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ルネッサンスの科学(魔術)10 ~科学者の情報公開は、金貸しによる大衆支配の手段として始まった

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デッラ・ポルタ(この画像はこちら [1]からお借りしました)

前回は「ルネサンスの科学(魔術)9 ~資力支配という統合様式が工業生産⇒科学技術を必要とした」 [2]で、自然魔術の登場と並行して、機械論・要素還元論が復活し、この二つが融合することで自然科学につながっていくこと、そして、このような認識の変化の背景には、統合様式(支配様式)が武力支配から資力支配に変化し、その結果として、生産様式が変わり、統合観念も変わっていった事を紹介しました。

 今回は、山本義隆著「磁力と重力の発見2 [3]」より、「第一六章 デッラ・ポルタの磁力研究」を要約紹介しながら、支配様式が資力支配に変化することで、大衆を支配する法方がどのように変わったかを明らかにしていきます。

1デッラ・ポルタの『自然魔術』とその背景

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この画像はこちら [4]からお借りしました

 魔術研究の一環として磁石と磁力を広く実験的に研究したのはデッラ・ポルタであった。彼は貴族の家に生まれ大学アカデミズムとは終生無縁で1560年に「秘密のアカデミー」なるオカルト学会を組織している。これはその後の、近代科学アカデミーの先駆と見て良い。

 彼の『自然魔術』は一六世紀後半から一七世紀前半に驚くほど広く読まれた。文字通り全ヨーロッパの規模でのベストセラーであった。印刷出版業は市場原理に支配されていたのであり、確実に売れることが見込まれたのであろう。このことは、『自然魔術』が大学の学者や上級聖職者だけでなく、医師や商人や職人や官僚と言った新興の都市市民の間で広く読まれたことを意味している。

『自然魔術』はその大部分は都市市民の実生活における実際的な知識や技術の集大成であって、生活百科事典とでも言った方がその内容をよく言い当てている。本書はフィチーノやピコの影響を受けているが、彼らのように新プラトン主義やヘルメス主義や魔術思想をキリスト教に折り合わせる事に腐心しておらず、宗教的な問題意識は希薄である。

この時代は対抗宗教改革と異端弾圧が荒れ狂いおびただしい数の人たちが投獄され火刑に処せられた時代であった。デッラ・ポルタ自身、宗教裁判所への出頭を2度命じられており、魔術の宗教的な側面は背景に退き、その自然学的、技術的側面だけが前面だけに押し出された。読者層も新たに加わった都市市民にとっては、宗教生活にたいする関心より世俗的生活についての関心の方が上回っていた。

2 文献魔術から実験魔術へ

デッラ・ポルタは自然魔術を「隠れた事実の特性や資質、自然全体についての知識を提供し、事物の相同と相反、分離と結合を教えてくれるもの」と考える。ここまでは15世の自然魔術の踏襲である。彼のこれまでの論者との違いは、思弁的な文献魔術から実証性を重んじる実験魔術への転換を遂げたことにある。デッラ・ポルタは過去からの伝承の真偽を実験的に検証しようとした。

第七章のニンニクと磁石の相反なる関係は実際の実験によって明確に否定されている。この点、共感と反感の対応関係について古代以来の文献に何が書かれていても、彼は実際の実験による検証を優先する立場を採っている。デッラ・ポルタの特異性はその方法において実験的で実証的であり、その目的において実際的で実利的であることを、それまでのどの論者よりも強調している点にある。

そしてきわめつけは、「この学の専門家は金持ちでなければならない。金に不自由していてはこの分野では仕事にならないからである。私たちを裕福にしてくれるのは哲学ではない。哲学者として振る舞うには裕福でなければならない」という主張にある。

デッラ・ポルタは同じ自然魔術を論じていても、アクセントの置き方がそれまでの論者のものとかなり異なっている。知識は有用で役に立つ事柄の発見へと導くがゆえにこそ重要なのであった。

3 『自然魔術』と実験化学

 雑多な魔術実践の論述の中で、磁石、レンズと鏡と光学機器、流体静力学、空気、については、現代では初等物理学で論じられているいくつかのテーマが含まれている。特に、一七巻の光学の実験と理論は注目に値する。デッラ・ポルタが行った実験は、暗室の一つの壁に凸レンズ付の孔を開けて反対の壁に外の景色を結像させるもの(カメラ・オブスクラ)である。また、凸レンズと凹レンズを組み合わせたガリレイ式望遠鏡の初めての記述もあり、ケプラーは「望遠鏡はベルギー人によって最近つくられたのではなく、ずっと以前にデッラ・ポルタによって表明されている」と記している。
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カメラ・オブスクラ(この画像はこちら [5]からお借りしました)

 磁石について、実験的研究の一歩を踏み出したのは、通常の物理学史ではギルバートの磁石論が置かれており、ギルバートはデッラ・ポルタの自然魔術の内容をけなしているが、実際にはギルバートの研究は、その多くをデッラ・ポルタによっている。

4 『自然魔術』における磁力研究の概要

 自然魔術の第七巻は磁石と磁力の不思議についてあてられ、彼の自説を語っている。「私には磁石は石と鉄の混合物のようなものに思われる。鉄よりも石の要素が上回っている場合、単独では抗しきれないその中の鉄は、石に打ち負かされることがないように鉄の力ないし鉄の仲間を熱望する。そういうわけで磁石はその完全性を失うことなく鉄の友好的な助けを享受し、喜んで鉄を引付け、鉄は喜んで磁石に向かっていく。磁石が他の磁石を引付けるのは、石のせいではなく内に含まれている鉄のせいである。」

 デッラ・ポルタによるこの要領を得ない説明は、ギルバートによってぼろくそにこき下ろされることになるが、デッラ・ポルタによって始めて、磁力が鉄の性質に由来するものとされたことは注目して良い。

5 デッラ・ポルタによる磁石の実験

第七章三巻以降は磁石の実験の話になる。その大部分はペレグリヌスのものの追試で、磁石には相反する二つの極があり、それぞれ北と南を指すこと、磁石を分割しても必ず両極を持つこと、磁石が常に双極子として存在すること、磁力はその両端で最も大きいこと、磁石どうしを接触させても磁力が変化しないこと、磁石の異なる極は引き合い同じ極は反発することが語られる。

しかし、それだけではない。磁力が物体によって遮蔽されないことを確かめており、さらに、鉄だけは磁力を遮蔽することが示されている。また、磁石と鉄の引力は相互的でどちらか一方だけが他方を引き寄せるのではないこと明言されている。鉄と磁石は互いに愛し合っているのであり、近づけたならば軽い方が重い方に動いていく。この記述は磁力の作用反作用の法則の萌芽と言っても良い。ちなみに、磁力の作用反作用の法則を始めて実験的に示したのは、ニュートンである。
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磁気シールド(この画像はこちら [6]からお借りしました)

自然魔術を、それまでの磁石をめぐる議論から際立たせているのは、それまで千数百年語り継がれてきた俗説の正否を一つ一つ実験で検証したことである。その一つがニンニクを塗られた磁石はその力を失うというものである。同様に、ダイヤモンドが磁石の力を妨げるというプリニウスやアウグスティヌス以来、クザーヌスやポンポナッツィ、ビリングッチョやアグリコラまで語り継がれてきた説も誤りだと指摘している。ギルバートは同様なことを「磁石論」の冒頭で展開しているが、これを始めて実験で確かめたのがデッラ・ポルタであることは一言も断っていない。

6 デッラ・ポルタの理論的発見

 磁石についてデッラ・ポルタが発見した新しい現象は、鉄による磁力の遮蔽効果程度で、彼が確かめた事実は三〇〇年も前にペリグリヌスによって知られていたことである。第七巻で最も重要なことは磁石や鉄を引き寄せる磁力が遠隔力であることのみならず、鉄にたいする磁化作用も遠隔作用であり、さらには磁力が距離とともに減衰することを明確に語り、そのこととの関連で「力の作用圏」という概念を作り出したことである。

 それだけではなく、デッラ・ポルタは「私たちは磁石の引力ないし斥力を測定することが出来る」と語り、素朴ではあるが磁力の強さを定量的に測定する手段さえ考案している。これを、磁力の強度の距離による減衰と読み合わせるならば、磁力が魔術的で質的な作用から、物理学的で量的な力へと転換する決定的なその一歩をここで踏み出し、その後の物理学としての力の研究の進むべき方向を指し示したものと言える。

7 魔術と科学

 パオロ・ロッシは魔術と近代科学の違いとして、魔術の秘匿体質とエリート主義にたいする科学の公開制と民主性をあげている。しかし、科学がガラス張りで民主的になったのは、実際にはかなり後の事で、十六・十七世紀の段階では発見の先取権を確保する秘匿体質は科学の世界にも珍しくなかった。三次元方程式の解法を発見したタルターリアや膨大な天体観測を行ったチコ・ブラーエはその発見を私蔵した。この時代には魔術も科学もともに公開と秘匿の両面を有していたのである。
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錬金術師(この画像はこちら [7]からお借りしました)

 デッラ・ポルタの『自然魔術』は公開の側面がより多く見られる。市井の一般人に向けて書かれ、大量に印刷され、商品として市場で売られたものであり現実に大衆のための科学書として好評を博したのである。

 秘匿体質は魔術に限られる物では無く、信心深い中世そのものの特徴と言うことになる。自然の秘密は選ばれたものにのみ開かされるものであり、みだりに無知な大衆に知られてはならないという態度と、自然の秘密は誰にたいしても開かれるべきもので、それは明白な言葉で記されるべきであるという態度の違いは、自然にたいする中世的な態度と近代的な態度の違いに対応しているが、その区別が魔術と科学の区別に正確に沿っているとは言えない。

 デッラ・ポルタの『自然魔術』は、磁力の定量的測定の可能性を探ることで力の作用圏という概念を語り、数学的関数で表される力という近代物理学における力概念の理解への端緒を開いたと言える。のみならず、磁石をめぐる古代からの言い伝えを実験により否定し、自然認識にたいする中世的な秘匿体質から脱皮し、魔術の脱神秘化・大衆化を計ったことにおいて、『自然魔術』は近代科学を準備するものであった。デッラ・ポルタにより、ルネサンスの魔術思想は近代の科学技術思想にあと一歩の所に到達した。デッラ・ポルタにかけていたのは、個々の経験を分節化し体系づける観点と理論であった。

◆出版で自然魔術の情報を公開したデッラ・ポルタ

本書の著者は、デッラ・ポルタが実験により事実を追究し、これを出版により大衆に公表したことを高く評価し、デッラ・ポルタこそ魔術から自然科学の転換の重要な位置にいるとしている。

しかし、このことを別の視点から捉えると、デッラ・ポルタが行ったことは、それまでキリスト教スコラ哲学が教えてきた自然観の誤りをあばき、自然魔術の実際的な有効性を、出版を通じて広く一般大衆に浸透させたことだとも言える。

彼は、なぜそのようなことを行ったのであろう。14章で、金貸しがキリスト教会から現実世界の権力を奪うために二重真理説をつくりだした事を明らかにした。デッラ・ポルタは自身が貴族であり、お金がないものに科学は出来ないと公言し、近代科学アカデミーにつながる秘密のアカデミーを主催するなど、まさにキリスト教会から現実世界の権力を奪取しつつあった、金貸し勢力の1人であったと思われる。

16世紀のヨーロッパは、カルビンやルターによる宗教改革が起こり、イギリス国教会がカトリックから分離した時代であった。これに対してカトリック教会は対抗宗教改革を行い、イエズス会が登場する。また、マゼランの世界1周、アステカ、インカの征服などスペイン、ポルトガルが大航海時代の先陣を切り、そしてスペイン無敵艦隊がイギリス艦隊に破れたのが16世紀の後半である。

この時代のイタリアは、フランスとスペインがイタリアの領有をめぐって争い、スペイン国王であり、神聖ローマ帝国皇帝でもあったカール5世によりイタリアの主要な都市が支配された時代であった。ヨーロッパ全体で旧権力と新権力が激しく戦っていた時代と捉えて良いだろう。

◆情報公開は金貸しの大衆支配の方法だった

このような時代状況において、彼が画期的だったのは、出版=マスコミを使って、大衆を洗脳し、社会を金貸しの都合がよいように変えていくという、現代につながる金貸し支配の手法を実行し、成功させたことである。

キリスト教が大衆を支配した方法は、絶対神である神の教えを教会が独占することで、無知な大衆が教会に依存せざるをえなくする方法であった。それに対して金貸しが大衆を支配する方法は、マスコミを使って私権追究のすばらしさを囃し立て、洗脳して支配する方法だったのである

著者は、中世の魔術から近代の科学への移行の大きなポイントとして、秘匿体質から真理を公開する方向に進歩してきたと考えているようだが、この時代の新興科学者たちは正義感で情報公開を行ったのではなかった。両者の違いは、それぞれの大衆支配の法方が違うことから生まれているに過ぎない。この時代の科学者が情報公開に積極的だったのは、市場拡大のためにキリスト教支配を弱め、大衆の物欲を刺激する必要があったからだった。

『自然魔術』は、単にスコラ哲学の間違いを指摘するだけではなく、自然魔術を使えば、物的欠乏や快美欠乏を満足することが出来ることを提示して、大衆の欲望を刺激し、市場の拡大を加速することも実現している。

これ以降、金貸しは、本、新聞、ラジオ、テレビと情報量をどんどん拡大させながら、大衆の共認支配と、物欲の過剰刺激を強め、市場拡大を実現していったのである。

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