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経済学の騙しの起点、スコラ哲学(トマス・アクィナス)

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トマス・アクィナス
画像はこちら [1]からお借りしました。
ドミニコ会の神学者トマス・アクィナスが、私権拡大の可能性が開かれた中世末期の西欧において、私権の現実と私利私欲の肯定を図ったことは既に述べた。
そして、彼らスコラ学派は近代科学への道を開いただけではなく、近代経済学の源流でもある。
具体的には、トマス・アクィナスらスコラ哲学派は、私利私欲の追求やや利息を肯定し、その後の近代経済学の源流となったのである。
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「金貸しは教会と結託して、国家を支配した」 [2]で、中世金貸しとキリスト教会の結託について、『金融VS国家』(倉部康行著 ちくま新書)から、次のように紹介した。

手形取引を「発明」したのが中世イタリアの商人であり、それを利用して富を蓄積したのがイタリアの銀行であった。それは、中世キリスト教社会において必ずしも歓迎されなかった「金利の受け取り」を巧妙にカモフラージュして、交易決済と融資という要請を一手に引き受けるという画期的で実利的な高金利ビジネスを生み出したからである。
当時の神学者たちがこの取引が高利貸しにあたるかどうか、悩んだのも無理はない。金利を邪悪視したのはイスラム教だけではなかった。キリスト教もまた、高い利息を稼ぐ金融取引は神と自然法に背くものとして禁止していたのである。12~13世紀には、高利貸しがキリスト教徒として埋葬されるのを教会から拒絶されたという話も伝わっている。
結局ローマ教会は、為替手形による取引は為替リスクをとった商いだとして、高利貸しではないとの判断を下した。そして、それは銀行と教会との距離感をより緊密なものにしたといえるかもしれない。金融機関は、教会が彼らのビジネス上のきわめて重要なパートナーになることを悟っていく。同時にこの社会的権威による金融の「認知」は、お金のビジネスが国際的に飛躍するための貴重なステップとなったのである。

さらに、金貸しが利息をとることにお墨付きを与えたのが、トマス・アクィナスを始めとするスコラ学派である。
「古代派とスコラ学派」 [3]から紹介する。
まずスコラ学派は私有財産を肯定する。

西洋文明における経済の研究は、もっぱらギリシャ人が始めたものだ。特にアリストテレスとクセノフォンが中心で、それ以外の作者もちょっと貢献している。こういう人たちを、ここでは「古代派」と呼ぶことにしよう。
「スコラ学派」は、13-14 世紀の神学者たち、特にドミニコ修道会の聖トマス・アクイナスを中心とする一派で、12 世紀のイスラーム学者たちの手によるギリシャ哲学再興を受けて、カソリック教会の教義を確立した。経済学の領域だと、スコラ学派が特に関心を持っていたテーマを4つ指摘できる。財産、経済取引における正義、お金、利息だ。
キリスト教の教義と私有財産の共存は、昔からあまりすわりのいいものじゃなかった。5 世紀には、初期キリスト教教会の父祖たち (たとえば聖アウグスチヌスなど) が「共産主義的」キリスト教運動を打倒して、教会自身がすさまじい財産を蓄えるようになった。12世紀には、アッジシの聖フランシチェスコが貧困と「兄弟愛」の誓いに固執する運動 (「フランチェスコ会」) を創始して、教会の蓄財傾向を批判した。
フランチェスコ会に立ち向かったのは聖トマス・アクイナスとドミニコ派で、かれらはアリストテレスと聖書から、フランチェスコ会の批判を蹴倒すだけの議論を掘り出してきた。トマス派は現実主義的な立場をとった。かれらは、私有財産は「伝統的な」人間の取り決めであり、特に道徳的な意味合いは持たず、さらにそれは経済活動を刺激して、ひいては一般の福祉向上にも資するという素敵な副作用まであるんだよ、と主張した。
トマス派は、だからといって自分たちはあらゆる私的事業を盲目的に認めるわけじゃないと断り書きはした。「奢多の愛」は深刻な罪ですよ、とかれらは論じた。かれらは、人は単に神の財産の「管理権」しか持たず、財産を「公共の利用」に供するべきだと強調もした。さらに、どうしても必要な場合には盗みも正当化されると主張している。

次に、価格が公正か否かという問題である。

もう一つ生じた問題は、企業精神の問題だ。商人が、価格のちがいで儲けるのは許されるべきか? スコラ学派は、条件つきでイエスと答えた。
条件としては、商人は純粋な儲けだけを動機にしてはならず、ちょうど商人の労働コスト(犠牲)に相当するに足るだけの利益しか得ない、ということ。さらには、交易者は、まったく寄生虫なんかではなく、価値あるサービスを提供していて、各種のちがったニーズを満たすことで公共の福祉を高めているんだ、と論じた。

「取引における正義」の問題はもっとややこしかった。アリストテレスは『倫理学(ニコマコス倫理学)』でこれを「分配的正義」の応用問題として採り上げている。財の公正な交換比率(つまりは公正な値段)は人にとってのその財の内在的価値に比例すべきだ、という。
トマス主義者たちは、アリストテレスの考え方を聖書と折り合わせようとした。
アリストテレスは、人々のニーズはちがっていて、だから有用性の度合いもちがうと主張していて。多くのスコラ学派はこれを採用した。これで、時間と場所が使えばある財がちがった価格で取引されて構わない、ということが正当化できるかもしれない。さらに、なぜ小麦粉は小麦からできるのに、小麦より価値が高いのか、ということも説明できそうだった。

自発的で不正がない取引により決定される価格であれば、基本的には公正な価格であるとトマス・アクィナスは見なしている。幻想共認によって買い方と合意形成がされれば、その価格は公正であるということであり、トマス・アクィナスは幻想共認による価格格差の正当化に道を開くことになった。
幻想共認による価格格差については「私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である」 [4]参照。

この幻想共認(幻想への可能性収束)によって作り出された、市場商品の価格と一般農産物の価格との価格格差こそ、市場拡大のテコとも原動力ともなった市場の秘密の仕組みである。そこでは当然、農耕の労働価格は、幻想商品の労働価格にくらべて、異常に低くなる。この価格格差の秘密こそ、途上国が一貫して貧困状態に置かれ続けてきた真の理由であることは、いうまでもない。

次いで、スコラ学派は利息をとることの抜け道となる理屈を考え出した。

貸したお金に対する利息は、すぐに厳しい検討の対象となった。キリスト教の教典には、利息の禁止をはっきりと根拠づけるものはない。利息に対する最も有名な禁止令は「見知らぬ者に対しては利息を付けて貸しても良いが、汝の兄弟に対しては利息をつけて貸してはならない」(民数記、23:20)というものだ。聖ジェロームなど初期の教会創始者にとって、キリスト教の「すべての人は兄弟である」という発想は当然ながら、利息はすべて禁止されるべきだ、ということになる。別の patrician である聖アンブローズは、正義の戦争において敵に利息付きでお金を貸すのは許される、と決定した。
司祭たちは、利息付きの融資を 4 世紀以来禁止されていたけれど、この禁止はずっと後まで一般人には適用されなかった。1139 年に第二次ラテラノ公会議は、改悛しない高利貸しにあらゆる秘蹟を拒否して、1142 年のお触れでは、元金以上の支払いをすべて糾弾した。ユダヤ教徒とムーア教徒(かれらはキリスト教徒の土地では異人だった)は、最初はこの禁令の対象外だったけれど、第四回ラテラノ公会議 (1215) は非キリスト教徒が「過剰な」利息を課すのを禁じるお触れを発表した(そして暗黙のうちに、ほどほどの利息は認めた)。1311 年に教皇クレメント五世が、ウィーン会議で利息そのものを禁止して、それを認める教団の規定をすべて「異端」として糾弾した。
トマス主義者たちは、この議論に二つ抜け穴を用意しておいた。
もしお金の貸し手がリスクを負うなら、あるいは貸すことによって別の利益のあがる機会を見逃している場合には利息は許される。

前者の抜け穴は、固定金利の債権保有者と、利益分配型のパートナーシップへの投資家とを区別するためのものだった。でも、あらゆる融資では、常に最低でも必ずデフォルトのリスクがあるわけで、そうなると厳密にいえば、利息はどんな場合にでも認められることになる。
第二の抜け穴は、インフレ期(貸し手が明らかに損をする)に利息を課すのを許すよう意図されたものだった。でも、これをあっさり濫用する可能性はずっと大きい――「別の」儲かる資本の使い道があるという議論は、あらゆる場合に主張できるものだからだ。
もちろん、いつだってこれを迂回する手だてはある。遅延の罰金、mohatra 契約 (「再購入条項」), contractum trinius 等々――これらはキリスト教世界でもムスリム世界でも広く使われていた――は実質的に、金利つき契約を実現するものだった。利息の禁止は、貸し付けによる資金調達をややこしくしたが、終わらせたわけではない。
禁令はやがて、サラマンカ学派による教義改訂と、1600年代半ばにおけるプロテスタント諸国での段階的な許可を経て、やがて廃止される。

このように、ドミニコ会、トマス・アクィナスやスコラ学派は私利私欲の追求、そのための幻想共認による価格格差や利息を積極的に肯定した。
それに対して、フランチェスコ会(経験論の祖ロジャー・ベーコン)は私有財産も利息にも否定的で、ドミニコ会と対立していた。ドミニコ会とトマス・アクィナスは金貸しに都合よくキリスト教の教義を換骨奪胎したのに対して、フランチェスコ会はキリスト教原理主義であると言える(フランチェスコ会の正体については、次の記事で明らかにする)。
そして、私利私欲を肯定したスコラ学派(ドミニコ会)は、16世紀にはスペインのイエズス会を中心とするサラマンカ学派として、近代経済学の源流とも言うべき思想を唱え始める。サラマンカ学派の神学者たちは、流通貨幣量が景気に影響を与えることに気づいていたと言う。
『ウィキペディア』「サラマンカ学派」 [5]

16世紀、サラマンカ大のサン・エステバン神学院を拠点に、ドミニコ会士を中心にイエズス会・アウグスチノ会の会士も加わっていた学派(ドミニコ会学派)と、17世紀~18世紀の同大学サン・エリアス神学院を拠点とするカルメル会士の学派(カルメル会学派)に2大別され、ともにトマス・アクィナスの神学に基づく研究を行った。狭義の「サラマンカ学派」(Salmanticenses)は後者を指すが、前者のドミニコ会学派は、当時顕在化していた価格革命の影響やインディアス先住民の問題に対応して活発に経世論を主張したことから、現在の国際法学・経済学の源流の一つと目されている。

経済学の源流
1535年、ビトリアがトマスの徴利(利子の徴収 / usura)論に関する講義をおこなったことをきっかけに、ドミニコ会学派における経済理論の研究が盛んになった。ビトリアを引き継ぎ経済理論を本格的に展開することになったソトは「公正価値論」を主張、さらにナバロ(マルティン・デ・アスピルクエタ)はソトの理論をもとに貨幣数量説・購買力平価説を構築(特に彼の貨幣数量説は、一般にこの学説の始祖とされるジャン・ボダンに時期的に先行するものである)、最後にモリナが貨幣論・価格論を集大成し、経済学派としてのサラマンカ学派の知名度を一気に高めた。
彼らは、「生産コストに基づく公正な(客観的)価格」というスコトゥスの学説を否定し、「公正な価格」とは自然な交換によって確立された価格以上でもそれ以下でもないと定義づけた。そしてトマス・アクィナス以来の自然法論に基づき独占を否定する一方で、徴利や為替取引については宗教倫理上の理由からする非難をしりぞけ肯定する立場をとった。彼らの経済理論は、スペインその他の西欧諸国が直面していた物価騰貴(価格革命)の原因を説明し、そうした現実とスコラ学(トマスの教説)の調和をめざすものであった。

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「アダム・スミス」
画像はこちら [6]からお借りしました。
そして、18世紀の経済学者アダム・スミスもスコラ学派の思想を受け継いでいる。
『劇場国家日本』「中沢新一の緑の資本論」 [7]

十三世紀が大きな転換点となった。キリスト教はこのとき、資本主義に対するストッパーをおそるおそる解除しはじめたのである。そのためにはまず、資本主義の草分けである未来型の商人、高利貸たちにはめられていた足かせがはずされなければならなかった。「公正」の理論と「煉獄」の思想が、それを実現した。一神教の世界に、このとき決定的な変化が発生する。
十三世紀、トマス・アクィナスの時代になると、スコラ学者たちの論調に微妙な変化があらわれだし、重要なのは高利一般を断罪することではなく、いったいどの範囲の利子付き金融なら許されて、どのあたりを超えるともはや許されなくなるかという、「公正」の理論を練り上げることに、彼らの関心が移ってきたのである。
スコラ学がこのときつくりあげた「公正」をめぐる一種の道徳哲学は、いずれアダム・スミスを通して、古典派経済学の心臓部に流れ込んでいくことになる。スコラ経済学は、利子(利潤)が資本主義と呼ばれる新しい経済システムを生み出していくことを、予感していたふしがある。そのおかげで、古典派経済学はスコラ経済学から、思考法の鍵をそっくりいただくことができたのである。
シュムペーターのような優れた現代経済学の研究者は早くから、古典派経済学の骨格に、トマス・アクィナスなどのスコラ学者の経済論が、大きな影響を及ぼしていたことを理解していた。
アダム・スミスの経済論は、よく知られているように、その基礎を重商主義ではなく、道徳哲学のなかに持っていたが、この道徳哲学のなかに「自然法」をめぐる哲学者たちの業績を媒介として、滔々とスコラ経済理論が流れ込んでいるのだ。「重商主義を迂回して、トマス・アクィナスからアダム・スミスに通じている、絶えることなき道筋が存在すること」(飯塚一郎『貨幣学説前史の研究』)を確認することができるとするならば、西欧近代の経済的現実のなかに、スコラ哲学的に理解された一神教の構造が潜伏していることは、もはや疑いがないだろう。
キリスト教的一神教と古典派経済学(さらには、西欧における生産・流通・分配の構造そのもの)の間には、いままで考えられてきた以上に、深い本質的な関係が存在しているのではないか。私たちは、これまで明らかにされることのなかった、神学と経済学を結ぶ「見失われた環」を再発見するための探求をはじめる必要がある。

さらに、19世紀の新古典派経済学派とか限界効用学派と呼ばれるオーストリア学派に属するハイエクやシュンペーターも「経済学の創始者は(ヴェーバーが説くような)カルヴァン派の教説ではなく、スコラ神学者やイエズス会のサラマンカ学派たちだ」と語っている。
経済学の騙しの起点は、人間の欲望が無限に拡大するという前提だが、それを最初に捏造したのもトマス・アクィナスらのスコラ学派である疑いが濃厚である。
13世紀スコラ学者ジョルダーノ・ダ・リバルトは、次のように説いている。
「多くの聖者は、極めて富裕であった、彼らは富の塔をよじ昇ったが、しかも神に一層近づいた。彼らは富を多く持てば持つほど、天に一層近づいたし、その故に神に感謝し、神を一層仰ぐようになった」「資本主義精神論に於けるスコラ的立場」(重藤威夫 1943年) [8]
これはトマス・アクィナスを始めとするスコラ学者の共通見解であり、
彼らのとって地上の富を獲得することは、天上の神へ向かって無限の階段を昇ることなのである。
こうして、金貸しと聖職者たちの飽く無き私利私欲の追求こそ神へ至る無限の階段だとスコラ学派は正当化したわけだが、それは彼らの欲望が無限だと言うのと同義である。
このスコラ学派の正当化観念こそ、人間の欲望は無限に拡大するという経済学の騙しの起点であろう。

このように、スコラ哲学→経済学は、金貸しと教会の野合の産物なのである。

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