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日本を変えるには、不整合感⇒徹底的な事実追求から

1945年の太平洋戦争敗戦から76年、そして1985年の御巣鷹山事変から36年。
この時期、原爆の日と、日航機の日と、終戦の日と、強烈な不整合感を感じる。

終戦記念日には、いつも天皇が平和を誓うような儀式が行われる。取って付けたようなセリフや式典ばかり。
しかし、戦争は貴方方支配者のマネーゲームであり、勢力争いだったのでは?

戦争とは巨大なマネーゲーム~太平洋戦争と天皇家の関係~ [1]


1985年の御巣鷹山事変、

そのわずか1か月後の9月にプラザ合意、その後の急激な円高、バブル経済。

バブル経済後、アメリカによる構造改革、小泉内閣の登場と郵政民営化、その後日本の経済力は落ち込む一方。日本は徹底的にむしり取られた。
起点となった日航機123便の墜落、一体何があったのか?

政府は、救助をわざと遅らせ、その間に徹底的に証拠隠滅を図ったことが判明している。
日航機の積荷として幾つかの物証が上がっている。

ブログ『(新)日本の黒い霧』の紹介−(8)JAL123便が運んでいた積荷の正体とは? [2]
ブログ『(新)日本の黒い霧』の紹介−(9)日本は事実上の核保有国? [3]

後は、読者の方の推理にお任せするが、それまで面従腹背していた日本政府が決定的な弱みを握られたことは間違いがない。

その後も、元日本航空客室乗務員の青山透子氏の地道な聞き取り調査(今年出版された『日本航空123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』)を始め、人々によって様々な疑惑が挙げられているにもかかわらず、政府もマスコミはほとんど取り上げない。天皇の終戦記念日の式典よろしく、型通りの報道ばかり。

 

太平洋戦争も様々な疑惑がある。
開戦すれば必ず負けると海軍は分析していた、誰がなんのために開戦したのか?

その開戦を決断した責任者であるはずの天皇が、戦後も居座り国体が護寺されたのは何故か?
戦後、マスコミも学者も政治家も誰も反対せずに国論が形成された。

どのような力が働いていたのか?

戦争中は、一方的にマスコミから大本営発表がなされた。戦後、“大本営”とは言われなくなったが、マスコミは歩調を合わすように同じ報道をしている。・・・本質は何も変わっていない。(現在のコロナ騒動も)

金(カネ)の力・・・最大の資力を持つ、日本の闇勢力が財界人や政治家や官僚を支配するのは極めて簡単。
かくして、国家権力の中枢は、常に権力亡者によって完璧に固められる。そして、政治家や学者やマスコミの中枢を完全に支配できれば、国民全員を騙し続けることも、難しいことではない。

※貧困の時代は、カネにすり寄っていく権力亡者が沢山いた。
1970年、豊かさ実現して、その時代構造は過ぎ去った。
カネや力よりも、人々が認めることが重視される時代になった。

だから、それ以降、マスコミが支配する時代になった。

 

★現在は、追求力の時代。
その構造が不鮮明なのは、マスコミ情報→大多数が思考停止されているから。

本来は誰もが認めることのできる「事実」、まともな人間社会であればそれが自然に広がっていく(はず)。

政治家・マスコミ・学者、力を行使している支配者ほど、古い力に溺れて、構造の変化がつかめていない。
それを変えるには、情報をうのみにしない、少しでも不整合感があればそれを追求するまで。
一定の事実と歴史構造が判明してくれば、ダマシの中に巣食う支配の存在基盤も消え失せていく。
その追求と事実蓄積を少しでも進めるのが、僕らの役目なのだろう。
(重要なのは、単発の事実だけではなく、構造として掴むこと。)

by Hiroshi

 

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