シリーズ『超国家・超市場論』第6回 共認によって集団を統合してきた原始人類 ~同類闘争の圧力と共認統合の限界②~
スワルトクランス洞窟(南ア・約250万年前)
前回は、国家が形成される以前の原始人類の集団統合様式を見ていくために、まず人類の祖先であるサルの特徴と社会構造を見ていった。そして、サル・人類に固有の特徴としての同類闘争(同類集団間の闘争)の圧力とそれに対応するため発達してきた、本能を超えた「共認機能」(相手の気持ちに同化でき、意識や感情を共有できる機能)の存在を明らかにしてきた。
引き続いて今回は、原始人類の集団構造、社会構造を明らかにしていきたい。
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超国家・超市場論4 同類闘争の圧力と共認統合の限界
以下引用
人類は、樹上機能(足の指で枝を掴むことが出来る)を失ったカタワのサルであり、再び外敵圧力をはじめとする圧倒的な自然圧力に晒されることになったが、その場合でも、本能上の武器を失った人類は、より一層、最先端機能たる共認機能にすがるしかなく、従って、共認機能⇒評価共認機能が人類の統合機能である点は、不変である。従って、人類にとっては(おそらくは社会を統合する場合でも)、評価共認こそが、最も肉体化された最適・最善の統合機能であると云えるだろう。
前回はサルと人類との共通点を探ったが、今回は、逆にサルと人類との違いから、人類の特徴を押さえていこう。
サルと比しての人類の特徴としては、以下の点が挙げられる。
①著しく知能が発達している(ex.道具を使う)
②直立二足歩行である
③体毛が薄い
などである。
しかし道具を使うという点では、チンパンジーなど類人猿も道具を使う。また400万年前の初期人類であるアウストラロピテクス・アファレンシスの脳の大きさは約400ccと、現在のチンパンジーと殆ど同じであり、知能という点では当時はサルも人類も大差無かったと考えられる。
また直立歩行についても、サルもしばしば直立歩行を行う。
体毛が薄いという点についても、類人猿のオランウータンは比較的体毛が薄い。
つまりこれらの特徴は、いずれも程度の問題であって、人類とサルとを分ける決定的な違いとは言えない。
前回のエントリーで明らかにしたように、サルの特徴とは、足の指が手と同じく対向線上に動くこと、つまり足の指でも枝を掴めることで樹上を自在に移動できること(樹上機能)にある。
それに対して、人類は足の指を他の動物と同様、対向線上に動かすことが出来ない。実はサルと人類を分かつ本能的に決定的な違いはこの足の指の構造の違いにあるのだ。つまり人類とは足の指が先祖がえりした「カタワのサル」に他ならない。
チンパンジーの足。リンク
サルの最大の本能上の武器である、樹上機能を失った人類は、豊富な食料と敵動物からの安全性が確保されていた樹上と打って変わって、外敵が多い危険な地上で生活せざるを得なくなった。他動物と比べて牙も爪も弱く脚力も弱いカタワのサル=人類は、生存それ自体が奇跡であるほどの圧倒的な自然外圧に晒されることとなる。この極限状態が初期人類の姿である。
極限状況であったことを具体的に示すものとして、わずか一万年前まで人類は洞窟に隠れ住んでいたことがまず上げられる。洞窟は居住環境としては最悪で、しかも人類が居住していたのは洞窟の入り口から、100m以上離れた場所である。つまり洞窟内は湿気が高くかつ暗闇の世界であり、このような場所に自ら好き好んで居住したとは考えにくい。つまり他の動物から身を守るために隠れ住んだと考えられる。
食生活も極限状況で、人類は他の動物が食べないようなものを食べて生き延びていた。例えば硬い木の根や死肉の骨を叩き割って骨髄をすするなどである。因みに北京原人は死んだ仲間の脳髄をすすっていたことも確認されている。
石器で叩き割られ、骨髄を取り出した痕跡のある人骨
それらのことに見られるように、人類は他動物に対する恐怖と極限的な飢えに恒常的に苛まれていたのだ。恒常的な飢えに苛まれていた事例として、例えば、1.8万年前の港川人(縄文時代の沖縄地方に存在した人類)の骨には極度の栄養不足のため骨粗鬆症の跡が見られる。ましてやそれ以前の時代であれば、さらに厳しい外圧状況だったと考えられる。
樹上で暮らせるという最大の武器を失った人類は、サル時代に形成されたもうひとつの新たな機能である、共認機能に全面収束するしかなかったと考えられる。それを記述したるいネットの投稿を紹介しよう。
以下引用
人類の本性は共同性にある①
①逆境下で共認機能に全面収束
(中略)
この様に本能では到底生きていけない(適応できない)状況下で、人類はサル時代に獲得した共認機能(相手と同化することによって充足を得る機能)に全面収束してゆく事となる。つまり恒常的な飢えの苦痛と怯えを少しでも解消すべく、互いに身を寄せ合い安心充足を得る(親和充足)。そしてその充足(と充足を与えてくれる仲間に対する全面肯定視)を基盤に、仲間同士額を寄せ合い、みんなの表情や身振り手振り(評価)を羅針盤として、日々「どうする」の行動方針(=課題と役割)を模策し闘争共認を確立していったのだ。
②共認充足こそ最大のエネルギー源であり、人間の生きる目的
この日々生きる事さえ絶望的な状況の中で得られる共認充足は、人類にとっての唯一の生きる希望であり、唯一最大のエネルギー源でもあった(つまり生きる目的そのものであった)。事実、共認機能に全面収束した人類は、その後必然的に共認充足度を上げるベクトルで共認機能をより進化させていくことになる。
例えば人間に固有の「喜怒哀楽」などの感情やその表現手段の多様性はその一例である。笑顔は相手への肯定視をより発展させた表情であるし、涙は悲しみや喜びの共有を通じて集団の成員の一体感を更に高めるべく、生み出されたものである。
この様に共認充足度を高めるために、相手への伝達手段や受信能力を発達させていく事で、人類は知能を進化させてきたのだ。つまり共認機能こそが人類の心の中核であり進化の原動力でもあったのだ。
これまで、知能と言えば、数学ができたり難しい問題を解けたりすることだと考えられがちでした。しかし、人間の大きな脳は、相対性理論を考えたりするために進化してきたのではありません。進化の歴史の中で、私たちを含む霊長類という動物にとってもっとも重要だったのは、仲間の心を理解し、社会関係をうまく保つという問題だったのです。ほかの種類の問題解決ももちろん大切ですが、社会的知能こそが私たちの大きな脳の基盤であるということは、理解しておくべきでしょう。
(「自然科学の扉 霊長類の行動と進化」より)
初期人類は、過酷な自然外圧の中で生きていくために、集団の「共同性」を著しく強化させた。その中核となったのが上記した共認機能の進化である。その結果人類はサル以上に飛躍的に知能を進化させる。その過程を具体的に見てみよう。
リンク
450~200万年前 アウストラロピテクス(猿人) 450~500cc
250~150万年前 ホモ・ハビリス 650cc
150万年前~ ホモ・エレクトス(原人) 950cc
15万年前~ ホモ・サピエンス
(ネアンデルタール人) 1450cc
現代人 1350cc
リンク
ネアンデルタール人は現代人より脳容量が上回っていることが注目される。
このような知能進化の結果、人類は約200万年に言語と道具を、約70万年前に火の恒常的使用能力を獲得し、過酷な自然外圧に対する突破口を少しづつ切り開いていったのだ。
人類の本性は共同性にある②
③自我を全面封鎖した共同体の中で人類の本性=共同性は育まれてきた
この様な状況下では自分勝手な振る舞いや仲間を否定する行為(自己中=自我)は、人類の命綱ともいえる共認充足を妨げ、集団の結束を破壊し、集団の存続を危うくする(ひいては個体の生存も危うくする)ため、徹底的に抑制・封印されてきた。つまり人類の本性は共認充足を中核とする共同性にあるともいえる。
そのように自我(や私権)を全面封鎖した共同体の中で500万年に亙ってこの人類の本性は形成されてきたのだ。
(後略)
極限状況に置かれた人類は、共認充足を生命とし、自己中心的な振る舞い徹底的に封鎖され、共同性を第一義として生きてきた。従って集団内での争いの結果として生まれる身分序列なども発生する余地がなかったと考えられる。
その証左として、原始時代の人類の埋葬化石を観察しても、後の「文明時代」に見られるような、墓の大きさや埋葬品の違いなどが全く見られない。時代を下った縄文時代においても同様である。縄文時代には一定の生産力の余裕に基づく貯蔵も可能となり、村内に倉なども作られるが、貯蔵物は全て集団の共有であって、私有財は存在しない。
また、原始時代の人類の骨には後の時代に見られる(日本で言えば2000年前くらい)、矢や槍による傷が全く見られないことから、戦争や争いが存在しなかったと推測される。
以上より原始人類の社会構造は次のように結論付けられる。
サルは同類闘争の圧力によって共認機能を生み出し、それを進化させることによって知能を進化させてきた。
それに対して原始人類を進化させてきた圧力は直接的には、極限的な自然圧力である。その元でサル時代に形成された共認機能に全面収束することで更に知能を進化させてきた。
つまり、圧倒的な自然圧力を突破するために仲間の期待とそれに答える応合=同類からの期待圧力によって知能を進化させてきたのである。
そして仲間で課題を共認し、役割を共認し、規範を共認する、共認原理によって集団は統合されてきたのである。
この共認原理による統合と、後の文明時代(国家)時代の、力の序列(身分制度)によって、集団や社会を統合する「序列原理」との違いに注目すべきだろう。(原始時代にも能力評価に基づく能力序列は存在しただろうが、それは集団内の共認に基づくものであって、生来の身分や私有財の多寡に基づく序列格差とは全く異なるものである。)
その後人類は1万年前頃、弓矢を発明することで他動物とある程度対等に戦える、防衛力を手に入れ、ようやく洞窟から地上に進出することが可能となった。この防衛力の増大によって人口も増加し9000年前頃には栽培も開始される。生産力の安定は更なる人口増大をもたらす。するとそれまで、ほぼ単一集団として点在し、殆ど集団同士の接触のなかった人類は、人口の増大によって集団同士が接触するようになってきた。
つまり、人類は史上初めて同類集団間の緊張関係同類圧力に直面するのである。
次回は、1万年前から5000年前の同類圧力の働き始めた人類社会の姿を見ていきたい。
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