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地震・原発を契機に人々の意識はどう変わるか?【7】:遊びの失速は何を意味しているのか?

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画像はコチラ [2]からお借りしました。
地震・原発を契機に人々の意識はどう変わるか?シリーズ第7弾
【1】:原発問題の本質は特権階級の無能と暴走 [3] 
【2】:次々と明るみに出る特権階級の暴走ぶり [4] 
【3】:試験エリートの無能とえげつなさ [5] 
【4】:特権階級の暴走は今後も続くか否か?(マスコミ支配との綱引き) [6]
【5】:充足基調(女原理)から実現思考(肯定発の男原理)へ [7]
【6】:脱自由市場化が進む? [8]
前回は経済的な視点で震災を契機に脱市場化の可能性を提示しました
今回も地震・原発を契機に人々の意識はどうなる?というテーマをいろんな角度から掘り下げるため、遊び・娯楽の観点から考えてみます
みなさんは、今回の震災を契機に「被災者の方は大変なことになっているのに。。。」とか 「被災者の方に申し訳ない。。。」といった理由で、昔の様にパーっと「遊ぶ」機会は極端に減ったのではないでしょうか?
でも実は震災のずーっと前から遊びや娯楽は衰退していたんです!
ではいったいいつから遊びは衰退し始めたのでしょうか?なぜ遊びは衰退したのか?
そして、今回の震災を契機にこれまでの意識潮流がどのように変わったのか?
その先の可能性は?を追求していきたいと想います

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ありがとうございます
まずは、震災を契機に遊び・娯楽がどれほど落ち込んだかいくつか事例を挙げていきたいと想います
・3月の外食売上高10・3%減 震災で下げ率過去最大(リンク [9])
・新井会長涙の「感謝」…セ・パ同時開幕(リンク [10])
・自粛ムードの中、今年は“控えめ”なお花見が主流に(リンク [11])
・「自粛ムード」国内蔓延(1)続出する「中止」「延期」(リンク [2])
・【東北大地震】日本で自粛ムード蔓延 結婚式延期、入社式中止、花見低調、CM激減(リンク [12])
・地震で巣篭もり♪(リンク [13])
・GWの旅行者数27.6%減 JTB見通し(リンク [14])
・宿泊キャンセル、全国56万人分 東北・関東は39万人(リンク [15])
 
このように、震災を契機に「もはや遊んでいる場合ではない!」と遊びが急速に衰退したのは、みなさんも感じていることであり現象事実としても明らかだと想います
しかし、震災を契機に遊びは急速に衰退しましたが冒頭でも述べたように実は震災が起こる遥か以前から遊び・娯楽の類は衰退を始めていたのです
 
それではいったいいつ頃から遊びが衰退し始めたのでしょうか!?
当ブログ1/31なんでや劇場レポート1 「遊びの失速」は、何を意味しているのか? [16]より引用します。

深層での意識変化は、1970年から始まっている。1970年の貧困の消滅=豊かさの実現、それに伴って私権が衰弱し続けたことに起因する最先端の現象が「特権階級の暴走」であり「政権交代」だ。
1970年以降の時代を集団私権がどのように変化してきたかで見ると、1970年に国家私権が衰弱し、1990年に企業私権が衰弱、そして2009年に家族私権が衰弱し始めた。これは、各規模の集団で「豊かになる」ことを軸にして集団を統合することが出来なくなってきたことを意味している。
そして、2009年の家族私権の崩壊が即ち、遊びの無意味化、遊びの敬遠・失速を示しているのではないか?
(中略)
■ この「遊びの失速」は、何を意味するのか?
遊び欠乏の中核に存在する性欠乏が衰弱する一方で、人々はより広く可能性を探索し、また課題収束を強めてきた。秩序崩壊の不安を受けて、「遊んでいる場合じゃない」「女どころではない」つまり性や遊びを一旦棚上げにして可能性を探索し、課題に収束してきた。
「遊び」その中心にある「女」は、私権の最終目的に位置する。裏を返せば、女と遊ぶために、私権獲得に励んできた。私権活力の根本には、遊び活力があるということだ。
遊びの失速を以って、私権欠乏は収束する。節約志向は今や日本だけでなくアメリカ、ヨーロッパにも拡大しており、市場は急速に縮小していく。今後、市場が再拡大することはない。
この潮流の下で、従来からの「私権強者(私権闘争上での強者)」が失速していく。遊びの失速は市場を急速に縮小させていく。この中で、例え私権強者と言えど成果は上がらず、給料が下がっていく。さらに彼ら自身の私権欠乏も終息過程に入り、私権強者の活力が衰弱していくだろう。私権体制においては序列原理=指揮系統が絶対の力を持ち、成果を規定する。私権体制において判断権・決定権を持ち指揮系統を牽引してきた私権強者が失速していけば、もはや私権体制は維持できない

1970年 豊かさの実現   ⇒  国家私権の衰弱
1990年 バブル崩壊    ⇒  企業私権の衰弱
2009年 リーマンショック ⇒  家族私権の衰弱

1970年以降、豊かさの実現から集団私権が国家レベルから衰弱し始め、2009年リーマンショックを契機に私権強者の象徴である(金融)エリート家族私権までも衰弱しました。
 
これまで私権によって統合していた集団は、集団の最基底部にある家族私権をも崩壊し、もはや収束先=統合軸を失ったことで明日何が起こるかも分からない状況になっています。。。つまり、集団の最基底部よりもさらに根底にある、生命としての秩序崩壊の予感を感じているのです
 
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画像はコチラ [18]からお借りしました。
そして震災を契機に、本来は社会統合を担うべき特権階級の暴走ぶりと、未だに収束の兆しを見せない原発問題の放射能という生存本能を直撃する圧力からこれまでの秩序崩壊の予感が益々高まっています。
 
とは言っても、このような特権階級の暴走にしろ原発問題にしろ個人ではどうにもならないのが現実です。
 
私権に変わる新たな集団の収束先=統合軸はないのでしょうか?
 
本当の復興政策は共同体の再生を支援すること [19]より引用します。

まず状況認識として、現在の日本では、地位やお金やモノを求める意識はほとんど消滅しています。それを例外的に強く残しているのは、官僚を中心とした特権階級だけで、この意識は一般国民と大きくずれています。それゆえ、上記の復興案のように、官僚に都合のいい未来像に貴重な資金を投入するという愚作しか出てこないのだと思います。
それに対して今一般の人々は、人が生きていくためには支えあう仲間が必要で、お互いに支えあうという行為自体が、何にも勝る充足の源であるという状況になっています。そして、この悲劇的な震災を体験した人々は、ますますその意識が覚醒しているように見えます。これが、暴動のおきない本当の理由です。
そうであれば、まず真っ先に必要なことは、お互いに支えあうことを実現する基盤である共同体の再生です。具体的には、自らの町をどのように復興していくのかを考えを実践していく組織を作ることです。そして、それを実現するための資金を彼らに提供することです。
そうすれば、彼らが未来に向けて考えることや復興にかかわる具体的な作業を行うことなど、すべての復興活動を収入のある仕事=みんなの役に立つ役割、として位置づけることができます。そうすれば、何十年先の物的復興をまつこともなく、今すぐにでも仲間とともに未来を切り開いていくという充足から、心の復興が実現します。
よって、義援金や復興予算は、まずこのような共同体の再生に投入され、自主的に運用されるべきだと思います。その上で、広域的な課題や専門的な課題については、これら自治組織の連合組織をつくり実践していくことが必要だと思います。
国家の支援とは、このような自主的な共同体再生に対する、経済的・技術的な支援や法的な枠組み整備だと思います。こうすれば、膨大な復興資金が、利権集団に吸い取られていくこともなく、被災地の人々の活力が再生していくのだと思います。

震災を契機に大衆(特に現実の圧力を受けている人)の意識は、みんなとの繋がり(=期待⇔応合)からくる充足感が新たな活力源になっています。そしてこの活力源を元に新たな統合軸の模索、すなわち人々の意識は共同体の再生に向かいつつあります。
政府の出すモノを中心とした復興政策ではなく、みんなとの繋がりからくる心の復興の方が遥かに可能性を感じますよね。
社会の中心となってきた私権がもはや崩壊過程にあるのであれば、社会統合を私権強者である特権階級に任せるのではなく、自分たちの手で担う必要があるのではないでしょうか?
 
この間の急速な遊びの失速も「遊んでいる場合ではない」の段階から「お上に任せてられない!」の段階へ、義捐金も「お金を出して震災復興に協力したという思考停止」の段階から、「集まった義捐金をどのように復興費に当てるかのお金の使い方を考える」段階へ、すなわち、事態は「自分たちの手で何とかしなければならない!」の段階へ進めなければならない状況まできているのです!

南三陸の懐かしい未来を実現する会 [20]
[21]
つまり、思いを共有して お互いに助け合う共同体をつくり、みんなで励ましあい、復興=これからの社会のあり方をみんなで考え実践していくことが、なによりの活力源となっています。そういったつながりをつくることこそ、本当の復興あり方であり、かつそれは一日で始めることができるのです。

ふんばろう東日本プロジェクト [22]
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1)「必要なものを必要な分、必要とする被災者に送りたい」→支援物資プロジェクト
2)「被災者の生活を支えたい」→家電プロジェクト
3)「仕事と自立につながる支援をしたい」→重機免許プロジェクト
4)「福島の子ども達を守りたい」→ガイガーカウンタープロジェクト
etc…

福興市 [24]
IMG_0234.jpg [25] [26]
津波で壊滅的な打撃を受けた宮城県南三陸町で、全国の商店街などが特産品を持ちよったテント市が開かれている。豪雨被害に遭った兵庫県佐用町など、全国の18地域でつくる「ぼうさい朝市ネットワーク」が開催。郷土料理や海産物が振る舞われ、最終日の30日は被災者、ボランティアを合わせて数千人が集まった。
「復興」ではなく「福興」
「ただ単に元に戻すのではなく、その一歩先の未来を創ろう!」
「福を興す市」

そういった、地元の方々の熱い想いがたくさん、たくさん、たくさん詰まったイベントです!この福興市は毎月、最終日曜日の開催する事がすでに決定しています★

このように、自分たちの手で何とかしなければならない=
新たな統合軸として共同体の再生の萌芽
は既に見えはじめています
 
次回は、このような状況を踏まえ震災による意識の変化から人々はいつ物を考え出すのか?追求していきたいと想います。

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