人々の意識⇔国家(制度)⑥ ~東洋人の心の底に残る本源集団性・本源共認性~
人々の意識⇔国家(制度)シリーズ第六弾です。
前回の記事
人々の意識⇔国家(制度)(5) ~ 私権文明を問い直す(東洋と西洋) ~
では、人類最初の掠奪闘争=戦争を背景とした西洋人の意識構造の形成過程を扱いました。
今回は、略奪闘争を背景とした東洋人の意識構造の形成過程を扱っていきます。
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実現論第二部:私権時代「ロ.私権文明を問い直す(東洋と西洋)」より
それに対して、モンゴル高原は見渡す限りの大草原であって、そこには同じ遊牧部族しかいない。加えて、イラン高原ほど乾燥が激しくない。従って、ここでは掠奪闘争というより覇権闘争の色彩が強く、皆殺しも発生したが、それより支配・服属という形が主流になる。従って、勝者はもちろん服属した氏族も、氏族集団としての本源性を強く残すことになる。
東洋人は、概ねこの遊牧→掠奪の北方モンゴロイドが、採集→農耕の南方モンゴロイドを征服した混血であり、従って東洋人は小氏族(大家族)の本源性を色濃く残しており、西洋人ほど自我を肥大させていない。
この様な意識構造の違いは、夫々の思想の違いに典型的に現れている。同じ二六〇〇年前頃に、西洋ではユダヤ教(→その後キリスト教)、東洋では儒教が登場するが、西洋の観念信仰が自我に基づく極めて独善性・排他性の強い唯一絶対神を非現実世界に構築したのに対して、東洋の儒教は残された本源規範に基づく仁・義・信など、現実世界を導く関係規範に収束した。
本源集団・本源共認を破壊して自我に収束した西洋人は、非現実の世界に失われた本源価値を(架空観念として)再構築するしかなく、かつそれが自我に基づくものであるが故に独善的・排他的な絶対観念(ex. 唯一絶対神)への思い込み信仰となるしかなかったのに対して、本源的集団と本源的共認が残存している東洋人の方は、本源規範を私権秩序と整合させることによって現実世界を律しようとした訳である。
本源集団を破壊した私権文明が滅亡の危機を迎えた今日、東洋人の心の底に残る本源集団性・本源共認性は、人類再生の基盤を成すものとして極めて重要になる。中でも、島国ゆえに一七〇〇年前まで掠奪闘争に巻き込まれることなく原始文明を発展させてきた日本人の心の底に残る本源的な共認体質は、極めて貴重である。
もし、人類に絶滅を免れ得る資質が残されているとしたら、それは東洋人、とりわけ日本人の心の底に残された、類い稀なる縄文人的精神基盤なのではないだろうか。
前回の記事も合わせて、略奪闘争を背景とした西洋人と東洋人の意識構造の成立過程をまとめてみました。
また、日本人の持つ本源性(可能性)については、るいネットでもいろいろと追究が進んでいます。
★日本人の可能性 共同性の差がもたらす東洋・西洋の観念体系の違い
★【年末年始特集】シリーズダイジェスト『縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?』
次の記事では、統一国家成立前夜の私有権力(男)と性権力(女)の発生とそのせめぎあいを扱っていきます。
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