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共同体社会の実現に向けて-21 ~実現論序6 新時代を開くのは、共同体企業のネットワーク(その2)~企業の共同体化を妨げているのは、古い観念

こんにちは。
前回の記事『共同体企業とそのネットワークの可能性』では、共認社会を作ってゆくには共同体企業のネットワークが不可欠である事を見てきました。
今回は、共同体企業およびそのネットワークを作ってゆくにはどうすればよいかを掘り下げてみたいと思います。

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まずは応援よろしくお願いします。


ありがとうございます。

◆企業の共同体化を妨げているのは、古い観念                 
このような意識潮流or土壌のなかから、共同体志向の企業も次々と生まれてきている。
しかし共同体志向の企業は決して多くはない。まして、明確に共同体を目指す企業は、ごく少数である。
それは何故か?
時代が未だその段階まで来ていないからか?それとも、単に古い認識から脱却できずに、認識転換が遅れているだけなのか?
共同体企業として先行する類グループの実感のなかから、その答えを導き出してみよう。

これまで「共同体企業」という言葉が何度となく使われていますが、果たしてどのような企業が「共同体企業」と言えるのでしょうか?
単に「共同体」というと、農村共同体や、未開部族などの共同体がイメージされます。共同体は、権力体とは対局にある集団であり、集団組織課題や生産課題に対して成員みんなで役割を担い、運営している集団です。一方的な命令により物事を決定していくのではなく、共認原理に則り、集団として可能性が感じられる方針をみんなで決定し、その実現に向けて取り組んで行きます。共同体とは「自分たちの生きる場を自分たちでつくる」集団であると言えるのではないでしょうか?

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一方、現在の企業はどうでしょうか?みんなの意識としては、共認原理に転換しているにも関わらず、生産や社会課題を担っていく場である企業は、依然として序列原理で統合されている企業がほとんどです。そのような状況では、社員の活力も100%引き出せるわけがありません。そのことに気づいた一部の企業では、序列原理を撤廃し、「自分たちの生きる場を自分たちでつくる」ことができる企業を目指しています。これらの企業こそが『共同体企業』です。現状ではまだ数は少ないですが、みんなの意識に合致しているのは、私権企業ではなく共同体企業なので、今後は増えていくと思われます。

我々は、’72年、類設計室を設立し、これまで水準以上の利益率を維持しながら、いくつかの新事業を加えて拡大してきた。
そのことが実証しているように、貧困が消滅し私権が衰弱し始めた’70年の段階で、すでに共同体を建設することは可能だったのである。
追随する企業がほとんどいなかったのは、共同体を導く新理論が存在しなかったからだろう。  
しかし、実は私は、この40年近い期間、「共同体の時代である」と感じたことは一度もない。ようやく「共同体の時代がきた」と実感できるようになったのは、’10年である。
それは、潮流が変わったからであるが、おそらくそれは、’02年、私権収束を導いてきた私権観念(私権を正当化してきた観念群)が瓦解し、人々が収束先を見失って収束不全に陥ったところが起点になっている。
それ以降、一気に潜在思念の期応収束と課題収束が強まると共に、近代を貫いてきた否定(意識)と要求(意識)も息の根を止められて終息した。
このとき共同体は、本当の実現過程に入ったと言えるだろう。
ただ、それが、会議体制に代わる社内ネットの活性化として開花するのに、さらに10年近くを要したということだろう。
実際、共同体志向の企業が目に見えて増えてきたのは、’02年以降である。

 
 
2002年辺りから、大企業の破綻などにより私権原理ではうまくいかないことが実感され始め、もはや活力源たりえなくなった私権の追求に代わって、人と人の関わり合いを活力源とする共認時代への転換が顕在化してきました。
これにより、集団も資本力の様な私有権力で統合するよりも、皆(仲間)の共認によって統合する方が上手くゆくようになります。つまり、集団を統合するには権力統合体ではなく共認統合体の方が適した時代となったのです。
類グループでは、時代の変化を予測し、設立当初(40年前)から共認統合体を実現するシステムとして、全員が取締役となって経営に参画する合議体制をとってきました。
しかし、序列原理ベースの指揮系統を残しており、そしてその指揮系統はもはや効力を失って機能しなかったため、例えば自身に都合の悪いことは隠蔽できてしまうという状況が発生していました。
こうした状況に風穴をあけたのが、皆の評価を羅針盤にした社内ネットなのです。
「開かれた場」=「ネット空間」に全てを開き出し、皆の評価を羅針盤として行動すれば、真に共認原理に基づいた強い組織となるのです。
社内ネットには、業務報告だけでなく日々の嬉しかったことや、こうしたら上手く行く!!といった成功体験も発信され、社内全体に充足の空気は広まり、社員皆がより共認充足を求めて社内ネットに参加するようになっています。
結論!!充足発信の無い社内ネットでは上手くいかない!! 
  
類グループでは、日々の充足投稿があるからこそ、社内ネットが皆の高い成果を生み出す起爆剤になっているのです!!

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以上から判断して、共認収束を強める人々の潜在思念の出口に蓋をし、その前進を妨げているのが古い観念であることは明らかであり、従って、各企業が一直線に共同体に向かえないのも、認識転換が遅れているからに過ぎないと見ていいだろう。
従って、旧観念に代わる新しい認識さえ与えられれば、中小企業を中心に多くの企業が共同体への転換を模索し始めるだろう。
また、原発災害を契機に、多くの経営者が守りに入ったが、危機対応策の一つとして、そろそろ共同体企業のネットワーク化を考えるべき時期にきている。これも追い風となるだろう。

●上記に【新しい認識が与えられれば、多くの企業体が共同体への転換を模索し始める】とありますが、それは何故でしょうか?
・・・それは『新しい認識』は現実に役立つ、指針になりうる認識だからです。
素直に吸収しようとすれば誰でも、新認識に可能性を感じるハズです。事実の歴史構造を解明し、現在の社会構造や意識潮流を整合させた『新しい認識(言葉)』は、誰にとっても納得出来る認識です。
その様な言葉を使ったほうが、企業の成員全員の潜在意識にフィットするので、共認形成がうまくいくのは自明ですよね。そして、組織全体の活力上昇に繋がります。
※「新しい認識」の具体例としては、とことん現実を突破しようとするベクトルに貫かれている『実現論』 [1] がその筆頭。
●また最後に【原発災害後の危機対応策としての共同体企業ネットワーク】との記述がありますが、これはどういうことでしょうか?
・・・それは、不十分極まりない現政府をはじめとした危機対応策はもとより、また家族や所属企業という単位集団では限界がある対応策を、超える可能性があることを示唆しています。
1.事実情報収集→共有
・原発災害が収束に向かわない大きな根本原因は、『事実』はどこにあるのかが、不鮮明極まりないからです(事実情報を隠蔽する体制の問題も含め)。事実が曖昧だから、対応を誤る。
そもそも原発は必要だったのか?
事故の状況はどうなのか?
対応策は論理的に正しいのか?・・・あらゆる位相で『事実』がグラグラ。
広範囲のネットワークなら、多様な事実情報が集まり⇒分析⇒方針化の精度も高まるでしょう。
2.相互協力(助け合い)と『超市場』
・非常時に単位集団だけで生活に必要な物資を全てまかなうのは困難です(特に都市部)。そこで、生産(仕事)場面での協力関係を紐帯として、助け合える仲間企業が存在する事は、大きな安心材料となり、生活や生産活動を継続してゆくことが可能となります。
・また、震災後の危機対応として、ペットボトル規格と製造工程が共通化されました。かつては、市場原理のもと、各企業が『差別化』競争を繰り広げていた訳ですが、それは非常時の障害でしかなく、全体でみれば甚だ非効率で生産性が低い事も露呈しました。新しいネットワークは、現在の市場の矛盾と限界を超えて、新しい生産の場をリードしていく事につながっていくでしょう。
3.圧力形成
上記2つが実践されれば、ネットワーク内での相互期待の圧力が高まり活力も上昇してゆきます。最終的には、既存の統合階級(学者、官僚、マスコミ)に対する強い「圧力源」となり、状況改善されていくことも期待されます(現在は、デモやツイッターなどで圧力形成しても、状況は改善されていないのが実情)。
※ネットワークの広がり度合い(数と内容)が、社会にむけた共認形成力を左右します。なるべく早い段階で企業ネットワークを拡げて行きたいですね。

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今日見てきたように、企業を共同体化し、ネットワーク化することには、大きく捉えると2つの意味があるようです。
ひとつは、私権の終焉に伴う共認充足基調の顕在化に応え、活力に溢れる共認社会を作り上げてゆく中核になりうること。
もうひとつは、断末魔状態の私権の暴走による社会の混乱を収束させる決定打になりうること。
どうでしょう?あなたの会社も共同体企業にしてみたくなったんじゃないでしょうか?
次回は企業を共同体化するための具体的な方法について触れてみたいと思います。
ではみなさん、飛んでくる花粉に気をつけて。さようなら。

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