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文明史④【3500年前~2500年前】 山賊・海賊によってつくられたギリシャ・ローマ

5500年前、イラン高原で最初の戦争(略奪闘争)が勃発 [1]

文明史年表③ 【4200年前~3500年前】 3800年前頃コーカサス~地中海沿岸で戦争の常態化→略奪集団だらけに [2]

 

に続き、戦争の起源追求を、るいネットから転載します。

「白人文明はギリシア・ローマに起源を持つ、世界で最も優れた正しい文明である」というのは真っ赤な嘘。ルネサンス期からこの捏造が始まっているが、彼らの祖先は野蛮な山賊・海賊。それを隠すためにギリシア・ローマを美化した上で、それが起源であると称している。そこでは共同体は完全に崩壊している。

参照:
245320 [3] 「ギリシア~ローマ史まとめ③
3200年前~2800年前 ラテン人の南下、ポリス成立」
241484 [4]「山賊・海賊によってつくられたギリシア・ローマ」
245353 [5] 「2900年前、海の民の侵略で地中海沿岸の部族共同体は崩壊」
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3500年前頃 印欧語族アーリア人(R1a)がインドに侵入。
3500年前頃 中央アジア(カザフ草原周辺)で騎馬技術が発達。

3400年前頃 クレタ文明の崩壊
ミケーネ文明のアカイア人が、クレタ島を落としてクレタ文明を滅亡に追い込む。(クレタ文明の崩壊については、3450年前のテラ島の噴火とする説や木材の大量伐採などの自然破壊を原因とする説もある。)

3400年前(~3100年前)頃 「海の民」=海賊の活動が活発化し、地中海沿岸の諸都市が侵略される。
3200年前頃には「海の民」によってヒッタイト崩壊(→高度な製鉄技術がヨーロッパ全域に拡散)。

3200年前(or3300年前?)頃 ギリシアのアカイア人が小アジア北西岸のトロイアを攻め滅ぼす(トロイア戦争)

3200年前(3400年前?)頃 印欧語族のラテン人(R1b)がイタリア半島に南下し、ラティウム地方=ローマ周辺に定住。

3150年前頃 ミケーネ文明の崩壊

※以上のように地中海の文明が次々に崩壊していった、犯人は「海の民」。ミケーネやヒッタイトによる過酷な奴隷狩り、その奴隷狩りによって逃げ延びた敗者が続々と登場する。彼らが海賊に転じていく。これが海の民の正体。彼らが地中海を荒らしまわって以降、3000年前にはこの地には略奪集団(山賊・海賊)と彼らが作った支配国家しか残っていない(部族共同体が崩壊)状態になった。

3150年前~2800年前頃 ギリシア暗黒時代

2900年前頃 印欧語族ドーリア人(R1a)がギリシアに南下。スパルタをつくる。
※その農業生産力は乏しかったためスパルタは略奪を国家戦略として生きてゆく。

2800年前頃 コーカサス北方の草原地帯に、遊牧騎馬国家スキタイ登場(この部族の出自は、セム族or印欧語族orトルコ族?)

2800年前頃 フェニキア人がカルタゴを建設

2750年前頃 ギリシャにポリス成立
海の民(アカイア人orアカイア人から分派したイオニア人)の残党が、ミケーネ文明都市の要塞跡に再び流れ着き、2800年前から各地にポリス国家(12国家に分散)を建設していく。中心はアテネ・ポリス。もう一方では、印欧語族ドーリア人がスパルタ・ポリスを建設。

アテネやスパルタなどのポリスは、中心市街に住む貴族や商人と、郊外に住む平民(農民)に分かれ、それぞれ奴隷を持っていた。大量の奴隷には、農作業を担わせていた。

2750年前頃 ローマの建国(伝説)
印欧語族のラテン人(R1b)がローマ周辺に都市国家を建設し始める。(※印欧語族ラテン人の南下は、この時期か?)始原ローマは、掠奪闘争に敗れた生き残りや、部族のはみ出し者の男達が集まり、ロムルスという指導者を中心に建国したことから始まる。彼らはまず、男だけの集団統合のためにも、女の掠奪を図る。

2700年前頃 アッシリア(セム系)がメソポタミア~エジプトを統一
2600年前頃(紀元前612年) コーカサス北方の遊牧騎馬国家スキタイによってアッシリア帝国が滅ぼされる

2500年前頃 ギリシャ平民の参政権を認める直接民主制へと移行
この時期のアテネでは、ソクラテスやプラトン、アリストテレスなどによるギリシャ哲学
一方のスパルタは、(アテネに対抗するため)市民男子への幼年期からの厳しい軍事訓練を課し、植民活動を盛んに行っていった。

※彼らの出自は海賊・山賊集団であり、そこでは共同体もその規範も完全に破壊されてしまっている。彼らの特殊性(自我 [6]の強さ、観念性の強さ・・・)も、彼らが海賊・山賊と考えればつながって来る。彼らの社会は規範では統合できない。観念によって統合するしかないためギリシャの詭弁家たちに象徴されるような思弁性が強くなった。

また、山賊(泥棒)集団を統合するには利益共認しかない。利益の山分けを求めて、逃亡奴隷や滅亡部族の生き残りが集まる。彼らを統合するには「戦利品は平等に分配する」という約束事=契約が不可欠である。実際、スパルタでは戦利品である土地は均等に分配されていた。これが現代に繋がる西洋人の平等観念の原点である。また、西洋人の一対婚の起源も掠奪婚発の一対婚(戦利品である女の平等な分配)にある。

2500年前 共和政ローマ
都市国家の一つであったローマがエトルリア人の王を追放、元老院と呼ばれる貴族(氏族長?)議会が政治を主導する体制に。すぐに平民の権利要求が強まり、平民会の設置や法律の制定が進んでいく。

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