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地震・原発を契機に人々の意識はどう変わるか?【11】:シリーズまとめ(政策提言へ向けて)

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<高円寺で行なわれた原発反対デモ:画像はこちら [1]からお借りしました>
地震・原発を契機に人々の意識はどう変わるか?シリーズ最終回!
【1】:原発問題の本質は特権階級の無能と暴走 [2]
【2】:次々と明るみに出る特権階級の暴走ぶり
 
【3】:試験エリートの無能とえげつなさ  [3]
【4】:特権階級の暴走は今後も続くか否か?(マスコミ支配との綱引き) [4]
【5】:充足基調(女原理)から実現思考(肯定発の男原理)へ [5]
【6】:脱自由市場化が進む? [6]
【7】:遊びの失速は何を意味しているのか? [7]
【8】:人々はいつものを考え始めるのか? [8]
【9】:日本人はいつ物を考え始めるのか?認識収束の入口にたった!! [9]
【10】:特権階級の世界と大衆の世界の断絶と接点⇒新政治勢力の台頭 [10]
地震・原発を契機に人々の意識が大きく変わってきていることは間違いありません。
シリーズの最終回として、これまでの論点を振り返り、今後どうする?の切り口を考えてみます。
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簡単に今までの論点を振り返ります。

【1】:原発事故が起こってしまった本質的な原因は、特権階級の無能と暴走。
【2】:未だに旧観念にしがみついて自分のことしか考えていない特権階級は『無能』としか言い様がなく、無能であるが故に暴走している。
【3】:今後の社会では、東大などに入らないようにし、東大の人の言うことなど真に受けない、という考え方が必要となるかもしれない。
【4】:みんな原発問題が気になっている(心の中ではもやもやしている)、事実を知りたがっている、構造認識が求められている。事実を発信・追求していく場、答えを考える場を構築していく必要性がある。
【5】:経済破局→世界大恐慌→秩序崩壊を待たずして、根源的な当事者意識の生起に続き、実現思考(肯定発の男原理)の登場が早まったのは間違いない。我々庶民が皆で「事実を発信・追求していく場、答えを考える場」を作って行けるチャンス。
【6】:新たな可能性探索の収束先は、「自分の金儲けのための経済からみんなを充足させるための経済」(脱自由市場化)へと向かっている。
【7】:自分たちの手で何とかしなければならない=新たな統合軸として共同体の再生の萌芽は既に見えはじめている。
【8】:役に立たない政治家を一掃し、新しい政治勢力を作ることが、今後の日本をどうする?の答えにたどり着く一つの道ではないか。
【9】:地震・原発を契機に現在まで深く潜在化していた答え欠乏がおおきく顕在化し、新しい認識を探索し始めた。つまり、事実に基づいた認識闘争をしていく段階にはいった。
【10】:学んだ「事実」を媒体に徹して周りの伝えていく。この共認勢力=大衆の支持を受け、共認原理を体現した新たな政治家が台頭・・・断絶した特権階級と大衆の世界を繋いでいく。

これら一連の論点から、今後の政策提言へ向けて、地震、原発どうする?という切り口を考えてみます。
1.震災復興へ向けて共同体を再生することが必要である。
(地域主導で現地の人々の活力を基に再生していくべきという論調は多いが、その本質は共同体の再生である。)
「本当の復興政策は共同体の再生を支援すること」 [11]
2.復興財源についても、今までの経済のあり方を根本的に見直す必要がある。
(「自分の金儲けのための経済からみんなを充足させるための経済」への認識転換が進めば、例えば政府紙幣で復興財源を賄うということもあり得る。)
「東北復興アイデア(農業・漁業)1 仕事を作り出す/限定的な政府紙幣は発行できないのか」 [12]
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<たけしのTVタックルでの政府紙幣の議論:画像はこちら [13]からお借りしました>
3.エネルギー政策については、速やかに原発を廃止し、原発に替わる自然エネルギー等の開発に舵を切る必要がある。
(現在はマスコミの共認支配との綱引き状態だが、今までいかに騙してきたかという事実が明らかになるにつれ、脱原発の世論が高まるのは間違いない。)
「「原発問題から次代のエネルギーを考える」グランドセオリーついに発売!!」 [14]
「「純国産エネルギー」の実力は?~各分野で進められている開発に期待①」 [15]
「「純国産エネルギー」の実力は?~各分野で進められている開発に期待②」 [16]
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<自然エネルギーの賦存量:画像はこちら [17]からお借りしました>

基本的な方向性は見えているにも関わらず、その実現可能性に蓋をしているのが、特権階級の無能と暴走、マスコミの共認支配です。とりわけ、菅政権の無能と大衆意識との断絶は、もはや看過できない危機的なレベルに来ています。特権階級と大衆の断絶を繋ぎ直すにはどうしたらいいのでしょうか?
1.実は特権階級は無能であり、人々を騙して暴走してきたという事実を明らかにして広めていく。
2.マスコミに替わって、事実を発信・追求していく場、答えを考える場を構築していく。
3.実現思考(肯定発の男原理)⇒認識潮流を顕在化させ、旧観念に替わる新理論を構築していく。
4.特権階級と大衆の接点は大衆の側からつくりだしていくしかない。新たな共認勢力を土台に全く新しい政治勢力をつくりだしていく。(旧い政治勢力は一層される。)

次代の可能性、実現すべき目標は見えています。問題はその可能性をいかに実現していくかです。
しかし、例えば、役所に突入して抗議をしたり、街頭でデモをやったりしても、改善に向かう感じがしないのはなぜでしょうか?
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<佐賀県庁に突入後、県職員に行く手を阻まれる山本太郎:画像はこちら [18]からお借りしました>
それは、これらの社会運動が全て旧い運動論に依拠しているからではないでしょうか?以下のなんでや劇場の投稿を参考に考えてみます。
市民運動という騙し。それも、すべての可能性の芽を摘みとる破滅的な騙し。 [19]

>過去、’60年安保闘争にせよ、’69年全共闘運動にせよ、大衆の願いは実現された例がない。さらに遡れば、明治維新やフランス革命も同様であって、実現 されたのは、金貸し(金融勢力)支配の体制だけであり、それらの革命に身を投じた若者たちは、金貸しに乗せられ踊らされてきただけであった。
>つまり、近代の市民運動は、実現された例がない。従って、「市民運動」という言葉は、幻想と断じざるを得ない。
>しかも、この幻想を信じた結果、多くの有為の若者が出口のない袋小路に追い詰められ、自滅していった。これは騙し、それも、社会変革のすべての可能性の芽を摘み取る、破滅的な騙しである。

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<全共闘運動:画像はこちら [20]からお借りしました>

総括的に言えば、旧い社会運動は、主義主張を振りかざし、その時々の権力に対してアンチを唱えるものでしかありません。もっと言えば、そのアンチの原動力は、結局自分の不満や不安発、つまり自我・私権の欲求でしかありません。

社会のためという建前を装いながら、その実は自我・私権の欲求でしかないということが、現代の多くの若者が、何やらいかがわしく、胡散臭く、可能性が感じられないと思う原因になっているのではないでしょうか?
旧い社会運動に依拠していたのでは、上手く行かず、実現可能性はありません。必要なのは新たな運動論です。


今回のシリーズはいったんこれで終わりですが、今後なんで屋劇場では、新たな運動論が扱われる予定です。引き続き、なんで屋劇場の議論を当ブログでも紹介していきますので、お楽しみに!

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