2012年10月02日

天皇制国家の源流4~加耶勢力(天孫族第一派)が、出雲・近畿に先着していた新羅勢力(オオクニヌシ・ニギハヤヒ)を服属させた~

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地図(画像はこちらよりお借りしました)
前回、天皇制国家の源流3 ~朝鮮半島発の支配階級はどのようにして入ってきたのか?~
天皇制国家の源流3 ~朝鮮半島発の支配階級はどのようにして入ってきたのか?~
の記事で、以下日本の支配勢力の構造が提示されました。

日本は3つの支配勢力に分かれていました。
①朝鮮半島東海岸から出雲に入った新羅勢力→オオクニヌシ(国つ神)
②朝鮮半島南海岸から九州東部に入った加耶勢力→第一期天皇家(天孫族 天つ神)
③朝鮮半島西南側から九州北西部に入った百済勢力

今回はさらに、その詳細を紹介していきます。
『「日本=百済」説~原型史観でみる日本事始め』(金容雲著 三五館刊)「第二章 九州・畿内のカラ語の遺跡」より引用させて頂きます。

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【1】朝鮮半島南部から加耶勢力が九州北部へ侵入
半島から列島への移動は海峡の長さから考えて、船が自然に流れ着いた所が新天地であったというような偶然によるものではなく、組織的・計画的な渡海が大部分だったと考えています。
加耶は半島の最南端です。半島と列島の中間に当たるわけで、民族移動の流れからするとユーラシア大陸の終点であり、また列島への出発地なのです。
大加耶は鉄の生産地でもありました。昔から鉄をめぐっての戦いも多発していたはずです。
また大加耶の始祖は日本の国土創生神話の主人公イザナギ・イザナミ兄妹神と関連する人物と見られ、名は「イチアキ」で「イザナギ」に通じているのは偶然とは思われません。これは、紀元前2世紀ごろ洛東江流域を含めた大加耶の人々が戦いに敗れたかして、まさに天から飛び降りるような気持ちで、その建国神話を持って日本を渡ったことを示しています。大加耶一帯の地名もそのまま九州の地名に当てています。

当時の出雲も九州北部もクニでした。九州北部は出雲より大きなクニができる条件を兼ね備えていました。
邪馬台国の卑弥呼もカラ語の日女(メヘ)であり、九州の王たちが半島の王と共通の出自であることが推察できます。これら九州にあったと見られる国々が早い時期から海を渡り大陸の漢・魏などに外交使節を送っていたのです。
韓半島から日本列島への移動の波は幾度もありましたが、その中で地理的に一番有力なルートは、洛東江流域の加耶地域から対馬を経由して九州北部に渡るルートです。

★『日本=百済説』の著者である金容雲氏は「倭は日本にあった」という説を前提にして邪馬台国九州説をとっているが、「朝鮮半島からの流入民との融和をもたらした古代日本人の縄文的性質」で提起されたように、倭人とは、呉越戦争などの中国の戦乱で敗北して朝鮮半島南部に流れ着いた江南地方の越人である。
つまり、倭とは倭人=越人の居住地域、すなわち倭の拠点は朝鮮半島南部であった。ということは、下記の参考記事のように邪馬台国は朝鮮半島南部にあったと考えるのが妥当であろう。
但し、本国である朝鮮半島南部から倭(加耶)の勢力が、九州北部に渡り分国として支配していたというのは、金容雲氏が提起する通りである。

■参考投稿
【要約】『邪馬台国論争終結宣言』山形明郷著~③倭はどこにあったか?
【要約】『邪馬台国論争終結宣言』山形明郷著~④卑弥呼は遼東侯公孫氏の係累
【要約】『邪馬台国論争終結宣言』山形明郷著~⑤邪馬台国はどこにあったのか

【2】朝鮮半島東部から新羅勢力が出雲~北陸へ侵入
半島から列島に向かう民族移動の流れには、九州北部以外にも出雲地域があります。
列島の日本海側は古代の表玄関で、九州北部と並んで明治以後の横浜、また神戸のような地域だったのです。
出雲の神魂(かもす)神社は、イザナミ、イザナギを祭神とし出雲国造家の太祖アメノホヒ(天穂日)が天降り創建した出雲でもっとも古い神社と言われています。
韓国の天孫降臨の神話に扶余国家の始祖・解慕漱(ケモス)の物語があります。彼は天帝であり、自ら五龍車に乗って満州吉林省にある現在の扶余の地に降りました。この系列が扶余王家で、解姓を名乗り、その後孫から高句麗王が出ます。
ケモス(ヘモス・カモス)は太陽信仰族の最高神でした。ケモスは韓半島に入った騎馬民族の天孫降臨の説話・神話の中で最も古いものと考えられています。
日本列島には加耶系の高天原神話とは別に、れっきとした扶余系のカモスの天降りもあったはずですが、『記紀』から外されたようです。滅びた土地(国譲り)の神はまともに残れなかったのでしょう。しかし、ケモスの名は残ったのです。まさに出雲王朝の存在を示す証拠とも言えます。
神魂神社の近くには、スサノオを祀る熊野神社があります。スサノオは大蛇退治をした後、熊成にいたと言い伝えられています。それはまた、百済の地名でもあるのです。
スサノオは高天原で暴れ者になっていますが実際は迫害の対象で、主流の加耶系でない百済系であったようです。ケモス信仰族とスサノオは同系なのです。
オオクニヌシ(大国主)はスサノオの後孫となっていますが、むしろ、海を渡って来たスクナヒコ(少名彦)と共同して国づくりをしたところから新羅系とみられます。
出雲は、大和と同様に韓半島各地からの幾重にわたる征服王朝があったのです。
出雲は地理学的に見ても新羅人の集団居住地に適していました。また、海流と鉄・玉貿易などから加耶との交流もあり、多様な神々が往来しました。出雲をさらに北上すると能登半島があり、出雲と同じようにここでも半島からの船の往来が盛んでした。
国譲り、八岐大蛇退治、崇神天皇による神宝略奪、アメノホヒ(天穂日)の降臨など、出雲には何度も征服の跡があります。人口は九州にあった奴国の半分しかなく従って軍事力で劣り、しょっちゅう周囲の勢力から狙われました。
出雲には最初に定着したのが新羅系、その後、ケモス信仰を持つ扶余系・百済系のスサノオの征服があり、さらにその後、加耶の高天原の勢力によるオオクニヌシの国譲りがあったと思われます。

★『日本=百済説』の著者である金容雲氏は、スサノオが百済系であるという説であるが、『日本書紀』では、スサノオがまず新羅に天降ってから出雲に来たと書かれていることや、オオクニヌシがスサノオの後孫という関係から、新羅系である可能性が高いと考えられる。

【3】日本と朝鮮の神話の源流=扶余系「檀君神話」
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檀君(画像はこちらよりお借りしました)
ここで、扶余系神話を総括した檀君神話を確認しておきます。
古来以来、大陸から列島への民族移動の中継地であった韓半島には、常に複数の民族による小国家がありました。しかし、13世紀、モンゴル族の侵入は、初めて半島民族が一体であるとは自覚を促しました。檀君神話は、その自覚に基づいた民族神話で、それまであった各小国の神話を統合したものといえます。
檀君神話の内容は、「天孫の桓雄が太伯山に降臨し、熊女との間に韓民族の始祖檀君を生んだ。檀君は白岳山の阿斯達(アサダル)へ都を移した」というものです。
太陽(日)信仰の騎馬民族(天つ神)と土着の熊信仰を持つ農耕民(国つ神)の融合をもって檀君族(日韓族の祖先、檀は天と同じ音を持つ)のはじまりを象徴しています。阿斯達(アサダル)に移った檀君の父は日神で母は熊神です。つまり日と熊の両神を一つで檀君に表しています。
それが列島に来ると日神のアマテラス(天照)と熊神のスサノオの二柱の神に別れ、性転換までします。韓国では融合し、日本では分離しているところが大きな違いです。
阿斯(asa)は韓国語のアチム(朝)であり、檀君が阿斯達(アサダル)で開国して、後世の人がその名を漢字で「朝鮮」と書きました。韓半島では九月山(黄海道)から太白山(江原道)付近にも移動しながら新しい国をつくり、阿斯達(アサダル)の名前をつけています。
百済がいったん九州に定着した所の地名には「asa(あさ)」のついたものが多く、九州の百済人集団居住地とみなされている佐賀と熊本には有田、有明などの地名があり、阿蘇山もずばり阿斯達(アサダル)のことです。
韓半島からの移住者による日本列島開拓は九州からはじまり、稲作や鉄器文化が西から東へと伝えられました。地理的に細長い日本列島の中心は畿内にあります。また、畿内東部と琵琶湖を結ぶ地域には、鈴鹿など険しい山地が北アルプスまで連なっており、東西分断線の役割を果たしています。九州から瀬戸内海を一気に渡ると、そこに広大な河内、奈良平野があり、東西分断線がそれ以上の移動をいったん止める形になります。畿内を治めた勢力にとって東側は山脈にさえぎられるので、いったんは畿内が民族移動の終点にもなりました。何よりも当時の文明は半島と九州にあるので、畿内に定着した勢力は西国に目を向けていたのでしょう。

【4】出雲や畿内に先住した新羅勢力を後発の加耶勢力が服属させた
奈良(ナラ)は国の意で普通名詞だった。
半島から列島への移住者が畿内へ来ると、高句麗、百済、加耶、新羅系勢力のほとんどが定着を試みるようになったことが、そこの地名によく表れています。
奈良はずばり韓国語(新羅)語のナラ(国)です。新羅は国立神宮を奈乙(ナウル)神宮と呼んでいました。ナウルがナラに変化し「ナラ(国)」になったのです。
奈良は、寧楽または平城とも書き、710年以来74年間の都でありました。
しかし、元は新羅語の国という意味を持つ普通名詞だったと思われます。
先着したニギハヤなどの新羅系が平城京の奈良を国の意味で使っていたようです。
それが加耶系、百済系と王朝が変わると、百済語の「クニ(国)」に変わります。

ある時期まで新羅語のナラと百済語のクニが一緒に使われていたのだと思われます。
加耶勢力はまず、九州の北部に邪馬台国をつくりましたが、百済系、加耶系の支配階級はともに扶余系で、百済が辰国の直系馬韓を受け継いだところで分かれたものとみえます。しかし、加耶系の移動経路にはヤマトの地名が多く、加耶連合のうちの一つに弥烏邪馬(ミオヤマ)があり、九州には卑弥呼の邪馬台などがあります。
奈良の「あすか」と「やまと」の地名は初めて加耶系の王が大和に、そして継体王朝が飛鳥に定着したことでも一致しています。白岳山付近の地、阿斯達(アサダル)から出発した檀君族が大和、飛鳥に到達したのです。高句麗・百済系は定着地の地名「アサカ」(阿斯達アサダルから転じたもの)、加耶系が「やまと」を好んだということがわかります。百済、加耶系は、それぞれ河内や奈良の地名を残しました。地名は、扶余系の民族移動の経路をよく表しているのです。

【まとめ】
【1】最初に日本に入ったのは、九州北部に侵入した朝鮮半島南部の加耶(倭)勢力である。
【2】それに続いてor同時期に、朝鮮半島東部から新羅勢力が出雲・北陸に渡り、続いて畿内に侵入。

引用文中に出てくるニギハヤヒとは、『記紀』において神武東征に先立って大和に先住していた勢力である。
また、新羅の元王族とされるアメノヒボコは但馬・丹波・播磨地方を縄張りとした。
【3】新羅勢力(国つ神)が支配していた出雲・畿内を北九州の加耶勢力(高天原の天つ神)が征服し、服属させた。これが出雲の国譲りと神武東征であり、天孫族(天皇家)第一波である。
(注)『日本=百済説』の著者である金容雲氏は、神武天皇=崇神天皇が同一人物である説をとっており、これは妥当であろう。
この過程で、新羅勢力の中には服属せずor追われて、東国(中部・関東地方)に逃げ延びた勢力が相当いるはずである。
例えば、出雲(新羅勢力)のタケミナカタなどである。タケミナカタは出雲の国譲りの際に、高天原のアマテラス(加耶勢力)配下のタケミカズチと力比べで負けて諏訪湖まで逃げ、諏訪大社に祀られている。
この東国に下った新羅勢力が、その後の東国の武士勢力を生み出すの母胎となったのではないか?
【4】その後、朝鮮半島西部から百済勢力が九州北西部~畿内へと侵入する。
これが応神天皇以降の第二期天皇家となりますが、百済勢力が侵入過程は次回以降、紹介します。
★出雲や奈良は、新羅・百済・加耶の勢力が入れ替わりながら統治をしていた歴史が見えてきます。
奈良のことを、新羅勢力は国の意味で「ナラ」と呼んでいたが、百済勢力になると「クニ(国)」という読み方に変わります。
ということは、新羅語と百済語には違いがあり、新羅勢力と百済勢力は別系統の部族である可能性があります。百済勢力が扶余系(高句麗と同系で、ツングース系?)とすると、新羅の出自は何なのか?
ここに、新羅と百済の違いの源流があるように思います。

天皇制国家の源流5へつづく・・・☆

List    投稿者 yoshi23 | 2012-10-02 | Posted in 04.日本の政治構造8 Comments » 

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コメント8件

 www.instyler.biz | 2014.03.01 21:34

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 低乱 | 2014.03.06 20:28

どこにでもあてはまる。
素人の思考停止を狙うなら打って付け。
なかなかどうして賢いご様子( ̄∇ ̄)ですな

 www.safesafetyglasses.com | 2014.03.07 1:13

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