- 日本を守るのに右も左もない - http://blog.nihon-syakai.net/blog -

カタカムナに学ぶ~宇宙を貫く安定と変異の原理はカム-アマの対向に由来する~

前々回「原始人類の宇宙観(宇宙球アマは無限世界カムに対する外圧適応態)」 [1]と前回「宇宙はアマのイノチ(=適応可能性)に満ち溢れている」 [2]で、
【1】生物(細胞)は外圧(外部世界)に対する適応態であるということは、その原象である有限宇宙球アマも外圧(外部世界)カムに対する適応態であること。
【2】カムのチカラという外圧がアマ始元量の循環運動という内圧を生み出し、宇宙の万象の原動力になっていること。つまり、宇宙そのものが外圧適応態であり、そこでも外圧(カム)=内圧(アマ)の原理が働いていること。
【3】アマのイノチとはカムという外圧に対する適応欠乏と可能性への収束力であり、アマの分身・名代であるアマナは先端可能性の収束先であり、可能性の結晶核であること。つまり、宇宙はアマのイノチ(=適応可能性)に満ち溢れていること(そのことを直観していたからこそ、原始人類が大らかで明るかったということ)を提起した。
今回は、『アマの分身であるアマナのオコナヒ』について書きます。
いつも応援、ありがとうございます。


%E9%99%B0%E9%99%BD%E9%81%93%E5%AF%BE%E6%A5%B5%E5%9B%B3.jpg
      〔陰陽道の対極図〕
以下の文章は、相似象学会誌『相似象』五号(1973年3月 シーエムシー技術開発㈱発行) [3]より紹介します。

第3章
●第十七句
カムナガラ ヨロヅモノシロ
アマネマリ ウツリカハリミ
ココロホミ スケシナギナミ
アマナミチ

因みに、カタカムナ人の用語は、
 ナリ(本性、 本来性)
 タチ(本質)……ナリタチ(性質、構成)
 ハタラキ(機能作用)
 イゴキ(運動)
 イキホヒ(エネルギー)←イキイブキ←カラミ←カムのチカラ
 オコナヒ(行動)……等に整理される。
 この句の概要の意味は、『カタチは見えないけれども(カムナガラ)、ヨロヅのモノに代るミのシロ(モノシロ)の、 アマネの微球(マリ)は、(九句アマネマゴコロ参照) いろいろのものに変遷し転換するが(ウツリカハリ)、それはそのアマのココロ(小粒子)に加着(ホ)して居る「ミ」があって、その「ミ」が、透明な(スケシ)粒子(ナギ)や波動(ナミ)の相(スガタ)になって持続(チ)して居るからである。それがアマナのオコナヒ(行動)のあらはれるアマナの「ミチ」である。』
 
 この示しは〈アマナ〉は、アマ始元量が潜態のまま凝集した「ミ」であり、原予核的存在として物質に内在し、その物質を、成り立たせる結合力となって居るが、そればかりでなく、物質がいろいろのものに変遷し転換するのは、(アマナ)に、そのような行勒(オコナヒ)のナリ(性)があるからである、といふ直観が基礎になって居る。則ち、第四号に述べたさまざまな物理現象は、〈アマナ〉のオコナヒである事を明かすサトリである。
(ココロ ホミ)
 アマ始元量から分けられたココロに加着親和(ホ)して居る「ミ」という意味で、ここでは(アマナ)をさして居る。
〈スケシ ナギ ナミ〉
 「スケシ」とは、〈アマナ〉は潜象であるから、加着(ホミ)して居ても、正体は透明で、人間の目に見えない、といふ意味である。したがって、(アマナ)はアマ(宇宙空間)に於ては、マの、粒子性や波動性の困となり、あるひは、マのユガミやシマとなり、又は現象の物質にホミして、さまざまなオコナヒを示す。しかしその正体は、恒に透明体(スケシナギナミ)である、といふサトリである。
▼我々が「純粋に自動的」な行勒と思って居る現象にもたとえば、宇宙に於る電気磁気の発生や、位置エネルギー、あるひは、輻射波や、諸天体の引力や、星座の運行等の現象にもカタカムナ人は、その「カミ」にある「ミ」を、直観して居たのである。
▼(オヨナヒ)とは、「運動(イゴキ)」や「作用(ハタラキ)」の概念と、少々異なる意味を表す言葉である。「運動」は他からのエネルギーの供給による位置の移動をいひ、「作用」はそれぞれに分化した器官のもつハタラキをいう。しかし、運動や作用の能力を具へて居ても、イザ現実に、今、それぞれの器官が、どのように動き、どの程度はたらき、どの辺で、どんな具合にストップするか?……そこまで、遺伝子内に、設計図が仕組まれて居る筈はない。遺伝情報や設計図のようなモノを発動する主体、つまり細胞の増殖にしても、胃腸の消化吸収作用にしても、それらの運動や作用の在り方を、刻々に決定し実行する能力は、個体の作用や運動の能力そのものではない。それは、目に見えぬ「イノチの次元の問題」であり、個体の内外環境に則応して〈イマ〉〈イヤ〉に生起する「ココロ (アマから分けられる小粒子)」に内在する「アマナ」のオコナヒ(ミチ)である、といふのがカタカムナ人の直観である。
アマナのオコナヒとは、ハタラキ(作用)やイゴキ(運動)とは異る、このようなアマナの「ナリ」を把握した言葉であると考へられる。そして、現実に繰り返へされるそのオコナヒ(行動)が、その「ミ」の「チ(持続)」則ち「道」となる、といふ思念である。それが〈アマナミチ〉のサトリである。

●第十八句
カムナガラ ヤホマガイガミ
ククミナミ ハエキヘシマミ
アマツソラ スケシナギナミ
アマナミチ

 
 この句の概要の意味は『カムナガラ、始元量の世界(アマツソラ)には、たくさんのマの歪みの状態があり(ヤホマガイガミ)、又、自由に変化する「ミ」 の波動(ククミナミ)の状態もある。そして、それらの状態が、発生(ハエ)消滅(キへ)をつづける、 縞や島(シマ)のスガタがある。それらは透明な(スケシ)ナギ(粒子)ナミ(波動)の(アマナ)のオコナヒ(ミチ)である。』
 この示しは、(アマナ)が、原予核的存在として、物質内に潜在するものであるばかりでなく、広域のアマ姶元量の世界(宇宙空間)に於る、「マの歪(イガミ)」や、自由に変化する「マの波動(ククミナミ)」や生滅を続ける「マの縞や島(ハエキヘ シマミ)」となるオコナヒがあり、それが〈アマナ〉のミチである、といふ直観が表明されて居る。

●第十九句
カムナガラ ウマシイヌマリ
ホホヒカリ コロミイキホヒ
トモカハリ スケシナギナミ
アマナミチ

 
 この句の概要の意味は、『カムナガラ、アマの徽球(マリ)の発生(ハエ)消滅(キヘ)や、そのマリに親和加着して(ホホ)、 ヒカリ(光)になったり、又、物質粒子(コロミ)や、エネルギー(イキホヒ)の、相互変換(トモカハリ)の基になって居るのは、 アマナのオコナヒである。則ち、そのスガタは、透明な(スケシ)淘粒子や波動(ナギナミ)の、アマナミチである。』 
 この示しは、(アマナ)のオコナヒが、マリの発生消滅や、光子の発生、又、物質の粒子とエネルギーの変換等の基であるが、アマナ自身は、つねに透明体で、それらの粒子や波動に親和加着して居る為に、人間の目には見えず、その発生消滅や変換のスピードが極めて早い(ヒカリ速度以上)ために、人間の意識にのぽらぬ事を、直観したサトリの表明である。

●第二十句
カムナガラ ツブミソラツミ
ハエツブシ イブキコゴリミ
ヨモカハリ スケシナギナミ
アマナミチ

 
 この句の概要の意味は、『カムナガラ、正の粒子(ツプミ)と反の粒子(ソラツミ)の発生(ハエ)消滅(ツプレ)の際に、エネルギー(イブキ)と物質粒子(コゴリミ)とが、相互変換する(コモカハリ)。それは、透明な粒子や波動のスガタの(アマナ)のオコナヒ(ミチ)である。』
 この示しは、(アマナ)のオコナヒには、正の粒子(ツブミ)と反の粒子(ソラツミ)の発生(ハエ)消滅(ツブレ)の際に、エネルギーと物質に、相互変換するスガタがある、といふ直観が基になって居る。
則ち、アマナのオコナヒは、原子核的存在として、正反の素粒子(電子、陽子中性子等・・・。)のそれぞれに加着(ホミ)して、相互変換を行ふスガタがある、といふ直観の表明である。

●第二十一句
カムナガラ アマネヒカリミ
ユレイゴキ イカツヌキアワ
カラミヌシ スケシナギナミ
アマナミチ

 (アヤネ ヒカリミ)とは、アマの根から発生したアマネキ光の「ミ」、則ち光量子の振動現象を意味する。
 (カラミヌシ)とは、カラミのヌシ、則ち、チカラの「ミ」の基、の意である。ヌシとは「見えない示し」の思念から「主」の意になる。ここは、陰陽電気粒子(イカツ ヌキ アワ)のカの基は、ヒカリのエネルギーであり、ヒカリはアマ始元量から発生する、という関係をのペた歌詞である。
 この句の概要の意味は、『カムナガラ、アマ始元量の根元(アマネ)から出た、アマネきヒカリミ(光量子)の運動エネルギー(ユレイゴキ)が、陰陽電気粒子(イカツヌキアブ)の、カの基(カラミヌシ)であり、それが、物質の質量に転換するのである。それは、透明な粒子と波動のスガタになる、(アマナ)のオコナヒ(ミチ)である。』 
 この示しは、正反電気粒子(サヌキ アワ)の力の根元(ヌシ)や、質量の根元(ヌシ)が〈アマナ〉のオコナヒにある、といふ直観にもとづいて居る。科学に於て未解明の分野を、美事に説明する直観が示されて居る。

●第二十ニ句
カムナガラ イカツマクハヒ
カラミキヘ イゴキヒカリミ
ヨミカエル スケシナギナミ
アマナミチ

 
 この句の概要の意味は、『カムナガラ、正反の電気粒子(イカツ)が結合(マクハヒ)すれば、電気粒子のチカラが変換して質量は消滅し(カラミキヘ)「光」の運動エネルギー(イゴキヒカリミ)が復活する(ヨミカエル)。それは、透明な粒子と波動の相(スガタ)となる (アマナ)のオコナヒ (ミチ)である。』 
 〈ヨミカエル〉「ヨミ」とは四つの「ミ」、則ち、ここでは「四光子」の意味であるが、ヨミカエルといえば「復活」の意になる。なぜなら、物質の発生過程に於て、アマ始元量からヨミ(四光子-イゴキヒカリミ)が出て、サヌキ アワの電気粒子になり、物質の質量に変換する。又、物質の還元過程に於ては、細胞や分子原子が崩壊して、イカツの正反(サヌキ アワ)等に分れ、サヌキアワが結合すれば、イゴキ ヒカリミ、(四光子-ヨミ)に帰る。つまり、「ヨミニカエル」といへば、物質系の終着的な「死」を意味するが、それは同時に、ヨミ(四光子)のイゴキヒカリミ(光のエネルギー)に復活することである。則ち「ヨミカエル」とはこのような発想から、蘇生の意味になったのではないか?
 
 この示しは、正反電気粒子の結合によって四光子の運動エネルギーが復元するといふ現象が、(アマナ)のオコナヒである、といふ直観を説明して居る。

●第二十三句
カムナガラ イカツヒカリミ
カハリアヒ ヒトシアマタマ
チカラヌシ スケシナギナミ
アマナミチ

 
 この句の概要の意味は、『カムナガラ、電気粒子(イカツ)と光エネルギー(ヒカリミ)との、相互変換(カハリアヒの現象は、透明な粒子と波動の相となる、アマナのオコナヒであり、このような物質とエネルギーの相互変換の場合のカラミヌシ(カの根元)と、宇宙のアマタマに於る、大きなチカラヌシ(カの根元)とは相似し、(ヒトシ) いずれも、全て〈アマナ〉の、(オコナヒ)である。』
〈チカラヌシ〉とは、アマの巨大なカの板元をさサ巨視的な場合の表現であり、「カラミヌシといへば、力が微視的な万物万象にあらはれる場合の表現になる。つまり、カラミのヌシはチカラのヌシである。(「カラミヌシ」はアマであるが、そのアマの「チカラヌシはカムであるといふ関係。」)
 
 この示しは、〈アマナ〉のオコナヒが微視的現象と巨視的現象に於て、いづれも、相似象(ヒトツカタ)である、といふ直観を説明したものである。

●第二十四句
カムサガラ アカミイカツミ
カラミアヒ マオヒトココロ
ワカレホミ スケシナギナミ
アマナミチ

〈マクミ イカツミ カラミ アヒ〉
「マクミ」とは、磁気素量のことで、イカツミ(電気素量)を巻いて発生する、といふ直観によって「マクミ」と名付けられて居る。マクミとイカツミとカラミ(力素量)とが、からみあって、磁気力、電気力等とよばれるチカラが発現する、という意味である。従って「磁子」といふものは存在しないが、「マクミ」「カラミ」といふ「ミ」は存在し、それはイカツ(電子)の位相の変換である、といふ見解である。
(アオ ヒト ココロ)
「アオ」とは「アマを生むオクの方」則ち〈アム-カム〉の潜象をさす思念であり、「ヒト」とは「ヒトツに統合されたもの」、則ちアオヒトといえば「アオから発生して、ヒトツのものに統合されたもの」といふ一般的な思念で、人間のみでなく、万象をさすわけであるが、そこから引伸して、アオアオ(青々)と生きるヒト(人間の肉体)、の意にとってもよいであろう。
(ワカレ ホミ)
とは、別々に(ワカレ)加着して居る「ミ」(ホミ)の意。ここでは〈アマナ〉のことである。則ち、電気、磁気、カの素量(ミ)は、いづれも、 それぞれに加着して居るアマナのオコナヒによって、異なった位相を呈するといふ直観である。現代人は電気や磁気やカのエネルギーを別々の要素として捉えているが、カタカムナ人は、それぞれの「ミ」、に加着して居るアマナのオコナヒによるものと観、潜態の故に(スケシ ナギナミ)、人間の目には見えない、と述べている。(遺伝や才能等の微妙な事実も、この「ミ」によるアマの機能の配分と観る。)
 この句の概要の意味は、『カムナガラ、磁気(マクミ)と電気(イカツミ)とカラミ(力素量)とが、からみあって、相互に変換するように、人間の肉体と心も、それぞれに加着して居る透明な粒子や波動の相の〈アマナミチ〉によって相互転換するのである。』 
 この示しは、一般に心霊現象等と謂われるものも、アマナのオコナヒであり、しかもそれは、磁気、電気、力、の各素量の変換の現象である、といふ直観の表明である。
 以上、カタカムナ人の〈アマナ〉に関するサトリによれば、現代人が、窮屈に、難しく、別々に考えている原子転換や、電気と磁気、物質とエネルギーの変換、精神現象、生命の発生等の問題も、極めて自由に、統合的に扱って居ることに驚かされる。則ち元素の変換も、原子炉や天体等の、高温高圧のもとに於てのみ可能なのではなく、人間や動植物の生体内や、土中などで、着々と、常圧下に行ほれて居る様相を、彼らは直観したのであった。後述の生活技法の数々も、そのような、彼らの闊達な発想によって展開されたものである。

以上のように、光量子と陰陽電気粒子と質量が相互変換しており、それはアマの分身であるアマナのオコナヒによるものであるということである。
ということは、アマナは変異を司っていることが伺える。つまり、カムの外圧に適応すべく、アマの分身であるアマナが変異可能性への収束を司っているのである。
しかし、宇宙(自然界)には変異性だけでなく、安定化の原理があり、両者が調和することで、宇宙は成り立っている。
実現論の『ロ.雌雄の役割分化』

従って生物は、一方では安定性を保持しつつ、他方では変異を作り出すという極めて困難な課題に直面する。その突破口を開いたのが組み換え系や修復系の酵素(蛋白質)群であり、それを基礎としてより大掛かりな突破口を開いたのが、雌雄分化である。つまり、雌雄分化とは、原理的にはより安定度の高い性(雌)と、より変異度の高い性(雄)への分化(=差異の促進)に他ならない。従って、雌雄に分化した系統の生物は、適応可能性に導かれて進化すればするほど、安定と変異という軸上での性の差別化をより推進してゆくことになる。

生物にも安定性と変異性という正反が重合しているが故に、生物は進化し適応することができる。 
とりわけ雌雄分化した生物は、その正反(安定と変異)をそれぞれ雌雄が分担することで著しい進化とより高度な適応態を実現させている。そして、雌には安定性だけではなく変異性が、雄には変異性だけではなく安定性が重合されている。このように雌雄それぞれにも正反が重合し親和しているからこそ、雌雄の差別化をより推進してゆきながらも、雌と雄が調和し、種としてのバランスを保つことができるのである。
また、雌雄分化以前の単細胞生物でも恒常性、つまり、生物の内部環境を一定の状態に保つ働きがある。ウィキペディア [4] 例えば、交感神経と副交感神経の拮抗がその一つである。
このように生物は、安定と変異が重合しているが故にバランスを保っている。
生物に限らず、自然界全体に安定化の原理が働いている。
例えば、
慣性の法則では、

止まっている物体に、力を加えなければ、そのまま止まり続けます。動き続けている物体に、力を加えなければ、そのまま動き続けます。これを慣性の法則といいます。もう少し物理的に厳密にいいますと、次のようになります。
わかりやすい高校物理の部屋 [5]

レンツの法則では、

磁界中で導体棒を動かしたり、電流を変化させると、その変化を妨げる向きに、導体棒に力が働いたり、起電力が発生したりします。この法則をレンツの法則と言います。
CHALLENGE from the VOID [6] 
ウィキペディア

このように、質量(引力)も電気力も磁気力も「変化を妨げる」「同じ状態を続けようとする」即ち、安定化する方向で生じる。つまり、質量(引力)にも電磁気力にも安定化の原理が働いている。
アマの分身アマナが変異を担っているだとすると、安定を担っているものがあるはずである。
「異性親和の相事象」から双極的世界(分化と統合の原理)が生れる [7]

(アマ)はすべての万象を生む始元であり、現象界に於ては、(アマナ)が物質構成のチカラの、究極的な原動として把握されて居る。しかしその(アマナ)は、(カムナ)の相似象である。つまりーアマナはアマの分身として物質内に入りこんで居る「内核」であり、潜象ながらあくまで球状的なもの(ミナカヌシとよばれ、原子核はその相似象)とされて居るが、(カムナ)の方は、いはば「外核」であるから球状ではない。したがって核的な名称ではなく「ホラミチ」とか「カクレホラ」等とよばれ(空洞はその相似象)、より高次元のものとして示されて居る。
(カム)は、アマの現象界の背後界であるが、同時に、カムはつねにアマと共役して居る。則ち、(カム)は無限に遠い客観背後界であるが、同時に、我々の細胞の中にも、原子の核内にも、アマナとして潜在し、アマナは刻々にカムナに通ひ、(アマ-カム)は、つねに、我々の「内外環境」となって居る。

変異性を担うのがアマナ(アマの分身)だとすれば、安定性を担うのがカムの分身(カムナ)ではないだろうか。つまり、アマナが変異しようとすれば、外的環境を司るカムナがその拮抗力(安定力)として働く。
このアマ-カム(アマナ-カムナ)の対向(拮抗)によって、宇宙(自然界)を貫く安定と変異の原理が成り立っているのである。

[8] [9] [10]