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共認収束への大転換⇒実現の時代へ(8)~’70年からの約40年を経て、’12年ついに実現の時代へ

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’12年以降、いよいよ実現の時代に入りました。
 
人々が社会をどうする?を自ら考え、答えが欲しい、答えを出そうという気運が高まっています。
しかし、この気運はある一つの事象のみによってもたらされたものではありません。人類500万年の歴史の中で、約6000年続いた私権時代が’70年の貧困の消滅をもって終わりを迎えました。
そして今私たちは、その後100年をかけて新たな時代(私権原理→共認原理)に転換していくその大きな流れの中に生きているのです。
 
このシリーズの狙いは、まさに’70年貧困の消滅に始まる共認収束の大潮流を謙虚に学び、近50年の状況を歴史段階的に読み解くことで、次代の新たな可能性の提示を試みるところにあります。
  
 
シリーズも終盤にさしかかってきたので、今回は、ここまでの記事を簡単に俯瞰した上で、いよいよ新たな時代の幕開けについて触れていきます。
 


 
■ 起点となった’70年の大転換
「実現の時代」幕開けの起点となったのが’70年でした。
 
 (1)~起点となった’70年の大転換~ [2]
 
豊かさの実現という、生物が経験したことのない全く新たな状況に突入したこと。それによって人々の意識の大転換(私権収束から共認収束へ)、そして課題圧力の大転換(貧困の圧力から同類圧力へ)という、2つの大転換が生じたことを固定しました。
 
一方で、豊かさの実現によって’70年以降、市場は拡大限界を迎え、縮小過程に入ります。
しかし、
 

私権収束から共認収束への大転換 [3]より
社会の統合を担う学者や官僚やマスコミや政治家etcの旧勢力は、この新しい状況をまったく把握できず、「市場拡大は絶対」というイデオロギーに凝り固まって暴走してゆく。
彼らは、不足する需要を補うべく大量の国債を発行して、見せかけの市場拡大に血道をあげてきた(実際、元々ゼロだった国の借金は、’70年代から急速に増大していき、今では900兆円にも達している)。

 
これによって、ダブついた資金が投機に回るようになり、さらにアメリカの策略(参考 [4])も加わり、日本の経済はバブル化、そして崩壊します。
 
 (2)~’90バブル崩壊→豊かさ期待の消滅~ [5]
 
バブルの崩壊によって豊かさ期待が消滅し、さらに残存する自我の肥大化で妄想犯罪(凶悪殺人やオームサリン事件etc)が激増。社会的閉塞感が徐々に強まっていきました。
 
 
■ ’02年私権の終焉⇒課題収束が顕在化
強まる閉塞感に加え、ニューヨークバブル=世界バブルの崩壊によって、’02年ついに私権拡大の終息が大多数の状況認識となって共認されます。
 
 (3)~‘02年収束不全によって生まれた当事者意識の高まり~ [6]
 (4)~’02年、自我の終焉→加速する同類探索が課題収束を顕在化させた~ [7]
 
この’02年は、私権の終焉=自我の終息によって一気に共認収束が加速し、課題収束の潮流が顕現した画期的な年でした。足枷となっていた私権の可能性と完全に決別し、新たな可能性(課題収束)へと向かい始めたのです。
 
一方で、この課題収束を顕現させる力の源となった「同類探索」が、年々加速することによって、「情報中毒」という新たな問題に直面することになります。
 
 (5)~情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口~ [8]
 
 
■ 特権階級の暴走と観念支配による滅亡の危機
また、私権空間の空洞化 [9]によって’95年頃より始まった特権階級の暴走が、’11年の東日本大震災による原発事故によって、ついに白日の元に晒されることになります。
 
 (6)~特権階級の暴走と観念支配による滅亡の危機~ [10]
 (7)~閉塞の元凶となった近代観念~ [11]
 
ここでは、’70年貧困の消滅によって、観念によって全てが動く時代に入った。つまり観念内容を誤れば、人類は滅亡する時代に入ったこと。
そして、現在の閉塞状況の元凶は、誤った観念としての「近代思想」にあることを明らかにしました。
 
 
★ここまでの流れを全体図解にまとめます(クリックすると全体が表示されます)
kanseizukai.gif [12]
 
※図解の構成は、上から[外圧変化]とそれによる[私権圧力]の変化、その変化に対して[本能][共認][観念]がどう適応可能性に収束していったのか。そしてその狭間で暴走する特権階級。
さらに最基底部で進行する根源回帰の潮流を、’70年から’12年に至るまでを図解化しています。
 
※矢印は、点線が収束関係、実線が因果関係を表しています。(図解については以下参照)
因果関係と収束関係(実現関係)の矢印 [13]
原因→逆境(不全)⇒どうする?⇒可能性収束 [14]
  
※上記図解の内容には、以下の記事も参考にしています
1/31なんでや劇場レポート2 私権体制の崩壊⇒共同体の時代へ [15]
実現論:序6(上) 新時代を開くのは、共同体企業のネットワーク [16]
5/13なんでや劇場1 対象(競合や顧客)を捨象した敗者思考は、今や許されない [17]
5/13なんでや劇場2 今や、相手(顧客)を充足させなければ(勝たせなければ)勝てない [18]
5/13なんでや劇場3 実現期待⇒能力欠乏→独学の気運に応える概念装置が必要 [19]
 
 
■ ’12年「実現の時代」の幕開け
 

自主管理への招待(1)工業生産から意識生産へ。時代は今、歴史的な生産力の転換を遂げようとしている。 [20]より
共同体企業:類は、’72年に設立されましたが、明らかに時期尚早であった共同体企業設立のために書かれたこの文章は、35年後の現在、ようやく時代にマッチした問題提起となってきたように思われます。
(中略)
私たちは、このような時代の到来を、むしろ歓迎している。今ほど社会が自らの停滞を打ち破る、革命的な活力を求めている時はないからである。このような時代には、大樹の下に身を寄せる「お抱え」型の安定など、一時の気休めにしかならない。むしろ、どのような状況にも対処してゆける強靱な思想と能力を獲得してゆくことこそ、本当の安定への道ではないだろうか? たしかに状況は混沌として、頼るべき思想も今はない。しかし歴史を振り返れば、頼るべき全ての指標が失われた混沌の状況こそ、常に真の創造の土壌であった。そして時代が変る時、常にまず新しい思想が登場してきた。かつそれは、常に既成の思想の批判的超克として現れてきた。

 

自主管理への招待(4) 「頭の中だけの自己」から「実現対象」への追求ベクトルの転換 [21]より
自らの存在を現実に実現してゆこうとすれば、常に現実の対象世界が立ち現れる。そこでは、まず対象世界の構造を把握し、自己を実現し得るような対象的基盤を獲得してゆかなければ、何も実現することはできない。だが近代思想は、このような対象世界の実現の構造を何ひとつ見極めようとせず、むしろ常に対象から目を背け、現実から逃避して、頭の中でだけ「現実」を否定し「自己」を美化し続けてきた。いま求められているのは、<自己から対象へ>の認識ベクトルの転換である。

 

12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論) [22]より
新理論は、人々の実現期待に応えられる理論=現実に使える理論でなければならない。従って、現実から乖離した近代観念をはじめとする全ての架空観念は全的に否定され、ゼロから新理論を構築してゆくことになる。そのためには、現実世界を動かす実現の構造を発掘できるまで、徹底して人類史を(必要ならサル社会や生物史まで)遡って、歴史事実を収集し、それを法則化=構造化する必要がある。

 
 
’12年、ついに「実現の時代」に入りました。それは、約40年前に上記「自主管理への招待」で提起された認識(近代思想からの脱却⇒新理論の構築⇒共認社会)が実現過程に入ったということです。
 
今はまだ萌芽の段階で、もちろん新理論と呼べるようなものは未だ登場していませんが、しかし確実に実現に向かう意識潮流の変化と、それに伴う業態革命とも言えるような大転換が進行中なのです。
 
 
よって次回の記事では、今進行中の「業態革命」とはどのようなものなのか、を扱っていきたいと思います。
 

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