2013年03月13日
天皇制国家の源流(葛城ネットワーク)のまとめ6 縄文体質を残す東の古墳人
先の投稿「日本に脱出してきた徐福が作ったネットワークが大和朝廷」に日本を支配した勢力は2派あり、西の古墳人と東の古墳人であることを示しました。
●弥生人+韓人=西の古墳人、縄文人+高句麗人=東の古墳人
5世紀始め頃から、朝鮮半島情勢北部の高句麗が強大化していく。高句麗広開土王が百済・伽耶に攻め込み、攻め込まれた韓人(主に百済人)が、押し出されるように日本にやってくる。さらに、その後の金官加羅滅亡(532年)、任那滅亡(562年)の際にも伽耶人が日本に逃げ込んでくる。
これら韓人(百済人/伽耶人)と弥生人・縄文人との混血を(西の)古墳人と呼ぶ。
一方、高句麗は南進した勢いでもって日本にやってくる。高句麗は、百済や大和政権を挟み撃ちにするように東日本に勢力を築く目的で派兵。この410~480年頃の広開土王・長寿王の朝鮮半島征服時代に日本に渡って来た高句麗人と縄文人の混血を東の古墳人と呼ぶ。
東西の古墳の分布は、この東西2大古墳人の勢力分布を明瞭に示している(下図)。
前回までは、日本に脱出してきた徐福→葛城ネットワークが伽耶・百済勢力を招きいれたのが大和朝廷であることをまとめていきました。
彼らは支配して行く過程で民の生活より自分達の私権(地位・身分)を優先し、縄文体質を失っていきます。それに対して、縄文体質を残存させたのが東の古墳人(縄文人と高句麗人の混血)です。彼らが統合者となった、鎌倉~江戸時代は民の生活を考えた非常に縄文人らしい政治をします。しかし、彼らは蝦夷として正史上は抹殺されてきました。
今回は「東の古墳人」にスポットを当てます。


