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11/27なんでや劇場レポート(2)~人類の婚姻制もみんなの最大期待(⇒統合軸)によって規定される~

11/27のなんでや劇場レポート第2弾です。
前回は、共同体社会の構成単位=原点となる集団が、なぜ家族(生殖集団)ではなく、企業(闘争集団)なのかを明らかにすべく、雌雄分化にまで遡って、生殖集団と闘争集団の関係性をみてきました。
そこでは、外圧に適応するために生物は雌雄に分化し、雄は雌や子供を守るため=生殖のために闘争する。そして、雌雄の性引力によって集団が形成され、生殖集団を守る闘争集団という関係が形成される、ということが明らかになりました。
今回は、みんなの最大期待が集団の統合軸となるという視点を踏まえて、人類の婚姻史を再度、構造化し、家族ではなく企業が共同体社会の原点となるのはなぜかを明らかにしたいと思います。
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11/27なんでや劇場2 人類の婚姻制もみんなの最大期待(⇒統合軸)によって規定される [1] より紹介です。

みんなの最大期待が集団の統合軸となるという視点を踏まえて、人類の婚姻史を再度、構造化する。
原始時代(極限時代)の婚姻制は首雄集中婚だったかどうかは、未だ確定していないが、採集生産時代は、豊かな採集部族は群婚(グループ婚)制となり、自然圧力が厳しい狩猟部族は、首雄=族長という資格を一段下に拡張して頭数を増やした勇士集中婚を形成した。そして私権時代は一対婚である。
このように、人類の婚姻制度は各時代ごとにめまぐるしく変わっているが、人類の婚姻制を規定しているのは何なのか?
採集部族の群婚制、狩猟部族の勇士婚だけを見ると、婚姻制度も生産様式によって規定されているかのように見えるが、その見方は本当に正しいのか?
例えば、一対婚は農業生産という生産様式に規定されたものだったのか?
農業生産だから一対婚になるという論理は繋がっていないし、実際、農業生産の時代でも日本の夜這い婚など、一対婚ではない事例もある。
私権時代は万人が私権第一であるが故に一対婚になった。つまり、私権獲得というみんな期待⇒私権統合という社会の統合様式に規定されて一対婚になったと考えた方が整合する。
つまり、婚姻制を規定するのも、みんなの最大期待⇒集団や社会の統合軸なのである。
支配階級の私有権は絶対不可侵だが、庶民の私有権は剥奪され得る [2]」で示したように、大衆の私有権など、権力者の都合次第で簡単に剥奪されるものだが、それでは人々の共認が得られないので「万人に私有権がある」「私有権は絶対不可侵」という騙しによって、私有制度が法制共認されたにすぎない。一対婚も同様で、全ての男に女が平等に分配される一対婚でなければ、女の獲得が最大の欠乏である私権時代の男たちを共認統合することができなかったからである。
狩猟部族の最大期待は闘争期待(獲物の確保)であり、だからこそ闘争能力の高い勇士に女が集中する勇士婚になった。いつでも食糧が手に入る採集部族では闘争期待は衰弱し、充足期待が第一となる。そこで充足の中心である性の充足が最もふんだんに味わえる群婚制となった。
もちろん、みんなの期待を規定する一要因として生産様式があるが、直接的には、人類の婚姻制度を規定するのは、みんなの最大期待(⇒統合軸)なのである。
これは実現論を塗り変える重要な認識である。

生産様式でも婚姻制度でも、人類を貫く統合軸は、“みんなの最大期待”です。よって、生産様式と婚姻制度は同じ軸上で貫かれているものとして相互に関係はしているものの、お互いがお互いを規定してしまうほどの関係ではないというわけです。
この“みんなの最大期待”をとらえるには、集団みんなにかかっている圧力が何なのかが重要なポイントです。
この視点を踏まえて、未だ明らかになっていない原始時代(極限時代)の人類の婚姻様式が何かを考えていきたいと思います。
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では、原始時代(極限時代)の最大期待は何か?
もちろん闘争期待はあったはずだが、誰も歯が立たない、凄まじい自然圧力に晒されていたのが極限時代の人類である。
そんな状況下で、生きる希望を失わないために、エネルギー源としての充足の追求が日常的には第一期待となり、だからこそ人類は充足機能(ex.性や踊り)を発達させてきた。
しかし、充足だけでは凄まじい自然外圧に対する答は出せない。
そこで人類が収束したのが精霊信仰であり、人類は生存課題の全てを本能⇒共認⇒観念(精霊信仰)へと先端収束させる事によって、観念機能(→言語機能を含む)を発達させ、その事実認識の蓄積によって生存様式(生産様式)を進化させていった。
つまり、人類集団のみんなの最大期待は精霊信仰であり、それは宇宙や自然の声を感じ取り、宇宙と一体化する行為である。極限時代のみんな期待が宇宙との交信にあったとからこそ、霊感能力の最も高い婆さんがリーダーとなったのである。
10/30なんでや劇場1 原始人類集団のリーダーは、精霊信仰⇒祭祀を司る女であった [3]参考
そこでの婚姻制度は、チャネリング能力を前提とした全員婚(共時婚)であっただろう。
∵チャネリングSEXでは意識の持ち様で何にでも同化することが可能である。極限時代は、チャネリングSEXによる性的エクスタシーを媒介にして全員が宇宙に意識を向け、宇宙との交信を試みたのではないだろうか。
採集部族の群婚もグループごとの全員婚であり、極限時代の全員婚の名残だと考えられる。現存の採集部族や縄文人の末裔である日本人にもチャネリング回路は残っているが、勇士婚の歴史の長い狩猟部族はチャネリング能力を失っている可能性が高い。

自分たちではどうしようもない、凄まじい自然圧力に晒され続けてきた人類。
今までの機能(本能・共認機能)では、対応し切れない状態の中、新たな機能=観念機能(精霊信仰)に収束することに一縷の望みを託した人類。
そのみんなの期待が、婚姻形態においても、全員婚(チャネリングセックス)を生み出しました。
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以上は、原始人類の婚姻様式が首雄集中婚という従来の説から、全員婚説に変わるという大きな認識転換であるが、元々の問題である「なぜ、家族ではなく、企業が共同体社会の原点となるのか?」の答えは次のようになる。
集団は外圧に適応するためにあるという観点からみると、次代をつくる資格があるのは、同じ空間において闘争圧力が働いている集団ということになる。然るに、サラリーマン家庭には闘争圧力は全く働いていない(圧力が働いているのは別の集団=企業においてである)。つまり、現代の家庭には、集団の本分たる外圧適応という条件を喪失しており、だからこそ次代をつくる資格はないということになる。従って、共同体社会をつくる母胎は外圧適応態である闘争集団=企業ということになるのである。

外圧に適応することが集団の目的。この目的をなし得るかどうかで考えた場合、無圧力空間の家庭は、生殖があったとしても、本当の意味での集団足り得ないということですね。
では、次回からは、もう1つの問題提起『共同体とは何か?』を明らかにしていきたいと思います。

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