【情報戦】1.動物にとっての情報の意味、サルにとっての情報の意味とは?
様々な疑問を包摂して「情報(戦)とはなにか?」を、「歴史を遡って」追及する本シリーズ(【情報戦】0.情報戦のこれまでとこれからを考える ~“情報”のパラダイム転換~)、第一回は、原モグラから枝分かれした哺乳類(=動物)から始まります。
哺乳類(=動物)はその後、樹上に生活の場を移した原猿(=サル)に進化し、更に闘争共認集団を形成することで真猿へと進化していきます。
彼らがこのような時代を生き抜くには、一体どのような情報が必要だったのでしょうか?
今回は、原モグラから枝分かれした哺乳類=動物、そこから進化した原猿そして真猿=サルにとっての情報の意味を読み解くことを通して、現代にも通ずる情報(戦)の原点を探っていきます。
原モグラから原猿・真猿へ
■動物にとっての情報の意味=種間闘争の時代における情報の意味とは?
①動物の時代はどのような時代であったか?
実現論 第一部:前史ハ.哺乳類(原モグラ)時代の性闘争本能
原モグラから派生した哺乳類=動物の時代では、外圧といえば自然外圧が最大であり、種間闘争が主闘争であった。
★動物の時代=種間闘争の時代である
②種間闘争の時代を生き抜くにはどのような情報が必要であったか?
種間闘争は、種間の体格差や能力差が顕著であるため、基本的に闘争の勝敗が戦わずして決まっている。
そのため、種間闘争の時代を生き抜くためには基本的には種類を見分けるだけでよく、更に言えば、同類かどうか、敵であるか、獲物であるかの情報さえ分かれば良い。その情報(外圧)に対してどうするかは本能(内圧)に組み込まれており、情報と行動の直結度が生死を分けていた。
■サルにとっての情報の意味=同類闘争の時代における情報の意味
①サルの時代はどのような時代であったか?
実現論 第一部:前史ニ.サル時代の同類闘争と共認機能
原モグラから枝分かれした哺乳類は、陸上から樹上に逃避の場を求め、樹上機能(後ろ足の指で手と同じ様に枝を掴める)を発達させて遂に樹上で棲息するに至った(=原猿に進化した)。
外敵のいない樹上生活をはじめた原猿は異常繁殖し、世界中の森林という森林を埋め尽くした。樹上に外敵はいないため、この時代の闘争は必然的に同類闘争(性闘争をエネルギー源とした縄張り闘争)になる。
縄張り闘争=性闘争は通常、個間闘争によって敗退した大多数の成体が行き場を失って外敵に喰われ、あるいは餓死することを前提にしているが、樹上には外敵もおらず、食物も豊富にあるため、闘争に敗れた(メスを獲得できない=子孫を残すことが出来ない)個体であっても、死ぬことが出来ない。これは本能ではありえないことであり、本能を超えた問題を抱え、本能が混濁した弱オスが大量発生した。
本能が混濁した弱オス達は、極度のストレスの中、弱オス同士で同一視することで安心感を得、その安心感を母体とした共認機能を獲得していった。そしてその共認機能を母体に闘争共認集団(真猿集団)を形成し、同類闘争を生き残った。
★サルの時代=同類闘争の時代である。
★共認機能を獲得した真猿は集団を形成する。この時代、同類集団闘争が主闘争となる。
②同類集団闘争の時代を生き抜くにはどのような情報が必要であったか?
同類同士では、体格差や能力差が僅差であり、かつ集団で闘うため、闘争の勝敗が決まっていない。勝敗はその時々の与条件によって決まる。
そのため、生き残るためには、与条件を見極めることが出来る同類の詳細で複雑な情報が必要になる。危機か危機でないかだけでなく、危機の度合いをも測る必要がある。
更に、これらの情報が集団内で共認されることによって集団統合が可能となり、同類闘争に勝つことが出来た。
◇ここまでをまとめると次の表のようになる。
■動物(種間闘争の時代)からサル(同類闘争の時代)に進化したことで、情報の意味はどのように変化したか?
★動物からサルに進化したことで、生き残る為には、同類の微細で複雑な情報が必要となった。
★その情報を共認することで、集団が統合され、勝つことが出来た。 共認されてはじめて価値を持つ情報が出てきた。
★更に言えば、哺乳類の時代、個体は生き残るために外の情報を受容しているだけでよかったのに対し、サルの時代になると、同類の情報を積極的に探索し発掘していくことになる。何故なら自集団の存続は他集団との闘争の結果決まるのであり、その他集団の情報をいかに早く正確に掴むかが、勝敗を決するからである。
★つまり情報の探索と収集は、集団全体の期待でもあって、集団動物である真猿がその役割を担うものをつくり出してもなんら不思議ではない。集団が生き残るために、集団の期待を受け、情報を探索収集する存在の登場が、動物の時代との決定的な違いである。
※現代共認社会が実現されれば、情報は、サル時代と同様に共認されて初めて価値を持つものとなり、さらに情報収集は、集団全体の期待を伴うものとなるだろう。
共認時代に求められる情報収集能力においては、集団期待あるいは社会期待をどれだけ鮮明に掴めるかがカギとなるはずである。
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