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『今こそパラダイム転換が求められる時』シリーズ-7~現実とは、人々の意識である~

Posted By mituko On 2011年6月6日 @ 3:47 PM In 12.現代意識潮流 | 4 Comments

こんにちは~
『今こそパラダイム転換が求められる時』シリーズも後半戦に入っていきます
果たして私たちは、前記事 [1]の中間整理で明らかにした、「現実否定の倒錯思考」とその背景にある支配構造という、観念パラダイムの転換の前に立ち塞がる壁を突破できるでしょうか?
今回の東北大震災と福島原発問題は、支配観念に引導を渡すことになるのでしょうか?
3.11の震災直後よりも社会全体の危機意識はトーンダウンしている(≒捨象されてきている)ようでもあります (危険危険と煽らないで欲しい、安全と信じたい・・・といった声も)。
例えばそれは、現実に(5年や10年後に)奇形児やガン死亡者が増加するなど、“目に見える”ようになるまで捨象されるのでしょうか ? 日本人の受け入れ体質は、この未曾有の危機をもただただ受け入れるだけ、誰かが答えを出してくれるのを待つだけで終わってしまう のでしょうか?
それでは、遅すぎはしないでしょうか?
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【奇形の花】二股チューリップ      花の中から蕾が・・・。画像はこちら [2]からいただきました。
今一度、突破できる可能性を見極めていきましょう。
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るいネット『観念パラダイムの逆転3 現実とは、人々の意識である』 [3]より

生存圧力から同類圧力へと場が移行したと云うことは、場=現実が、同類圧力=人々の意識そのものが形成する圧力、の場に成ったことを意味する。つまり、今や現実とは意識である。だから現実を対象化するということは、人々の意識を対象化することに他ならない。
現実とは意識であるという言葉に、違和感を覚える人も多いだろう。確かに、原始人類にとって現実とは、生存圧力=自然圧力そのものに他ならなかった。ただ主体=対象である以上、対象(=自然圧力)に対応する主体(=適応本能や共認充足や精霊信仰etcの意識)もまた確固として存在しており、その意味では、常に現実は意識の内に在ったし、その意識こそが彼らの現実であったとも云える。
しかし、自然圧力そのものは意識とは別個に、意識の対象として存在しており、『現実』は(人々の意識の中以前に)外的な自然圧力として意識されてきた。その後、この自然圧力=生存圧力を基盤として形成された私権圧力は、人々の共認によって形成された圧力ではあるが(従って、決して意識と別個に存在する圧力ではないが)、生存圧力が強い間は、やはり『現実』は外的な圧力として意識されてきた。
だが、貧困が消滅して生存圧力が衰弱し、同類圧力が中心的な圧力になってくると、パラダイムは一転する。

可能性1.支配観念を成立させていた序列原理の崩壊→同類圧力へ
一つ目の可能性は、「生存圧力から同類圧力へと場が移行した」ことによる、支配観念を成立させていたパラダイムそのものの大きな転換です。’70年の貧困の消滅により、生命誕生以来の外圧であった「生存圧力」が衰弱しはじめます。そしてそれは、当然ながら、その生存圧力を基盤として成立していた「序列原理」→「支配体制」の崩壊を引き起こしました。
そしてそれは「出世なんてしたくなーい 」「理不尽な上司の命令に従うイミが分からない。そうするくらいなら会社辞める 」「上司に「よくやった」って褒められるより、「ありがとう 」って言われる方が活力がでる 」といった若者の意識に現れています。
可能性2.日本人は支配観念へのなじみが薄い
もう一つの可能性は、西欧と日本の違いです。前記事で示したように、西欧における支配の歴史(つまり、支配観念に犯された期間)は少なくとも5000年に及びますが、日本は明治維新(1868年)以降の100年余りしかありません。この50倍にも及ぶ歴史の違いは、今後の日本を占う上では決定的な違い=日本人の可能性として、大きく影響してくると思われます。
確かに序列体制はそれ以前から日本にも存在しますが、日本の場合は、租税の徴収単位が村であったこともあり、少なくとも江戸時代までは村落共同体の形をそのまま残したものでした。それゆえに、人々に「主体=対象」は維持されていました。一方の西欧は、神と個人、及び、国家と個人との契約(≒支配)関係を基盤としており、バラバラの個人(迷える子羊)にまで解体された人々にとっては、支配の現実は「外的な圧力」でしかなかったのです。
実際日本で、日常会話で「権利」「自由」などを口にする人はあまりいません。支配観念は見捨てられているというのが現状なのです。
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同類圧力は、人々の共認が形成する圧力である。従って、『現実』とは人々の意識に他ならなくなる。
しかも、主体=対象である以上、人々の意識とは、自分の意識に他ならない。つまり、自分自身の意識が、『現実』=同類圧力を形成していることになる。もっと簡単に云えば、現実とは自分自身に他ならない。
こうなると、もはや現実を否定することは出来なくなる。実際、現実=同類圧力を形成したのは人々=他人であって、自分だけは別である=自分は無関係であるとは、誰も云えまい。だとすれば、もはや現実を否定することは出来ない。

可能性3.人々は「社会の対象化」に向かい始めた
ネット上では、一昔前の自己主張や不全(愚痴)の吐露とはまったく異なる、「みんなはどう思う?」「この情報、みんなの役にたつかも?!」といった、みんな発の「発信」、事実(情報)の共有へと向かっています。しかも最近では、フェイスブックやいろんな記事に「いいね!」という評価ボタンが付いたり、ツイッターもいい記事はどんどんツイートされる(逆にそうでもない記事はスルーされるだけ)という形で広まっていきます。このように、いいねいいね というより多くの人々の充足(可能性・評価)とセットで、人々の意識が社会に向かうというのは非常に新しく、とても大きな可能性です。
また、原発問題は頭で危険だと分かっていても、何をどうしたらいいか分からない 。行動に結びつかない、決断できない・・・ etc このような声も聞きます。それも裏返せば、「みんなでだったら受け止められる。みんなで現実を受け止め、なんとかしていきたい」という想いだと思います。
それもこれも、すでに私たちの意識は、『自分=みんな』であり、『現実とは(自らの欠乏をも含む)人々、つまり、みんなの意識』であり、『みんなの意識によって社会は成り立っている』からこそなのです。
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壁を打ち破れるか?!
1支配観念を成立させていた序列原理が崩壊し、同類圧力が上昇してきたこと
2日本人は支配観念へのなじみが薄いこと
3人々が充足とセットで社会を対象化し始めたこと
今回見てきたこれら三つの可能性は、前記事で触れた金貸し(その手下の統合階級(政治家・学者・マスコミ)支配の手法 [1]のうち、
④集団を解体し、バラバラの個人(迷える子羊)として力を押さえ込む
⑤至るところで対立構造を生み、場合によってはそれを仕掛ける(戦争・労働組合・日教組etc)
⑥私権課題に収束させることで、全体のことや、社会に向かう意識を殺ぐ
まさにこの三つを、打ち砕いていく !!


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[1] 前記事: http://blog.trend-review.net/blog/2011/05/001986.html

[2] こちら: http://blog.goo.ne.jp/kazudeko/e/fa7c285a48ef554b232a7810c1fb325c 

[3] 『観念パラダイムの逆転3 現実とは、人々の意識である』: http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=20355

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