2013年06月21日

本気度が問われる時代。今何を成すべきか1~「極限時代」自然外圧に五感が反応⇒成員の誰もが「畏敬・感謝の念」で外圧と向き合っていた

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厳しさを増す経済情勢、年々早まる社会的な意識潮流の変化。今、この状況をどう捉え、どう突破方針を出していくかという「本気度」が試される時代に入りました。
「もっとよくしたい」という想いは高まっていても、どこかで躊躇していたり、できない言い訳を考えたり、他人任せにしたりと、その想いが現実場面でなかなか結実していかないのも、一方の事実でしょう。
  
年々高まる「もっとよくしたい」という想いを結実させるためにも、まずは現実の外圧(壁)に向かっていく本気度を、先人達に学んでいこうというのがこのシリーズの趣旨です。
 
 
第一弾は、人類史の起点となる極限時代における、先人達の本気度を学んでいきたいと思います。
  
 

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ここで言う極限時代とは、生活圏が樹上→陸上へと転換した500万年前から約1.5万年前までの時期を指します。
 

●実現論 ヘ.人類:極限時代の観念機能 より
 
足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちと同様、足で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った結果、想像を絶する様な過酷な自然圧力・外敵圧力に直面した。

 
足の指の先祖返りから「樹上で生活できなくなった」ことで、陸上生活を余儀なくされた人類。それがおよそ500万年前。
驚くべきことにそれ以来、約1.5万年前まで(およそ499万年間も)洞窟に隠れ住んでいたことが、大量の遺跡から明らかになっています。(参考記事)。特に、少なくとも中期頃までは地下270mだったり、断崖絶壁だったり、(他の動物に狙われないような)より劣悪な洞窟を拠点としていたようです。
 
 
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この事実からも、当時の人類にとって、樹上→陸上への転換がいかに過酷なものであったかを窺い知ることができます。
 
 
また、生活スタイルは専ら「夜行性」。他の動物と戦う術を全く持ち合わせていなかったことから、日没後に(おそらく他の動物が休息している間に)洞窟を出て、食料確保をしていました。主な食料は、動物の食べ残した死肉のカス、骨の髄や脳みそ、木の根っこなど。多くの人がイメージする狩猟・採集とは程遠い世界です。
(このような食料であったため、当時の遺跡は歯がことごとくボロボロで、骨が細っている=骨粗鬆症なのだそうです)
集団規模としては、20~30人程の単一小集団で細々と生活していました。(他の集団との接触はほぼ皆無)
 
 
これが、極限時代の「極限」たる所以です。
 
 
では、このような外圧状況にどう立ち向かったのでしょうか。
 
 

●実現論 ヘ.人類:極限時代の観念機能 より
極限状況の中で、人類は直面する現実対象=自分たちを遥かに超えた超越存在たる自然を畏れ敬い、現実対象=自然に対して自分たちの生存(=危機からの脱出)への期待を込め、自然が応望してくれる事を切実に願った。つまり、人類は直面する過酷な現実対象=自然を凝視し続ける中で、元来は同類を対象とする共認機能を自然に対して作動させ、自然との期待・応望=共認を試みたのである。
そして遂に、感覚に映る自然(ex. 一本一本の木)の奥に、応望すべき相手=期待に応えてくれる相手=精霊を措定する(=見る)。人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。
直面する現実対象(例えば自然)の背後に精霊を見るのも、物理法則を見るのも、基本的には全く同じ認識回路であり、従って精霊信仰こそ科学認識=事実認識(何なら、事実信仰と呼んでも良い)の原点なのである。

 
超越存在たる自然に対する「畏敬の念」、その対象を直視しまず「自ら応望」する姿勢、そして自然に生かされている(自然が応望してくれる)ことへの「感謝の念」。
このゆるぎない想いが、自然との期待・応望=共認を可能にし、その後の観念機能(精霊信仰)獲得に繋がって行きます。
 
思い通りにならない自然を相手に、ただひたすら「畏敬の念」「期待応望」「感謝の念」をもって向き合い続けたのでしょう。誰もが本気で(必死で)現実と向き合い、生きていた時代です。
 
 
今こそこの先人達の「心の有り様」を我々は学ぶ必要があるように思います。
 
 
というのも、現代ではうまくいかない現実、都合の悪い事実に直面すると、のらりくらりと先送り、他人任せ、ある一面の事実(自己主張)に固執、そして言い訳(自己正当化)してしまうことが往々にしてあるからです。
 
これらは全て、「本気とは真逆」の心の有り様だとも言えます。
 
 
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※今や1000兆にも達した日本国債は、先送りの最たる事例です
 
  
 
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※福島原発は全く収拾の目途が立っていません。にも関わらず原発再稼動が議論されることこそ、問題の先送りそのものでしょう。
 
 
 
では、これほどの大きな違いを生み出している根本要因は何なのでしょうか。
それはおそらく、この近代社会の土台を成している「近代思想」にあると思われます。
 

●実現論:序3(下) 民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である より
民主主義は、何よりも「発言権」や「評価権(議決権)」を優先させ、『まず学ぶ』という人類の根本規範を見事に捨象している。だから、「民主主義は正しい」と信じ込まされた人々は、『まず学ぶ』という根本規範を踏みにじり、身勝手な要求を掲げて恥じない人間と化す。

 
このようにして、自分第一⇒私益第一を肥大化させ、それを原動力として市場社会を拡大していった末路が現代であり、その結果
 

民主主義に導かれて暴走してきた近代社会は、ついに経済破綻と地球破壊の底なし沼に沈み、そこから這い上がれなくなってしまった。いまや、人類は滅亡の一歩手前にある。

 
ということなのです。
 
 
但し、その一方で可能性の萌芽も見えてきました。
 

●実現論:序2(下) 私権時代から共認時代への大転換 より
’70年頃、先進国では物的な豊かさがほぼ実現され、貧困の圧力が消滅してゆく。その先頭に立つことになったのが、日本である。
貧困が消滅すると、私権を獲得しようとする欲求=私権欠乏が衰弱してゆく。
貧困の圧力に基づく、私権を獲得しなければ生きていけないという否も応もない強制圧力=私権圧力の衰弱とは、力の原理の衰弱に他ならない。
力の原理が衰弱していけば、人々が、その強制から脱して、人類本来の共認原理に回帰してゆくのは必然である。(※共認原理とは:実現論1_4_11
かくして人々は、’70年以降、最も深い潜在思念の地平で、次々と私権収束から脱して共認収束を強めていった。

 
 
’70年を境に、人々の意識潮流が根底から大転換を遂げたのです。「私権収束から脱して共認収束を強めていった」、言い換えれば自分発からみんな発への大転換です。
 
先人達が培ってきた本来の心の有り様に回帰する、言わば「反転の時代」に入ったのです。
 
 
そうであれば、後はどれだけこの大転換の可能性を確信できているか、肉体化できているか(近代思想に替わる新しい認識の獲得)が本気度を規定することになるはずです。
 
 
引き続き次回以降の記事では、時代を追って先人達に学ぶ中で、次代の本気度を高めていくための手掛かりを発掘していきたいと思います。
 
 

List    投稿者 nishi | 2013-06-21 | Posted in 未分類 | No Comments » 

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