米国の圧力と戦後日本史23~米国に抗いきれず、ことごとく潰されていった世襲政権~
徹底した従米路線を取った小泉純一郎
2001年4月、小泉純一郎が自民党総裁に選出された。
彼は、聖域無き構造改革という名の元、郵政民営化を通じて米国債を60兆円も買い支え、独占禁止法の強化による談合防止、会社法改正による日本資本の買収、法科化大学院設立による訴訟社会への転換等、徹底した従米路線を進めていった。特に郵政民営化に代表される道路公団・石油公団・住宅金融公庫・交通営団など特殊法人の民営化は、自民党内族議員の力を衰退させていく結果となった。
米国に引っ掻き回されて混乱した自民党では立直しの必要が出てくる。そこで、自民党はかつて絶大な権力を誇っていた岸信介の孫である安部晋三を自民党総裁に担ぎ上げることにした。安部晋三は、かつて昭和の妖怪と言われた岸信介の孫であり、その特権の殆ど全てを継承している。つまり、そこら辺の議員とは力の基盤が大きく違う、いわゆる世襲議員である。
安部を含めた世襲議員はこの後3代続くことになるが、何故、ここで世襲議員が3代も続いたのか?
当時の状況から探っていこうと思う。
■米国の意向にそぐわず、退陣した安部晋三
戦後の妖怪と恐れられた岸信介とその孫である安部晋三
安倍晋三は戦後の首相である岸信介の孫にあたる。彼は岸信介の影響を多大に受けていると言われており、実際、2006~2007年の第一次安倍政権時、自著「美しい国」でこのように語っている。
「小さなころから、祖父が『保守反動の権化』だとか『政界の黒幕』とか呼ばれていたのを知っていたし、『お前のじいさんは、A級戦犯の容疑者じゃないか』といわれることもあったので、その反発からか、『保守』という言葉に、逆に親近感をおぼえたのかもしれない。」(『美しい国へ』から)
そのような背景を持つ安倍晋三は総理就任後、小泉前首相の靖国参拝問題のために途絶えていた中国、韓国への訪問を表明する。2006年10月に中国・北京で胡錦濤国家主席と会談、翌日には、盧武鉉大統領と会談すべく韓国・ソウルに入り、小泉政権下で冷却化していた日中・日韓関係の改善を目指した。
しかし、中国との国交回復は米国に取って虎の尾であり、触れてはならない部分である。案の定、米国はマスコミ等を利用し、安部が肝いりで任命した議員にスキャンダル騒動を起こし安部内閣の支持率を減退させた。また、松岡利勝農水大臣は議員宿舎内で首を吊って発見された。こうして参院選は敗北し、安部自身も体調を崩し、突然辞任を表明した。在任期間はわずか366日であった。
■米国の圧力に屈しなかった福田康夫
全方位平和外交を謳った福田赳夫とその息子である福田康夫
安部総理の突然の辞任を受け、福田赳夫の血筋を引く福田康夫が総理大臣に就任する。福田赳夫は、日中平和有効条約の締結を最優先にし、これまでの日米関係を中心とした日本外交を考えていくのではなく、さまざまな地域の問題に自主的に働きかけていく「全方位平和外交」を表明した人物であった。
福田康夫自身も、保守派の一部から「親中派」「媚中派」などと批判される程、対アジア外交への配慮を示しており、中国や韓国等の、靖国神社参拝に反対している国の意見などにも一定の配慮をすべきこと、憲法改正には周辺国の理解が必要と主張した。このように、外交政策において必ずしも親米的な態度をとらなかったばかりでなく、赳夫は親米派の中曽根と対立し、康夫はアメリカの執拗な要求を跳ね除けるなど、2人ともアメリカと一枚岩ではなかったことがうかがえる。
2008年9月、福田康夫は「あなた達とは違うんです」と言い放ち、突然、辞任をする。この背景には、米国から日本が保有する全外貨準備高にあたる1兆ドル(約100兆円)の提供を求められており、政府の機能を麻痺させてこれを拒否すべく突然、辞任をしたと言われている。自衛隊をアフガンへ派遣するよう要請されたことも頑として拒否していたことなどからも、反米自主派の人物であったと見ることが出来そうである。
■うっかり口を滑らせた麻生太郎
吉田茂とその孫にあたる麻生太郎
麻生財閥は、セメント事業、専門学校運営、病院経営、医療廃棄物処理など幅広い分野の事業を手がけており、公明党や創価学会ともその蜜月ぶりが知られている。
麻生太郎が世襲している血の繋がりは日本の権力者達と深く繋がっており、麻生太郎は、吉田茂元内閣総理大臣(第45,48-51代)の孫である。吉田茂は相当な浪費家として知られているが、その財布は麻生財閥の物であった。また鈴木善幸元首相の娘と結婚しており、政界での繋がりを強くしている。親戚には天皇家までもが繋がり、力の基盤としては、相当なものである。
2009年2月の衆議院予算委員会において、麻生太郎首相は郵政民営化を見直したいといった内容の発言をし、小泉元首相から厳しく批判を受けた。マスコミからは、その失言をネタにこき下ろされ、麻生下ろしを痛烈に叩かれ、結局1年で解散に追い込まれてしまう。
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以上、見てきたように、安倍→福田→麻生と、過去の総理大臣と血縁関係にある政治家、いわゆる世襲議員が総理大臣となり、しかもいずれも短命政権で終わっている。
★世襲議員の増加=民主主義のウソ
選挙で当選するためには、知名度、支援者、そして何より金が必要とされる。これら三つの力の総合点によって、当選するかどうかは決まる。これらはそれぞれ「看板」「地盤」「カバン」と言われ、俗に「三バン」と呼ばれているが、特に「地盤」となる講演会の組織やその運営資金は非課税であり、そのまま引き継がれていく。
つまり、世襲というだけで、新候補とは既に圧倒的な差が選挙前に付いていることになる。これでは、新候補が当選することなど適うはずもなく、せいぜいマスコミへの露出を通じた大幅な「知名度UP」ぐらいしか対抗する手段を持たない。
これは、民主主義の根幹である「平等な選挙」など、どこにも存在しないことを意味している。当選に必要な様々な私権が相続される世界では、民主主義など成立し得ない。
★最も安定させられる国家体制は、世襲体制
上記は世襲議員が増えてきた理由にはなるが、安倍→福田→麻生と有力政治家の血縁者が総理大臣に選ばれる理由にはならない。
小泉政権以降、安倍→福田→麻生と有力政治家の血縁者が総理大臣に選ばれたのは、なぜか?
小泉政権は歴代まれにみる売国政権であり、「自民党をぶっ壊す」という彼の宣言通り、政界は混乱に混乱を重ねてきていた。この状況の中で、自民党政治家が真っ先に考えるのは、この混乱状態を如何にして安定させるかということである。
国家(序列)体制の頂点に位置づけられる政治の世界では、日常的に権力闘争が繰り広げられており、誰をトップにしても収まらず、安定化させることは容易ではない。そこで必要になるのは、「誰も反対できない」人物をトップに選ぶことにある。つまり、『安定』を最優先に考える以上、トップに必要なのは、「誰も(表立っては)反対できない大義名分を持っている」ということにある。そして、「血縁」というのは、絶対に乗り越えられない壁である。
つまり、安定を作り上げ維持するのならば、有能な人間を選ぶよりも、それはともかく「反対しにくい世襲議員」の中からトップを選ぶ方が適しているということになる。
実際、古代日本における天皇制も、老舗と言われる歴史ある企業も世襲であるし、もっと言えば部族という集団形態そのものが、世襲を前提としている。
★世襲政権が、悉く短命に終わったのは、なぜか?
安倍→福田→麻生の世襲政権は、政界における「力の基盤」を引き継いでおり、さらに安定化を志向する政治家によって選ばれたのであれば、党の外に力の基盤を求める必要がない。(中曽根や小泉との決定的な違いである)
故に、彼らの政権運営の視点も、党の外=アメリカではなく必然的に党内に向かうことになる。そして、党内の利害調整その他に運営の中心軸を設定した結果、アメリカの虎の尾を踏むことになり、アメリカ(→マスコミ)によって退陣に追い込まれていくことになった。
特に2008年リーマンショックに向って世界経済が突き進んでいたこの時期、アメリカ(特に、ロックフェラー財閥)はとことん追い詰められており、米国債の購入、郵政民営化の実現は彼らの生死に直結する。アメリカ(ロックフェラー)としてもなりふり構っていられない状態にあった。日本の政権が短命の繰り返しになろうとも、彼らは都合の悪い首相を切り続ける必要があったのである。
★反米保守の壊滅
さらには、この過程を通じて、反米保守は完全に影を潜めることになる。反米政治家の子ども、あるいは孫であれ、従米に転換しなければ生き残ることはできない。
(こうして完全にアメリカに下ったのが安倍であり、現在の安倍政権が順調に政権運営しているように見えるのも、完全な従米政治家となった証左であろう。)
★民主党の台頭
安倍→福田→麻生を通じて、大衆の自民支持は右肩下がりで下落していった。さらに、小泉政権時代の「アメリカ支配の実態」もネット界を中心に徐々に明らかになり、「反自民」「反アメリカ」の気運が徐々に浸透し、そして「民主党への期待」が急速に盛り上がっていった。
さらに、自民・民主の二大政党制に向けて、アメリカ(ロックフェラー)も民主党内の勢力を伸ばし、遂に民主党が政権を奪取することになる。
次回は民主党が政権を奪取した以降を見ていきます。
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