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新概念を学ぶ21~現代社会への問題意識と生物史を学ぶ理由~

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 これまで「新概念を学ぶシリーズ」では16回にわたって、生物の進化過程において生命の誕生から哺乳類、猿への進化をたどってきました。
 その過程で生命は外圧適応態として、可能性に収束し、逆境を迎えるごとにそれを乗越えて進化を続けてきました。中でも私達人類に通じる種の進化として、弱者ゆえに性闘争を極端に強化した哺乳類が登場し、その中でも齧歯類との生存競争に敗れた原モグラから原猿が登場しました。そして、原猿は本能を超えた不全という逆境の中で、新たな進化機能である共認機能を獲得し真猿へと進化したのです。
そして、「新概念を学ぶシリーズ17~20」では4回に渡り、近代社会にまで続く共認機能のしくみやその影に潜む重要な概念、「自我」の誕生について明らかにしました。
『実現論』「第一部 前史 ホ.サル時代の雌雄分化」のまとめ部分を見てみましょう。


まず『実現論』「第一部 前史 ホ.サル時代の雌雄分化」 [1]から引用します。

最後に、サルの婚姻様式について簡単に見ておこう。原猿は概ね原モグラと同じで、1匹の首雄に2~3匹のメスが集中する首雄集中婚が主流である。同時に注目しておくべきことは、原猿集団は首雄と数匹のメスとその子供たちによって構成される生殖集団であるという点である。もちろん、首雄が闘いを担う闘争集団でもあるが、重要なのは、この集団が雌雄の解脱共認によって成立し、統合されているという点である。もちろん、その解脱共認の中心を成すのは性的な期待と応望の共認であり、この様な雌雄解脱共認は、驚くべきことに闘争集団である真猿集団においてもその核として存続し続けるのである。
言うまでもなく、真猿集団は闘争共認によって統合された闘争集団である。しかし、戦力にならないメスたちは、その闘争集団の中央に、あくまでも原猿と同じ雌雄解脱共認の世界(=生殖集団)を形成し続ける。つまり、メスはあくまでも生殖集団を拠点とし(メスの生殖収束)、首雄との雌雄解脱共認を存在の武器とし続けた(メスの首雄収束)。従って、真猿の婚姻制も首雄集中婚が主流で、中央に首雄とメスたちと子供たち、その外側にオスたちという、絵に描いた様な内雌外雄の同心円の隊形を取る。この、あくまでも生殖集団=性的な期待・応望に基づく雌雄解脱共認に収束するメスの習性は、原猿・真猿・人類の極限時代、そして遂に闘争を放り出して生殖だけの家庭を不可侵の聖域として形成した現代に至るまで一貫しており、全く変わっていない。

 上記の『実現論』「第一部 前史 ホ.サル時代の雌雄分化」では、サル時代の雌雄が集団自我などを抑制し、集団を統合・適応してきたというまとめが記載されています。そしてその集団適合様式というのは、人類においても最基底部にあり、現代においてもまったく変わっていないのです。
 だからこそ、本来の姿はどうであったのか? 生物の進化史を学びながら紐解いてきたわけですが、ここで、改めて我々がなぜ人類の進化の歴史を学ぶのか、その根幹である問題意識を紹介したいと思います。
 
実現論:序・旧版「ロ.肉体破壊・精神破壊と市場の拡大停止」 [2]より引用

 いま市場は行き詰まり、多くの経営者が先を読めないでいる。経営者だけではない。政治家も、官僚も、学者も、マスコミも、これまでこの社会を統合する役割を担ってきた者たちの誰一人として、明確な変革の方向を打ち出せないでいる。なぜか?それは時代が、これまで彼らのやってきた小手先の改革で済むようなレベルを遥かに超えた、根本的な変革を必要としているからである。  
 
 市場の拡大は、大量の人工物質を生み出して環境を破壊してきたが、それらの人工物質は同時に人類の肉体をも破壊する。例えば、ガンの急増は、体内に摂取された人工物質による突然変異が原因である疑いが強い。更に、ホルモン様の人工物質によって引き起こされる精子絶滅の危険性に至っては、文字通り人類絶滅の危機である。
 だが、肉体破壊よりももっと致命的なのは、精神破壊である。市場の拡大によって、闘争の場(職場)と生殖の場(家庭)が分断されてしまったが、これは実は、生物史上かつて無かった極めて異常な状態である。全ての生物集団は、闘争過程と生殖過程を包摂した全的な集団として存在しており、全ての生物はその中で進化してきた。もちろん人類も、原始時代からずっとそれを踏襲し、闘争と生殖を包摂した全的な集団の中で、今日の人類に進化してきたのである。原始時代だけでなく農業生産の時代もそうであって、例えば農家は、今日の家庭の様な単なる生殖と消費だけの場ではなく、それ自体が一個の生産体であり、従ってそこには、自然圧力をはじめ様々な闘争圧力が働いていた。だから子供たちは、働いている両親の背中を見ているだけで(学校など無くても)、健全に育っていったのである。だが、市場拡大によって職場と家庭が分断され、かつ家庭が絶対不可侵の聖域となった(例えば、よく「企業が悪い」「学校が悪い」と糾弾されるが、「家庭が悪い」と糾弾されることは殆どない)ことによって、家庭には何の圧力も働かなくなり、その結果、家庭は子供を教育する資質をほぼ全面的に喪ってしまった。サラリーマン家庭が孕む教育不能という問題の深刻さは、当分の間は、まだ農家育ちの祖父母や両親が居たお陰で、顕在化してこなかった。しかし、農村から都市への大移動がほぼ終わった’70年以降、その致命的な欠陥が徐々に露呈され始め、とりわけ老人と共に農家時代の諸規範が家庭から消え去った’90年以降、若者たちの間に心の欠陥児が急増し、子供の精神破壊が恐ろしいスピードで進行中である。  
 
 これら環境破壊・肉体破壊・精神破壊は、その何れもが人類にとって致命的な問題であり、かつその何れもがもはや猶予ならない局面を迎えている。言うまでもなくこれらの問題は、小手先の対策で解決する様な問題ではない。この問題を解決する為には、まず徹底した原因分析が必要である。だが、人類滅亡の危機を真正面から捉え、真剣にその原因を分析し、突破口を提示しようとしている人はごく少数である。

 この問題意識の中でも、とりわけ深刻なのが、市場拡大によって職場と家庭が分断され、かつ家庭が絶対不可侵の聖域となり恐ろしいスピードで進行している精神破壊です。しかしながら、この危機的な諸問題に対して、根本的な原因分析を行い突破口を見いだせる人はほとんどいないというのが実情です。
 
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 この人類の危機的状況に対して、突破口を見いだすためには、生物史まで遡った原因と生物本来の有り様についての分析が必要不可欠となります。これこそ我々が生物史を学ぶ真の理由となっているのです。
 次回は、この諸問題から来る危機意識を元に、その原因分析を紹介してみたいと思います。

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