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米国の圧力と戦後日本史5 米国は占領中期には、半永続的に日本の民主主義を支配しコントロールする力を掌握した

米国の圧力と戦後日本史シリーズ4の前回の記事(「冷戦直前の占領政策。米国GHQの内部対立に翻弄される日本 [1]」)では、米国は民主主義のための観念を普及させる『装置』としてキリスト教を利用して支配を進めていたこと、しかしGHQ内も一枚岩ではなく、内部対立が存在し、その対立に翻弄されていた日本の様子が浮かびあがってきた。
今回は、米国による支配体制の確立と、占領政策の転換について見ていく。
※以下、文章引用元は全て「戦後史の正体」(孫崎亨)


■芦田首相が首相を辞めるだけでなく、逮捕されたのはなぜか?
芦田首相が辞職した後も検察は攻撃を止めず、東京地検は別容疑で逮捕状を請求(結局無罪)。その狙いは、芦田の政治生命を終わらせることだった。昭電事件には関係していない芦田は、近い将来首相に復帰する可能性が十分にあった。だから芦田が再び首相になって、謀略をしかけた勢力に報復する可能性を消しておく必要があったのである。
このように、不祥事で失脚した政治家は、米国とのあいだに問題をかかえていた。
芦田均   逮捕     →昭和電工事件
(在日米軍について「有事駐留」を主張)
田中角栄  逮捕     →ロッキード事件
(米国に先駆けて中国との国交回復)
竹下登   内閣総辞職  →リクルート事件
(自衛隊の軍事協力について米側と路線対立)
橋本龍太郎 派閥会長を辞任→日歯連事件
(金融政策などで独自政策、中国に接近)
小沢一郎  強制起訴   →西松建設事件、陸山会事件
(在日米軍は第七艦隊だけでよいと発言、中国に接近)
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つまり、自主路線を目指した政治家は、ことごとく不祥事で失脚している。その尖兵となったのが、東京地検特捜部であった。
失脚劇をお膳立てした東京地検、特にその特捜部は、その前身がGHQのために「お宝」を見つけ出す特別捜査機関である。東京地検特捜部は、日本の正当な自主路線の指導者を意図的に排斥する役割をはたしてきた。

特捜部は検察の一部門で、東京・大阪・名古屋にだけ置かれています。政治家の汚職や大型脱税事件、贈収賄事件など、政治的・社会的に影響の大きい事件だけをあつかう特別な組織です。一般的な刑事事件は、警察が捜査し・摘発し、検察が起訴しますが、特捜部が手がける事件は、最初から自分たちが捜査・摘発し、起訴する場合が多い。日本のような一審有罪率99.9%の国で、捜査・摘発と起訴を同じ組織が行うわけですから、特捜部がその気になれば、どんな事件だって作ることができます。
歴史的に特捜部は米国と深い関係を持っています。まず1947年、東京地検特捜部が占領下で、GHQのために働く捜査機関として発足します。
敗戦直後は、それまで旧日本軍が貯蔵していた莫大な資財が、さまざまな形で横流しされ、行方不明になっていました。1945年10月にはGHQ自身が、東京の三井信託の地下倉庫からダイヤモンドをなんと16万カラットも接収しています。
そうした不当に隠された物資を探しだして、GHQの管理下に置くことを目的に設置された「隠匿退蔵物資事件捜査部」が、東京地検特捜部の前身です。「GHQの管理下に置くことを目的にする」という点に注意してください。つまり、GHQのために「お宝」を見つけだす特別の捜査機関。それが東京地検特捜部の前身だったのです。

★米国による支配において、実際に支配していたのは、GHQのために作られた組織である東京地検だった。
★この東京地検の存在が脅しのように働き、政治家達を米国の都合のいいように操ることができる。時に、米国に盾突く政治家が出てきても、いつでも失脚させられる状況が出来上がっていた。つまり、これまでのように日本を弱らせておく必要はなくなり、むしろうまく利用する手立てが整ったことを意味している。
■冷戦構造下で、米国の対日戦略は、どう変化したのか?
米国の「日本経済を低水準にとどめておく」という政策は、1948年に変更される。それは、米国の世界戦略に大変化が起きたからといえる。

(米国ロイヤル陸軍長官の演説より)
○多くの米国市民にとって、ドイツと日本にたいする勝利に関して、失望していることがあります。それはわれわれの占領経費(が高額になっているということ)です
○占領の第一の目的は、日本がふたたび米国の脅威にならないようにすることでした。だからわれわれは日本が脅威にならないよう、その経済発展に様々な制限を加えてきました
○日本経済は、1946年には、1930年~34年の18%のレベルでした。47年でもまだ40%にしか回復していません
○日本で大量生産が再開されないかぎり、物資の不足がつづくでしょう

つまり、占領経費が高くつきすぎるから日本にある程度の経済的自立をあたえたほうがいいという主張である。

「日本の占領においては、将来極東で起こるかもしれない全体主義との戦争に対し、日本が抑止力として貢献することの出来るよう、自給自足の民主主義を作ることが目的です」

そして、冷戦下のソ連との戦いの中で、日本を防波堤として使うという考えが出てきた。米国の世界戦略が「日本とドイツが二度と立ち上がれないようにすること」から「ソ連に対抗すること」に変化したのである。それに伴い、将棋のコマとしての日本の扱いも変わり、日本の経済力、工業力を利用する方向へ舵をきることになる。
その結果、米国は日本の占領政策を大きく変えることになる。そして、戦犯に問われた人も、ソ連と対抗上必要となり、釈放され、政界に復帰。岸信介は、この流れを獄中で予想していた。
当然、日本の軍事力を解体することを目標としていたマッカーサー日本の軍事力復活を推すトルーマン大統領及び国防省とが対立。そして、1950年の朝鮮戦争を大義名分として、米国は日本の軍事力を利用することを決定する。共産主義の脅威が日本のすぐとなりの朝鮮半島で、侵略という形で起こったのである。だれもが日本の軍事力強化の方向に向かった。
それを受けて、マッカーサーが間接的に再軍備を許可。

「日本政府に、政府直属の国家警察予備隊七万五千人と海上保安庁要員八千人の増加の権限を与える」

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(写真はコチラ [2]
しかし、日本は、再軍備に積極的ではなかった。それを象徴するように、吉田茂は以下のような発言をしている。

「もし再軍備を強行すれば、日本経済はたちどころにその重圧の下に崩壊し、民生は貧窮化し、そこに共産陣営のねらいである社会不安が醸成される」

しかし、その日本の考えを後ろ支えしていたマッカーサーが、朝鮮戦争に関する意見の衝突により、トルーマン大統領によって解任されてしまう。結果、それまでの「非軍事化」「戦争犯罪人の処分」「民主化の最優先」を軸とした日本占領政策が終わりを告げた。その後は、公職追放令をゆるめ、25万人以上の追放解除を行い、鳩山一郎、石橋湛山、岸信介といった著名な政治家達が政治的権利を回復した。
★朝鮮戦争が勃発し、日本を軍事化するために、自主独立派の政治家を再び利用するという大きな方向転換がおこる。しかし、これらの政治家達は、米国からの独立を目指しているため、一筋縄ではいかない。この判断によって、彼らは後々の日米対立の火種となっていく
■1948年の時点で、米国は既に日本を支配し続けていく力を手中に収めていた
終戦から5年、1950年の時点で、米国の占領政策が、「貧困化・非軍事化」から「工業生産拡大・経済発展・再軍備」に大きく転換したことは注目に値する。教科書では、「朝鮮戦争によって、特需が発生し、自然とそうなった」としか書かれていないが、本当にそうだろうか?
この時代は、まだ米国GHQの占領下にあり、米国の意図無しに、何かが自然に成立することなどほとんどありえない。
では、米国の意図は何だったのか?
その大きな理由の一つが、「米国にとっての利益拡大⇒市場拡大」である。第二次世界大戦中、戦闘の現場とならなかった米国は、世界の工場として、ヨーロッパその他の地域に、農産物や工業製品を大量に輸出していた。これは、終戦後しばらくの間も続く。しかし、戦勝国ヨーロッパの復興が急速に進むと、ヨーロッパの自給体制が整い、米国からの輸入が先細っていく。これは、米国にとっての市場縮小を意味する。このことに危機意識を持った米国(特に米財界)は、新たな市場を探索し始める。そこで目を付けたのが日本であった。
占領初期、米国GHQは、日本の軍備解体と徹底的な破壊を狙っていたが、占領中期にあたる時期からは、今まで通りの占領方針を堅持しようとする派閥(GHQ=マッカーサー)と日本を経済発展させて新たな市場として取り込んでいこうとする派閥(米大統領=トルーマン)との分裂し、激しく対立する。結局、朝鮮戦争によって「日本の工業化・経済拡大」の流が決定されるのであるが、これは、市場拡大を絶対命題とする”金融勢力”が押し切ったと見るべきだろう。
以後、米国の占領政策の転換によって、日本は工業化・経済発展の道を進むことになる。そして、経済発展に伴って、米国からの農産物・工業製品の輸入が激増していくことになった。
しかし、工業化・経済発展はともかく、日本の再軍備を認めた、むしろ押し進めようとしたのは、なぜか?もちろん、日本の再軍備を認めることで、在日米軍の負担を減らし、経済的に楽になろうとした米国の意図は見える。しかし、ここで問題になるのは、なぜ「再軍備」を認め、押し進めることが可能だったのか、という点にある。常識的に考えれば、再び日本が米国の軍事的脅威にならないとは限らない。つまり、米国は、『日本を完全にコントロールする自信と力を、既に1950年の時点で持っていた』ことになる。
日本を完全にコントロールする力、その一つが検察支配である。
GHQの下請け機関として誕生した東京地検特捜部は、1948年の時点で日本の首相を引き摺り下ろし、逮捕できるまでの力を既に持っていた(昭和電工疑獄事件→芦田内閣総辞職)。つまり、総理大臣であろうとも、米国にとって都合が悪ければ、社会的に抹殺することが可能であった。
もう一つの力が、マスコミ支配である。GHQ占領初期1945年~1948年にかけて、全国の主要新聞はGHQによる事前検閲を受けていた。しかし、1948年からは事後検閲に移行する。1948年の時点で、日本のマスコミが、米国=GHQが何を求めているかを完全に理解したことを意味する。だからこそ、移行できたのだ。その尖兵となったのが、日本の知識人であった。事前検閲を担っていたのは、実質的に日本の知識人・学者であるが、事後検閲に移行する際に、彼らはばらばらに大学あるいはマスコミにおいて自主検閲体制を確立していく。
奇しくも極東軍事裁判が行われた1948年、占領後たった3年で、検察とマスコミという民主主義社会における二大権力を米国は支配し、さらにそれによって日本を支配する体制を確立していたことになる。
そうである限り、日本が再軍備しようとも、米国に刃向かうことを心配する必要は無くなる。そして、東西冷戦という(金融資本家が作りあげた)幻想の対立に巻き込み、市場拡大の一翼を担わせるメリットの方が大きくなる。
その狙いを秘めた米国(と、その背後にいる金融勢力)は、朝鮮戦争を作り出し、それを契機として、日本への占領政策を「工業生産拡大・経済発展・再軍備」へと転換させていった。
★米国による日本支配の力の源泉は、現在に至るまで検察マスコミであった。したがって、マスコミと検察の暴走を大衆の白い目圧力が包囲するとき、米国は日本を支配する力を完全に失う。脱米⇒自主独立の実現基盤がここにある。

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