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カタカムナに学ぶ ~日本人のもつ平衡感覚(秩序収束力)の起源は宇宙(アマ)の摂理~

Posted By yoshi23 On 2011年10月4日 @ 11:03 PM In 未分類 | 3 Comments

ヨーロッパの金融危機も佳境に入り、いよいよ日本にもこの波が押し寄せてきそうな気配です。崩壊の近づいている資本主義社会の次の社会を考えていくためにも、日々可能性を追求し学び続けていきましょう!
そこで今日は、カタカムナに学ぶ ~カムナガラノミチと日本語の起源~ [1]に続きまして、カタカムナに学ぶシリーズ第2弾『日本の上古代史』を紹介していきます。
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以下の文章は、相似象学会誌『相似象』五号(1973年3月 シーエムシー技術開発㈱発行) [2] より引用・要約したものです。

●「良いものはヨソから来る」という心理の起源 
 「日本の文化は、ヒトマネに始まり、何もかも外来の文化を受け容れ、それを日本的にアレンジしたものだ」という通説が横行している。この良いものはヨソから来るという「舶来上等」の日本人にこびりついた屈折した思考パターンは一体どこにその端を発しているのだろうか?
 これは天照大神の神勅に端を発しており、「我」なる神の子孫が「ヨソ」から来た者であると、はからずも、みずから露した言葉にあろう。「ヨソ」というのは、その神の在した「天」であり、その神の子孫(天孫)を天降したまはったお陰で、この日本の地が、はじめて幸せな国土になったと古事記では設定されている。
 
 その「天」とはどこで、「天孫」とは誰であったか?その詮議はともかくとして、その「神」の子孫が「天皇」となって、連綿と皇統がうけつがれると共に、天皇の位につかなかった「神」の子孫の一部は、原住民の中に降下して、混血し、同化し、後代の我々日本人民の中に、交じりあってしまったことは間違いない。したがって、後代の我々日本人にとって「祖先」とは天降った神、則ち、ヨソから来た外来の種族の祖と、先住していた種族の祖との両方があるわけであり、少なくとも「天孫降臨」とよばれる事件より以前に、既に現在の日本の地に、かなりの人間が、先住して居たという事実は、みとめざるを得ない。
 
 おそらく、外来の種族は、智能も体力も優秀で、ことに戦ふ事にかけては、原住民は一たまりもなく敗けたであろう。抵抗する者は追はれ、やがて、統一国家が成立してみると、さて、そのようなタイプ人々は、必ず同族間の権力争いを起こさずに居られぬもので、当分の間は、血みどろの、熾烈な、陰惨な闘争が、繰り返されたに違いない・・・。
 
 しかし、数に於いて絶対多数の原住民達は、性来、争いを好まぬタイプであった。政治の上層部の人々も次第に、自分たちのそのような状態が、人心を離反させることを考慮し、反省せざるを得なくなり、要するに、強力な外来の征服者は、弱かった被征服者の、原住民の心情に同化され、相似しなければ、支配者の位置を、保ち続けることが不可能となって、遂に、天皇は、時の政治権力とは別な、国民の精神的な「親」として、則ち、平和の象徴の存在として、いつの間にか全く「日本化」し、それによって今日まで、世界無比の、長い、万世一系の王朝の歴史を、持ち続けるに至ったと想われる。
この事は、実は、少しも恥づべき事ではない。むしろ勝者として、最も賢明な、生存のチエであった、というべきであらうし、日本という民族の土壌のもつ、強い強い生命力による同化現象であったと考えられる。
 
 しかし、勝者に真の聡明さがあれば、堂々と、その経過の事実を、歴史に公開してもよかった。しかるに、日本の、この時代の歴史は全く欠如し、古事記日本書紀の記述のみが、公的な記録として、のこされて居るという事は、何か、この間の事情を、そのままに後世に公表することを、はばかる考慮が、時の権力者に、強く働いた故と推察される。そして、こうした不明朗さが、少なからず後世の日本人の、精神的ヒズミの、因となったのは事実であろう。

このことが顕しているのは、『日本人の受け入れ体質』が争いで人々を統治しようとする時の支配者の意識変革を促すほど力をもっていたという事実です。
【参考】日本人の受け入れ体質
6/5なんでや劇場(11)~(12) 支配階級の属国根性と、「お上」のことなどどうでもよい庶民の感覚 [3]

日本の支配階級には、民の生活第一という価値観が底流として存在したのも事実であるが、それは次のような理由からである。
朝鮮から来た支配階級にとって、縄文人は信じられないくらい素直で従順であり、ほとんど戦争をすることなく、支配体制が受け入れられてきた。世界の常識では当たり前の、力の原理に物を言わせて従わせるということが、縄文体質の世界では全く不要なのである。これは世界的に見ても極めて特異なことである。すると、支配階級の側も力で制圧するのではなく、縄文人たちと仲良くやった方が得→庶民の生活が第一という意識が形成されてゆく。このように「みんなのため」「民の生活第一」という発想が日本の支配階級の間で形成されたのも、庶民大衆が縄文体質だったからである。

では、この力の源泉となっている『カタカムナ人のサトリ』に迫っていきましょう。

●カタカムナ人のサトリ
 
 「自分たちは、天皇のおかげで、又、親のおかげで、安穏に暮らして居られる。それはアリガタイことだ。しかし、どんなに天皇が有難くても、天皇や親のおかげだけで、「私」が生まれたのではない。太陽や水や空気や土なども、皆アリガタイものだ。しかし、そのような自然界の、物質だけで私が生まれたのではない。「もっともっと大きなチカラが、そのカミにある。」「それをわすれたらバチが当る」「モッタイナイ」・・・このような風に感じるのが「カタカムナ的心情」であり「オテントウ様に申訳ない」などと言って居ても、べつに太陽が対象というわけではない。こうした発想自体を、一概に、原始宗教、多神教、一神教等に直ちに結びつけて解釈してはならない。現代人の考えるような自然崇拝、太陽崇拝、偶像崇拝の類でもない。
 
 おそらく、どの民族に於いても、何万年か前の頃の人々には、これに共通する感覚があったに違いない。唯、日本民族の場合は、それが無意識の哲学として日本語の裡に定着する程深い伝統になって居た。則ち、そのような発想自体は、神秘思想でも宗教でもないが、後代の、どんな宗教をも神秘思想をも受け容れうる、幅をもつものである。
 
 このような民族的な姿勢は、「天皇」の存在を、最高の有難い対象と信じこませる事を、何よりも政治の大前提であるとする、外来(天孫族)の指導者にとっては、一種の「危険思想」とうつったのであろう。
 
 カタカムナ人のサトリは、親や太陽が、有難くないというのでは決してない。親も、太陽も、水も土も、・・・皆、それぞれ、それ相応に、なくてはならぬ有難いもの(モロカゲ、サチ)である。唯、カタカムナ人のサトリは、いかに有難いものであってもそれが至上、絶対であると思い込むことのない最も「アタリマエ」な天然自然の理を直感した哲学である。
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※縄文土器の模様は、天然自然の理:宇宙のらせん構造をモチーフにしていると言われている
(画像:http://www2.ttcn.ne.jp/kobuta/bunnka5/b250.htm)
 しかるに、外来の、新しい支配者には、このカタカムナのサトリの真意が、つかみきれなかった。又あるいは、当時の日本の民衆の方にも、このようなカタカムナのサトシの伝統は薄れ、人々の意識は低調であったのかもしれない。
 そこで、時の指導理念によって日本人の、上古以来の精神的なパターンのスリカエが、強引に行われた。・・・「何よりも、どんなものよりも、有り難いものであった〈アマ〉とは、実は、天皇の祖先の「神」のことであり、天皇はその神の子孫なのだ。その神の「神意」のおかげで、豊芦原はゆたかな国となり、お前たちも、日々のいとなみが出来るようになれたのだ・・・。」そして、多くの文書は抹殺されて、「古事記」がつくられたのである。
 しかしながら、このサトリは後代へと展開していき、カタカムナ以来の伝統の力が遂に長年のさまざまな種類の鍛錬に耐えぬいた結果の、もう、どう隠れようもない実力となって、啓発せずに居られぬだけにエネルギーが高まって来ている。この長いこと潜伏していた勢力が、どのような形で表われてゆくかは、未知であるが、少なくとも従来の歴史に見られたような、「革命」とか、「戦争」とかいった企図によって繰り返された類の次元のものでは、成功しない事は確かである。 
 この際、日本人の一人一人にとって、必要と思われることは、狭い視野を離れて、過去の民族の経緯を、ハッキリと認識し、世界史に於る、自分たちの民族の経験の意味を、サトルことである。先ず、オノレを知る事であり、それには、自分をうつす鏡が必要である。最も有効な「鏡(カガミ)」としては、日本人にとって、カタカムナ人の示して居た、〈ヤタノカガミ〉以上の鏡は、無い筈である。

つまりこのことが意味していることは、『私権原理』から『共認原理』へのパラダイム転換が今まさに起こっているということではないだろうか?『武力・経済力』で統合される社会から『共認力(共に認め合うものが力を持つ)』で統合される社会へと転換していることを、この文章では伝えているのだと思います。では、このカタカムナのサトリを生み出した日本人の歴史を西欧との比較から学んでいきましょう。

●西欧の王様と日本の天皇 
 
 西欧の地を旅して、我々が異様の感に打たれるのは、彼らの王様が、権力をあからさまに誇示し、富を大ぴらにみせびらかし、戦争を手放しで喜び、そして、敗けた者の怨みを気にしない姿である。その証拠に、今も各地に残る壮大な城は、大体、上の階は立派な宮殿で、王や妃たちの華やかな生活の場となって居るが、その同じ城の地下には、大てい石牢があり、拷問の器具が並べられて居る。この城に暮した王様達は自分たちが美しく装い、美味しい食事を楽しんでいる間にも、その足の下では、自分の為に亡ぼされた敵の人々が、あるいは一生日の目を見ずに失明し、あるいは拷問にうめいて居ても、それが気にならなかったのであろうか?
 
 一方日本人は勝っても勝ちを誇らぬ人の方が好きである。又、人の前にシャシャリ出ることを良く思わぬ人が多い。又、日本の伝統音楽には、能にも、「指揮者」というものが無いのは、極めて日本的である。
日本の地に君臨した外来の征服者は、このような日本的心情に気をつかはなければならなかったであろう。気をつかって居るうちに、同化されてしまった。そうなると、もともと、オウヨウな日本人は、もう、かつての自分たちの祖父たちが敗けた悲しみも、亡ぼされた恨みも、ケロリと水に流してしまった。
 
 いつの世の日本人の中にも、オウヨウでないタイプも勿論存在するが、大勢のおもむくところは、「今がよければすべてよろし」で、調和的精神が、全体を制し、時の権力に、平和的に協賛してしまう。過去の血を洗いたてて、怨みを根にもったり、あるいは論理的に、「祖先は両方あった筈だ」とする声までも、かき消されてしまう・・・。
しかし、彼らは何のわけもわからずに、何も考えずに、従って居たわけではない。つまり、バカでも無気力でも陰険でもなかった。勿論、単なる無邪気さやお人好しでもない。人々には、無意識の哲学とでもいふべき、一種の本能的な「平衡(安定)感覚のようなカン」が潜在し、実は、それが、古事記の時代を生きぬき、ヒズミながらも、今日まで、世界の人から不思議がられる「日本人の心」を、伝え保って来たのであった。表面はいかにも主体性のない、頼りない弱者が身を守る「最高の知恵」につながっているのである。
 ただ愚直に、黙って盲従し、「長いものには巻かれ」っぱなしのようにみえた彼らは、時に、飢饉や水害、落雷、地震等の現象の際に、日頃の政治への不満を併せて、亡ぼされた者の「怨霊のタタリ」という発想によって、時の為政者に迫ったのである。
では、どうして「タタリ」というような思想が、古来、日本人に、普遍的にあったのであろうか?この事については、日本語の特徴が極めて端的に表われて居る、「アリガタイ」や「バチが当る」という言葉の発想と、同様の流れであった事が考えられる。

 則ち、AとBとの人間関係にしても、AとBの間だけで、感謝したり、憎んだり、契約を履行したり、という次元で受けとめるのではなく、自分たち、AやBのうしろに、常に存在する、大きなモノ(それをカタカムナ人は、<アマ>とよび<カミ>とよんだのであったが)その大きな関わりを、彼らはいつも感じて居たのである。単に、AとBとの間の争ひや、親愛や、利害関係なら、「アイ サンク ユウ」や「ギブ アンド テイク」又は「目には目、歯には歯」というような、やりとりや、計算づくで良いであろうが、彼らの心理は、それだけでは片付かず、AがBに感謝の念を持つ時、彼らはどうしてもその奥に、アマの心を感じるのである。それが、「アリガタイ」という言葉を生んだ心理であろう。それは西欧人が「神」を思うのと似ているが、同じではない。なぜなら、西欧人は「神」を「アナタ」とよぶが、日本人は、アマを「アナタ」とよべないのである。「アリガタイ」も感謝の言葉には違いないが、「アイ」が「ユウ」に感謝するといったスケールではない。それは、「アリガタイ」としか言いようのないもので、その気持ちは〈アマ〉に対する直観の度によって個人差はあるが、日本人なら誰でもうなづける思念である。
 要するに、〈アリガタイ〉という気持ちは〈アナタがワタシにアリガトウ〉では無い。AとBの間に、アリガタイ関係をもたらしてくれた、大もとの〈アマ〉へ、心の中で手を合わせる、カタカムナ人以来の心情が、潜在して居るのである。従って、一般に、「アリガトウ」は「アイ サンク ユウ」の、日本的、主語や人称の省略形である、といはれて居る説明は、間違いである。つまり「アリガトウ」を「サンキュウ」に当てるのは、慣例までの事で、実は、少しおかしいのである。
 
 伊勢神宮に詣でながら、「何ごとの在しますかは知らねども」といって手を合わせた人は、正直な心境であったと考えられる。そして、日本人は誰しも、神道の人々さへ、それをなじらぬばかりか、深く共感して居るのである。

 
 又「アリガタイ」の反対の、AとBの間の恨みや憎悪の関係の場合も、個人と個人の間の感情の他に、彼らは、〈アマ〉のバチを考えたのである。「バチ」とは、現代人の罰や罪や報いの観念ではない。三味線のバチのように、バチ!と当るもので、つまり、〈アマ〉は、自分の生み出した、あらゆる生物の、生命を保つ為に〈イククヒ ツヌクヒ〉を打ってくれて居るが、その中には「バチ」というクヒもある、とカタカムナ人は観じて居たのである。
 
 アマの恵みは広大だが、しかし、うっかりして居ると、バチッと当るクヒがあって、ひどい目にあふ事もある。ことに、アマの恵みにアマエすぎてつけ上がったり、背いたりすれば、つまりアマのルールにはづれれば、たとひ誰が責めなくとも、「アマのバチが当る」という一種の哲学を、日本人は上古代以来何となくもって居た。それ故、「アマのルール」をサトる知恵が、何より高く求められ鍛えられたのであり、又、「日本的」と謂われるもののもつ淡泊さ、スナホさ、大らかさ、悪く言えばアイマイさ、ダラシなさ、ズルさ等の美点も欠点も、もとはと言えば、自分たち人間をはじめ、あらゆるものの、発生消滅の根源であるところの、〈アマ〉に対する、大きな信託の念から出たものであった事が、考えられるのである。
 「タタリ」という発想も、このような、上古以来の心理の流れであり、「アリガトウ」が単なるアイとユウの間の感謝ではないように、タタリも個人の間の怨恨の次元ではなく、個人と個人の憎しみや復讐や、又、神に対するツミの意識より、もっともっと大きな、畏しいものである。なぜなら、〈アマ〉は「アナタ」とよびかけて、救済を契約する事さへ出来ないのである・・・。
 
 と共に、一たび怨恨の相手が、非をさとるなり、わびるなりすれば、そこはサッパリと万事「水に流し」て、こだわり無く、昨日の敵は今日の友や君主として受け容れるのも日本人にとっては、さして不思議ではなく、個人の好悪や争いは勿論あるけれど、要するにいかなる大事件も、つまるところは表面の動きにすぎず、すべて大モトは〈アマ〉にあり、すべては〈アマ〉に還元するまでだという無意識の諦観のようなものが心奥にあるからであろう。
 「バチ」は、人間の倫理道徳とは、一致することもあり、しない事もある。なぜなら、「バチ」は、人間のアタマで考えた論理や、宗教の教理から出るのではなく、〈アマ〉のルールに属するものであり、〈アマ〉のルールとは、天然宇宙、自然界、人間界のすべてに通じるものである。その事を認めようが認めまいが、知ろうが知るまいが、このルールに反した行為は、当然、みずから天に唾する如き結果となり、人間もすべての生物も、このルールによって生き死にするしかないものである。
〈アマ〉の存在を体覚的に直感し、そこから出発した直観的思考によって、「アマのルール」のナリタチ、則ち「天然宇宙の物理」を把握し、それを人々に教示したものが、後代「三種の神器」とよばれた表象物に託されて居た、カタカムナのサトリであった。

 日本人の相手と自分の『おおもと(アマ)』にまで想いを馳せることができる民族性が『平衡感覚のカン(秩序収束力)』を育み、新たな社会秩序を生み出していく原動力になることを意味しているのではないでしょうか?重要なのは、このアマのルールに基づいたカタカムナのサトリこそが、日本人の可能性の原点にあるということです。
次回は、同じく『相似象』五号のカタカムナのサトリの根拠を紹介したいと思います。


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