し、支えてきた観念群(”資本主義””共産主義”などのイデオロギーetc.)も急速に輝きを失い、統合軸足りえなくなっていく。
 
 
■私権原理から共認原理への転換
 
豊かさが実現され、私権圧力が衰弱した以上、その強制圧力によって抑圧されてきた人類本来の活力源が再生されてゆくのは、当然の理(ことわり)である。
事実、’70年以後、貧困の消滅に伴って私権追求はもはや第一の活力源ではなくなり、代わって、周りの期待に応えることによって得られる充足(安心や喜び)、すなわち共認充足こそが最大の活力源となっている。
 
 ※共認とは、共に認め合うこと。共認機能はサル・人類に固有の機能で、相手の期待に応えることによって充足を得ることができ、サル・人類の最大の活力源となっている。
 
つまり、「私権原理から共認原理へ」と、社会は最も深い地平で転換していたのである。実際、1970年を境に、それまで第一権力として君臨していた政治家に代わって、マスコミが第一権力となった。今や、マスコミに逆らえる政治家は存在せず、逆に、マスコミにさえ露出しておれば、人気政治家になれる時代となった。
 
この結果、私権拡大を正当化する観念も衰退し、国民的な収束先足りえなくなった「戦争」という手段は、国民の共認圧力に晒され、急速に縮小せざるをえなくなっていく。さらにまた、アメリカでさえ世界的な共認圧力に晒されるようになり、世界世論が許さなければ戦争できなくなっていく。
しかし、アメリカにとって、「戦争」とは市場拡大の切り札であり、かつ国家としても戦争という手段を手放すことはできない(人工国家であるが故の宿命としての「戦争」)。そこで、アメリカ・マスコミによって捏造された理由と共に、目先的な利権を見込める戦争が、アメリカ発で引き起こされていくことになる。
 
 
■ドルの不換紙幣化によって、ドルへの信認が力の基盤となる
 
「私権原理から共認原理へ」というパラダイム転換に加えて、1971年のニクソン・ショックによる「ドルの不換紙幣化」がアメリカの世界戦略を大きく転換させた。
 
ニクソン・ショックの直前にあたる1960年代、アメリカは貿易黒字が急速に縮小し、財政赤字に苦しめられていた。当時、兌換紙幣だったドルにとって、アメリカ経済の恒常的な赤字とは、金Goldの国外流出を意味しており、放っておけば経済におけるアメリカ一極支配を崩壊させることになる。そこで打った手が、金ドル兌換停止、いわゆるニクソン・ショックであった。
 
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このとき、世界各国の中で唯一外国為替市場を開放し続け、ドルショックの緩衝材の役割を果たしたのが、日本であった。
もし、日本がニクソン・ショックに伴う各国の損失を一手に引き受ける決断を引き受けなければ、「ドルの不換紙幣化」は実現されなかったであろう。
米国の圧力と戦後日本史15 ~ニクソンショックの緩衝材となることで実現した沖縄返還~
 
また、「ドルの不換紙幣化」とは、アメリカ(と、その背後の国際金融資本家)の力の基盤が、「米ソ対立」から「ドルへの信認」へと変化することを意味する。アメリカと国際金融資本家にとって、利権や支配力の基盤は「世界中の人間がドルを信認している」ということそのものであり、その維持こそが至上命題となっていく。
 
そのためには、世界各国がドルを求める状況を作り出す必要があり、それが「石油を買うにはドルが必要」という状況であった。つまり、アメリカと国際金融資本家にとって、中東の石油利権を押さえ、ドルと石油を繋いでおくことは、死活問題であった。こうして、中東を中心に、石油利権を巡る戦争がアメリカ発で引き起こされていくことになる。
 
 
■アメリカの世界戦略の転換に伴って、日本に押し付けられる役割も変わる
 
ここまで見たきたように、
・私権原理から共認原理への転換
・ドルの不換紙幣化

という2つのパラダイム転換によって、アメリカは世界戦略の変更を余儀なくされ、それと同時に日本に押し付ける役割も変化し続けた。1970年代とは、これらの変化と転換が重なった時代であったと言える。
 
この時、「日本に役割を押し付ける」とは、日本に『力』をアメリカの為に使わせるということを意味している。
アメリカにとっての状況変化と呼応するように、日本に使わせる力が「武力」「資金力」「共認力」と段階を追って増えていっている。
 
 
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このように、アメリカは日本に「アメリカのために『力』を行使すること」を求め、好きなように動かしてきた。
しかし、この構造を逆から見ると、「アメリカは日本がいなければ、支配構造を維持できない」ということを示しており、『アメリカ支配逆転の実現基盤は日本にある』とも言える。
 
実際、日本が真っ先にアメリカを支持したからこそ、湾岸戦争、イラク戦争は可能だったのであって、日本が「No」とさえ言えば、世界世論がアメリカを封鎖することになっただろう。
そのためにも、アメリカ発の「ダマし」を冷徹に見抜くことが求められている。事実追求の基盤が日本に広がるかどうかが、アメリカ支配を逆転させ、金貸し(国際金融資本)を逆転させていくカギを握っているのだ。
 

List    投稿者 sugaiku | 2013-02-19 | Posted in 未分類 | No Comments » 

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