米国の圧力と戦後日本史24~脱米から従米へと大きく転換してしまった民主党政権。否定の論理では何も実現できない~
前回記事(米国の圧力と戦後日本史23~米国に抗いきれず、ことごとく潰されていった世襲政権~)では、安倍・福田・麻生と、世襲かつ短命政権が3代続いた様子を見てきました。
いずれの首相も強力な支持基盤を持っており、アメリカに完全服従する必要がなかったため、検察とマスコミの総攻撃を受け潰されています。一方で「民主党への期待」が急速に盛り上がり、ついには政権を奪取するに至ります。
今回は、「脱自民」「脱アメリカ」の期待を受け誕生した民主党政権とその変節について扱います。
■民主党の台頭
安倍→福田→麻生を通じて、大衆の自民支持は右肩下がりに下落していった。さらに、小泉政権時代の「アメリカ支配の実態」もネット界を中心に徐々に明らかになり、「反自民」「反アメリカ」の気運が徐々に浸透し、そして「民主党への期待」が急速に盛り上がっていった。
一方で、2008年のリーマンショックによってロックフェラーは大きく混乱し、力を落していった。その結果、一時的にロックフェラーの日本における支配力が弱まり、そこにつけこんだロスチャイルドが力を伸ばしていった。そのロスチャイルドの支援を受けた鳩山・小沢は、勢いを増し、ついに政権を奪取することになる。自民党に限界を感じていたアメリカが、自民党を見限ったことも民主党の圧勝を後押しした。
★これは、金貸しの勢力争いによって日本の政権が決まっているということである。
★つまり、国民が選挙で選ぶという民主主義など幻想なのであって、民主主義は、我々の目から金貸し支配を極めて巧妙に隠す装置として機能しているに過ぎない。
■初期民主党の反米自主
ロスチャイルドの支援を受けた鳩山と小沢は対米自主を目指したマニフェストを掲げ選挙に臨んだ。
その代表的なものが、
①米軍基地を最低でも県外移設
②東アジア共同体の構築
である。
対米自主を目指したこの2つのマニフェストは当然結果としてアメリカの虎の尾であったわけである。
①米軍基地を最低でも県外移設
政権奪取前から鳩山・民主党は在日米軍基地の県外移設を主張しており、政権奪取後も県外移設を宣言した。この普天間基地移設問題が、アメリカにとっては虎の尾であった。何故か。
1.在日米軍の存在は、日中間の緊張圧力を高めてきたが、もし在日米軍が撤退すれば日中の距離が近づいてしまう、という問題が発生する。
2.在日米軍の存在も基地の場所も日米地位協定によって定められており、米軍基地の移設はこの地位協定を反故にするということを意味する。
3.東アジアには良好な貿易港が少ないが、沖縄は数少ない良好な貿易拠点になり得る。アメリカにとってそこを押さえておくことは、アジア経済の支配にとっては欠かせない。
4.沖縄県外に移設するとなると、移設先の住民の反対は必至であり、反米共認が広がる恐れがある。
②東アジア共同体の構築
首相就任後の2009年9月、中国の胡錦涛国家主席と会談し、欧州連合をモデルに単一通貨の導入の可能性も含めた東アジア地域の統一を目指す「東アジア共同体」の創設を提案。さらに、10月の東アジア首脳会議で「東アジア共同体」構想を発表した。
東アジア共同体の構築が実現し、ドル・ユーロにつぐ基軸通貨が誕生すれば、ドル離れが進みドルの暴落につながる。これもアメリカにとって虎の尾である。
この「①米軍基地を最低でも県外移設」と「②東アジア共同体の構築」によって、鳩山は完全にアメリカにとっての虎の尾を踏み、それ以降アメリカに警戒されるようになる。
■年次改革要望書の廃止
更に鳩山政権は、それまでの年次改革要望書通りの改革(郵政民営化・道路公団民営化・司法制度改革など)が行われてきた対米追随型の政治を見直そうと、年次改革要望書を廃止するべく、それを扱ってきた日米規制改革委員会を廃止した。
アメリカはこれらの動きに猛反発し、以降交渉のテーブルにつかなくなった。またリーマンショックによって一時的に力を落としていたロックフェラーであったが、徐々に復活し、反撃を開始する。
その結果、次々と反米自主政策を打ち出して来た鳩山であったが、官僚・政治家・マスコミの集中砲火に合い、戦後初めて米軍基地問題という難課題に挑んだにもかかわらず、その難課題の迷走の末に総辞職した。
★鳩山は、それまでの自民党の政策を見直し、数々の対米自主政策を掲げた。
★しかしそれらは全て実現基盤を持たない理想論であり、いずれも実現されずに終わった。
■後期民主党の変節と民主党内従米派の台頭 / 年次改革要望書に代わる日米経済調和対話
鳩山の退陣後、菅直人政権が誕生した。
菅は社会党系の市民運動家上がりの政治家であり、反米自主路線を維持するだろうという期待を集めていた。しかし総理大臣という権力を手にした菅は、更なる権力を求めてアメリカにすりよっていくことになる。その一つが「日米経済調和対話」である。
「日米経済調和対話」とは、2010年11月13日横浜で開催されたAPECの際、菅・オバマ会談の「新たなイニシアティブに関するファクトシート」にて発表された対話の枠組みであり、年次改革要望書とは異なる形で現れた日米間の連携である。要はアメリカ合衆国政府が日本政府に対して、規制緩和などの改善を求めた要望事項である。
★廃止されたかに見えた年次改革要望書であったが、権力亡者・菅によって、日米経済調和対話と名前を変え復活することとなる。
更に続いて、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)締結問題が突然登場する。
■TPPの登場
TPPとは環太平洋の加盟国間における、全ての貿易障壁を撤廃するための条約であり、アメリカが参加を強要してきた。
TPPの枠組みでは、一民間企業が貿易障壁だと主張しそれが認められれば、その貿易障壁は撤廃されることになる。しかも、TPPそのものは「条約」であって、「条約」は国内法に優先する。
つまり、個別に国内法を変えると3年から5年はかかるところが、一度の交渉で変更できてしまうのである。しかも、TPPは国民にわかりにくい形で、より早くアメリカの要望を実現していくことが出来る。つまり「TPPによる支配」とは、それまでの「国家を介した支配」から「国家を介さない支配」への転換といえよう。
この頃になると、対米自主を期待された菅民主党政権はその方針を180°転換させ、完全なる従米政権へと成り下がる。菅のような弱者が権力を持つと、その力を使って暴走してしまう好例だと言える。これ以降も菅直人だけでなく、官僚・マスコミなどの権力の暴走が続く。
金貸し同士の争いで追い詰められたロックフェラーは、この「国家を介さない支配」を実現するTPPによって、なんとか日本を取り込み生き残りを図っているのである。
★対米自主を期待されて誕生した民主党政権であったが、初期段階でその志は潰え、その後は従米へ。国民の期待は完全に潰えた末に、民主党は与党の座を降りることとなる。
■なぜ民主党は対米自主から従米へと転換してしまったのか?
この原因の第一は、民主党がそもそも旧自民党、旧社会党、松下政経塾出身者などの寄せ集め集団であり、一本化された党内の統合軸を持ち合わせていなかったことにある。つまり、従米派と脱米派が常に争っており、どちらが主導権を持つかで党の方向性が決まってしまうからだ。
さらに根本的には、長年野党として政治に携わってきた民主党には、与党を否定する論理はあったが、実現するための論理は持ち合わせていなかった。つまり、実現の意思と実現の論理が無かったからこそ民主党はなにも実現出来なかったのである。
★しかし考えてみれば、「否定の論理しか持ち合わせていない」というこの構造・思考回路は、マスコミの構造であり、思考回路である。つまり民主党のこの体たらくは、マスコミがつくり出したとも言える。
★マスコミの最大の洗脳とは、この「否定の論理」という思考回路の伝播であり、民主党のみならず全国民的に、否定の思考回路を植えつけられてしまっているのではないか。しかし、否定だけでは何も実現できないことは民主党が証明した通りである。
今ほど「実現の論理」(=実現基盤の発掘)の提起と伝播が求められている時代はない。
<リンク>
否定の論理しか持たなかったが故に、民主党は敗北し転向した。
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