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民主主義の全否定4~金貸しによる支配と主権在民・三権分立という言葉の欺瞞性

Posted By ginyu On 2011年9月23日 @ 1:33 PM In 04.日本の政治構造 | 1 Comment

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<民主主義の全否定3~民主主義とファシズムは同じ穴のムジナである [1]に引き続き、今回は4回目~主権在民・三権分立の欺瞞性/金貸しによる支配体制 を扱います。
 民主主義に基づいて行われる民主制は、国によって多用な形態をとる事が多いが、日本の政治形態としての民主制は「主権在民」や「三権分立」などの概念とともに語られる事が多い。
 そして、それまで君主や一部の人間に権力が集中していたものを排し、「民が主」となり「権力の集中」がなくなって、とても理想的な政治形態とされている。
 さらに先進国(特にアメリカ)では、民主主義(民主制)以外の政治体制は、「悪の巣窟」とまで言われてしまう事がある。
 
 しかし、実態は前記事 [1]でも紹介されたようにファシズムと同じムジナであり、理想的な言葉の裏には大きな欺瞞性が隠れていると思われる。 
 
 
 
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 三権分立の建前は、それによって権力集中を避けるとしているが、その制度が逆に立法府の弱体化と行政府の暴走を生むという必然的構造をもっている。
その構造を詳しく述べている論稿を紹介する。
 
立正大学阪口大和氏の論稿「現代社会の権力構造(6)立正経営論集(2005年12月) [2]」から引用

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1最高権力の否定と国民主権の幻想
 民主主義制度は,アンシャンレジーム下の専制権力への根強い不信から生まれた歴史的産物である。その中枢をなす概念は専制権力の専横に対するアンチテーゼとして工夫された国民主権の概念である。

 現実の民主制社会においては,主に経済機能別に分解編成された個別の権力主体がそれぞれの専門分野における部分的な支配力を持つことで社会的に必要とされる権力機能を担うことになると同時に,最高統合権力は主権在民という具体的な帰属主体を欠く抽象的権力概念のもとにあるとされたため,その存在が基本的に霧散してしまっているのである。そのため,実権を握った個別権力主体の自治的支配権(autonomy)によって統治される社会が出来あがったものの,特定の権力主体の独占的暴走などが起きた場合にはそれを規制する権限を有する上位の権力機構を実質的に欠いたシステムとなっているのである。
 
 さらに,主権在民の概念の持つ根本的欺瞞は,国民の主体的判断が最上位にあって,個々の実権者の行動を規定出来るとするところにある。実際には,個別分野の権力者がそれぞれの専門的知識や技術力にもとづく支配力を利用して,彼ら自身の手によって,門外漢で受動的な一般国民の意思なるものを意のままに操って自己の社会的支配力を維持しているのであるし,それに失敗した権力集団は消滅するだけなのである。 
 一方,様々な分野の個別実権者の立場からすれば,現代民主制はその上に立つ権力からの足枷ないし締め付けに欠け,自由気ままな行動を容認する都合のよい制度であり,さらなる支配力の維持拡大の道も開けているので,機能分化して流動性の高い現代社会には適合する要素を持っている。民主制は権力主体の固定化を否定し新旧勢力による社会的支配力の獲得闘争を容認し,社会変化そのものを制度内に容認した最初の社会システムであると言われる所以でもある。

 企業組織たれ,行政の一機構たれ,自らの限られた専門分野における目的をひたすら利己的に追求すればそれで良いのであり,社会全体の利益がそれで損なわれようと,それは主権在民のもとにあるとされる架空の存在たる最高次元の権力が解決するという逃げ道が用意されているのである。かくて現代民主制のもと誰もが最終責任を負わない巨大な無責任分断社会が構築されたのである。

 国家レベルの責任は、「主権在民」のある国民やその国民が数年に1回の選挙で選んだ政治家に押しつけ、「分散化された権力≒限られた専門分野」で自集団の利己的な利益を貪っているのが、日本の官僚組織の実態である。
 君主や一部の人間に対する権力集中を排し、権力を分散させた結果、国家レベルの統合課題を誰も担わなくなり、国力が減退していくのは民主制が衆愚政治に陥りやすい故とも言われているが、近代国家では衆愚に陥るほど民意が反映されているわけではない。
 そこには、明らかに利己的な利益を貪ろうとする力が背後から掛けられている。(あくまでも民主主義の名の下に)
前述の立正大学阪口大和氏の論稿「現代社会の権力構造(6)立正経営論集(2005年12月) [2]」から再引用

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ロスチャイルド家の例にみられように幾世代幾世紀にもわたって縦横の閨閥を国際的に形成, 蓄積し, 国家をも動かすほどの強力な権力複合体を形成しているものもある。彼らこそが経済万能の産業革命以降の近代史の陰の演出者どころか真の演出者であるかもしれないが, その全貌を掴むことはその秘密主義に加えて政治権力の鎧に隠れて歴史の表舞台には現れて来ないこともあって難しい。

 民主制の幻想的主権在民のスローガンが彼ら(ロスチャイルド家)の支配力の隠蔽と維持にどれほど資しているか計り知れない。彼らの情報支配力によって民主制は現代社会で神話化するまでに礼賛されている
のであろう。

 特にこのような現代民主制の制度的欠陥を利用して成長したともいえる各国の産軍複合の権力体は二度にわたる世界大戦の悲惨な結果をもたらしたにもかかわらず, その行動は放任されたままであり, 国際紛争を自作自演するが如きに行う様々な策謀は止まる所を知らずに継続されて現代に至っている。
 このような産軍共同体などが, 欧米を中心とする地球規模での現代社会の実質最強の権力保有者であるとしても, それをこの民主制憲法のもとにある国々では権力の保有者としてまとめたものとして認識しない以上, その権力体が如何に暴走しても規定できないのである(いまでは架空の存在となった専制君主の権力の暴走を防止することは出来るとしても!)。
 しかし何故, 憲法その他の基本法制がかくまでも権力体系の実情と乖離したまま放置されているのか? それは, 現体制のもとで潜在化しながらも実権を握っている権力集団にとっては, 時代錯誤の現法体系は彼らの我欲追及に対して実質的制約を加えることが出来ないので好都合だからである。逆に言えば,彼らはこの法体系を利用してその地位を築いたのだから変える必要はないのである。

 民主制や市場原理主義が一応の定着を示している現代先進社会では, ここまでの分析で示したように, 制度そのものの本質的欠陥が様々な面で露呈してきている。しかし, これだけ西欧文明の圧倒的影響下にある日本においては, 相変わらず民主主義神話が全盛である。

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 現世界を現実的に牛耳っている最強のグループたる軍事経済連合体は, 彼らの組織暴走が平和維持どころか国際規模での紛争や混乱を喚起するまでに逆機能しても制約を加えるべき統合権力が実在しないので防止され得ない。巨大(金融) 資本のあくなき私的利益追及についても同様である(経済戦争という意味での阿片戦争は終わった訳ではない)。彼らの暴走に歯止めをかけるもう一段階上の社会全体の調和を司る中枢権力機構が必要なのである。
現代社会の主権者が国民であり, 三権分立によって民主的に統治されているとする民主主義神話ほど, 彼らのように潜在化し巨大な組織連合の実権を握っている者たちにとってその支配力を隠蔽するのに都合のよい主張はない。彼らがその地位の保全に水面下でどれほど腐心しているか, またその権力が如何にエゴイスティックなものであるかは, 彼らがこのような冗談を通り越した空論としか受け止められないような主権在民神話の維持に躍起となっていることからも逆に推察出来るのである。

 この小論に取り組んで得た結論は, あらためて今日を実質支配する権力が野放図に放置されているということである。経済権力は環境問題や資源問題をここまで深刻化させながらその寄って立つ自由放任の市場原理は絶対とされ, 産軍複合体の権力集団が引き起こす国際紛争は愛国主義の衣を着せられて美化されたまま無益な国際紛争を繰り返している。権力分布の現実とあまりに乖離した基本法制のもと, 主権在民の仮面のもとに深く静かに潜行した実権者たちは,発達したメディア情報網を徹底的に利用して国民を洗脳し, 民主主義を絶対視した神話を繰り返して幻想の世界に我々を陥れている。
 一方で権力が分散化されているために, 国民誰一人, また権力者誰一人, 自分自身の責任と感じている者はいない。日本国内のもっと具体的な問題でいえば, 底なしの公的債務に対して, 歴代の首相の誰一人, 役人の誰一人としてその責任を感じている者はいないようである。巨大な制度と組織の慣性の中に埋没した現代人の無力感のもとにはあまりにも空しく響く人間性を賛歌する西洋の個人主義的思想によって啓蒙された現代人は権力者, 服従者共々かくも等しく, 日日和見主義的で傲慢不遜な人格の持ち主になり果てたのである。
 世界人口の爆発的増加, 資源枯渇, 温暖化, 環境破壊などの地球規模での深刻な事態を前にして, 帝国主義的侵略の時代からみれば潜在化しているものの,今でも隠然と現代世界を牛耳る西欧上流社会の権力者たちは当然その支配力と優位性を保つために水面下では露骨な力による対応策を考えている。先進各国を跨いで暗躍する軍産連合体は, その彼らの要請に答えるために, 又, 自らの社会的支配力を維持するためにも世界の軍事的緊張を演出し続けなければならない。原爆保有国中心に大量殺人兵器の開発が何処まで進んでいるかは, 軍事上の秘密とあって誰にもその正確な実態は知らされてない。選民意識や愛国主義の美名のもとで殺人という最も凶悪な犯罪行為すら正当化するこの産軍複合体の潜行する支配力は, 二つの世界大戦のあとに到来した情報化社会にも決して衰えず, どのような大義名分のもとであれ, その利己性ゆえの殺戮と破壊行為を行うチャンスを虎視眈々と狙い続けよう。
 一方, 経済権力が直接支配する分野では, 市場競争原理のもとの効率の追求で先進国人類の貧困からの脱却に貢献したことは認めるとしても, 今や主権国家の枠を越えた国際市場での寡占体制が確立されつつあり, 武力を資本に替えただけの経済的強制力による帝国主義的支配体制が地球規模で継続している。その実質の社会支配力は今や政治権力のそれを大きく上廻っているにも関わらず, 市場における闘いに勝ち部分的市場の権力の獲得者たらんとするだけで,それ以上の綜合的な権力としての社会的責任に対する自覚は決して高くない。

 戦後、日本における民主主義・民主制の制度は、軍産連合体(その裏に居る金貸し)の支配体制が進めやすいように、半ば強制的に(後に洗脳して)敷かれたものであり、それは日本だけでなく、本家本元のアメリカに於いても行われている。
 アメリカの中央銀行を自由に動かす事が出来る「中央銀行法」の設立や(アメリカ政府紙幣の歴史③~FRBの成立 [3])、戦争に投資する議員(イラン、アフガニスタン戦争に投資する米議会議員たち [4])、戦争そのものを議会で承認する等々、「民が主」とはほど遠い民主主義が掲げる民主制となっている。
 このように民主主義や民主制は軍産連合体(その裏に居る金貸し)の情報支配力(マスコミや教育)によって神話化するまでに礼賛され、彼らの都合が良いように利用されているのである。


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[1] 民主主義の全否定3~民主主義とファシズムは同じ穴のムジナである: http://blog.trend-review.net/blog/2011/09/002069.html

[2] 立正大学阪口大和氏の論稿「現代社会の権力構造(6)立正経営論集(2005年12月): http://www.ris-keiei.com/faculty/sakaguchi/sakaguchi-38-1.pdf

[3] アメリカ政府紙幣の歴史③~FRBの成立: http://www.financial-j.net/blog/2009/11/001097.html

[4] イラン、アフガニスタン戦争に投資する米議会議員たち: http://janjan.voicejapan.org/world/0804/0804134829/1.php

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