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探求型授業から考える、「力をつける」ではなく「力を引き出す」教育

私は塾講師という立場から普段生徒たちに、答えのない課題を追求してもらう中で「考える力、物事を追求する力」を付けてもらう教育を行なっています。生徒たちがこれから生き抜く社会は、与えられた課題を遂行する力のみではなく、自ら考え解決する力が求められます。

普段は歴史や人体機能の不思議などを追求する機会が多く、その中からまず思考の源泉となる「何?何で?」を考える力を伸ばす生徒を多く輩出しています。

その中で「生徒たちがこれから生きていく現実社会そのものを深く追求する機会がほしい!」という想いから、この冬休みに「SDGsを切り口に現代社会の潮流を掴む」をテーマに生徒たちと追求していきました。クラスは5歳~小学3年生までのクラスと小学4年生~高校生までの2つの年代の15~20名のクラスで実施。

生徒たちの様子から、様々な気付きがありましたが、何よりも、子供たちへの指導を見直さなければならない!ということが1番の想いとして残りました。

子供は完成されたものより「まだ答えのない未完成」を追求することでこそ本来の力を発揮する

授業の中では、SDGsとは何か?SDGsへの企業の実際の取り組みとはどのようなものか?の先に「今後先を生きていく企業の経営者として、企業の壁をどのように突破していくか。」を実際の企業を例にとり、事業立案を実施しました。

しかし、序盤は難航。例えば「お客様をお迎えする職員のマナーや礼儀作法がなっていない」という問題が出た際には、「1人1人がしっかりした礼儀を意識する」と出てきましたが、当然それでは社内問題は改善されない。意識だけであれば誰でもできるし思い付くが、実際を考えてみると人の意識もそこまで長くは続かない。もっと具体的な行動への落とし込みがないと突破できない。その現実を講師から突きつけられました。

これまで何かを提案する際は、自らがやる訳ではないから、「机上の空論、表面をなぞるだけ」の提案しかしてこなかった生徒たち。「ここからは厳しいかな?」と思った自分の想いは大きく裏切られました。生徒たちは諦めない!生徒たち同士のやり取りをそのまま紹介します。
<生徒たちの実際のやり取り>

生徒A「じゃあ、お客様を迎えるためのルールと、守らなかった時の罰則を厳格に決めよう。そうしたらサボらない。」
   ↓
生徒B「でも、お客様を迎えることは本来嬉しいことなのに決められたルールや罰則を作るのは気持ち悪い。お客様を迎えることが作業になりそう。」
   ↓
生徒C「じゃあ、そもそも気持ちいいマナーとは何かを学べばいい!人として大切なことや、されて嫌な事をそもそも知らないから礼儀もしっかりしないのだと思う。」
   ↓
生徒A「でも、そのためには具体的に何をするの?研修するとしてと、どれくらいのお金と時間が使えるの?」
・・・・・・・・・・・

と可能性が見えたらまた壁、そしてまた可能性を見出していく…と繰り返し重ねていく姿を見せてくれました。

子供たちはまだ完成しきっていないものを完成させようとすることに思考も意欲も最後まで止まりませんでした。特に子供たちが目に見えて進化する瞬間は、「壁にぶつかり、現実達成できるかどうかの瀬戸際」に立った時

答えのない課題を目の前にして、戸惑う子供たちも多いです。それは普段学校では答えのある課題に触れることが多く、思考が「目先の勉強」という視野のみにどうしても絞られてしまうことや、SDGsなどを例にとっても、表面をなぞるような抽象的な追求に留まってしまうからだと考えられます。

しかし、今回の経験から、子供たちは本来考える力もそれに必要な意欲も既に持っていることがわかりました。その子供たちのレベルの上限を決めてしまっているのは、その勉強自体や、大人が「子供はこのくらいならできるだろう」と設定した課題そのものにあります。大人であれ子供であれ、人の意欲や能力(内圧)は周りの環境圧力(外圧)の高まりと比例してしか成長しません。

つまり、「教えられるだけ、大人の要望通りの思考をするだけ」といった、子供たちが刺激を感じず、頭を使わない環境は、外圧を感じず、内圧も生起しない。むしろ、「子供の能力を引き出す場、リアルな現実に挑戦できる場」を用意することにより「力をつけさせるにはどうするか?」ではなく「力を引き出すにはどうするか?」という大人側の意識転換が将来を担う子供たちの育成において急務なのではないでしょうか。

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