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地震・原発を契機に人々の意識はどう変わるか?【3】:試験エリートの無能とえげつなさ

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1971年初臨界の東京大学原子炉「弥生」の当時の工事写真
画像はこちら [1]から 
 
【1】:原発問題の本質は特権階級の無能と暴走 [2]
【2】:次々と明るみに出る特権階級の暴走ぶり [3]
の3回目です。前回いかに特権階級が無能で暴走しているかを事例紹介から明らかにし、本来は統合を担うべき特権階級がなぜ無能・暴走してしまったのか?の構造まで明らかにしました。
今回は、現在も未だ進行中の原発事故の中心勢力である東大関係者に焦点を当てて試験エリートの無能さについて考えてみたいと思います。
まず、彼らの迷走振りを3件ほどご紹介します。


【事例1】斑目氏は驚くべき証言をしていた [4]
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画像はこちら [5]からお借りしました。

浜岡原発運転差し止め裁判の静岡地裁での証人反対尋問(2007年2月)において驚くような発言を数々放言していました。
 
◎原告;「非常用ディーゼル発電機2台が同時に動かないという事態は想定していないのか?」
 斑目;「想定しておりません。」「非常用ディーゼルが2台動かなくても、通常運転中だったら何も起きません。・・・そのほかにあれも起こる、これも起こると、仮定の上に何個も重ねて、初めて大事故に至るわけです。だからそういうときに、非常用ディーゼルの破断も考えましょう、こう考えましょうと言っていると、設計ができなくなっちゃうんですよ。つまり何でもかんでも、これも可能性がある、これはちょっと可能性がある、そういうものを全部組み合わせていったら、ものなんて絶対造れません。だからどっかでは割り切るんです。」

※斑目氏は、現役の東大原子力工学の教授で内閣府原子力安全委員会の委員長です。その人が「あれもこれもは出来ない」と言っていますが、誰もそこまで言っているのではなく、電源の設計に不安は無いのかを問うているだけです。そうした声に対して「あれもこれもはできない」とスリカエて自己正当化しているだけです。で、こうした人の言うことに耳を貸さない人々が設計してきた原発はどうだったのでしょうか?
 
【事例2】そもそもの外部電源喪失は 地震が原因(津波ではなく) [6]
 
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寺坂氏 画像はこちら [7]から

震源地ではマグニチュード9とはいっても、福島原発では震度6?5強?くらいでした。
(略)
外部電源喪失 地震が原因
吉井議員追及に保安院認める2011年4月30日(土)「しんぶん赤旗」
「地震による受電鉄塔の倒壊で福島第1原発の外部電源が失われ、炉心溶融が引き起こされたと追及しました。経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は、倒壊した受電鉄塔が「津波の及ばない地域にあった」ことを認めました。」
震度6は、想定外とは 言えませんよね。日本ですから

これまで電源喪失は津波によるものだと一般には浸透していますが、津波以前に外部電力の送電線が地震で倒壊していたというのは、電源喪失の原因がそもそも違うという重大な事実です。しかもその地震が震度6程度だというのでは、杜撰な設計としか言いようがありません。非常用電源が津波で破損しようとも外部電力さえ生きていれば冷却装置さえ生きていれば今回の大事故はおきなかったのです。
そして、こんな方も…。
【事例3】日本原子力技術協会最高顧問・石川迪夫の発言主旨(Twitter投稿なども参照) [8]
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石川氏 画像はこちら [9]から
 

※←は筆者
「天災というのはそんなにしょっちゅう起きてたら天災じゃない」←ただの暴言
「福島の事故は津波がなければ起きていなかった」」←事例2の通り間違い。
「8時間以内に電気が来ていれば、今の事態にはなっていない」」←同上
「原発は30年どころか、60年、100年だって大丈夫ですよ」」←根拠は?
「今は放射線との戦争状態、まったく東電の対応はなっていない」」←ただの精神論
「水棺などといってモタモタしてないで、炉心を早く冷やすことに一心になれ」」←どうやって?(がない)
(トレーラーハウスを被災地に導入すべきとの意見に)「また津波が来ますよ」とにやけながら発言。」←KY
「20mSvぐらいで避難させているのはおかしい。100mSvまで安全なんだから帰らせたらいい」」←ここで言わず政府に言って。
「原発の作業員だって250mSvまで大丈夫なんだから」」←根拠不明
「浜岡原発はやめる必要はない。強度はしっかりしている。マグニチュード9でも福島は持った。浜岡でも心配することはない。津波は、電源さえきちんとしておけば大丈夫」←スリカエ
「私の仲間で原爆の仇をとるんだといって(原子力発電の道に)進んだものもいる」←論旨不明

ここに登場した斑目氏、寺坂氏、石川氏はどれも東大卒業生です。このうち寺坂氏は経済学部→通産省の「事務方」ですが、斑目氏、石川氏は東大の原子力工学科卒だそうです。
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画像はこちら [10]から
因みに原子力工学科のある大学は、北大を除く旧帝大と筑波大学、一部の私学だけです。旧帝大に原子力工学科があるのは何故なのでしょうか?
そもそも原子力工学の草分けは、やはり東大で、1955年に当時東大工学部の大山彰氏と通産省官僚の伊原義徳氏が米国の国立アルゴンヌ国際原子力科学技術学校に派遣されたことに始まります。彼らは帰国後東海村で日本初の原子炉を完成させます。出典;Wikipedia
現在でも東大出身の原子力工学の学者と通産省の官僚が入れ替わり立ち代り現れては訳の分からない解説や弁明を繰り返す構造は、この当初から続いているのです。
では、彼らは、何故原子力村べったりなのでしょうか?
東京大学大学院工学系研究科システム量子工学専攻の留学実績 [11]
(※東大では原子力工学→システム量子工学→システム創成学科となっています。)
留学費用の出所が日米原子力学会だそうです…。留学先も相変わらず。
「原子力学生国際交流」 [12]
「電気事業連合会および日本原子力発電(株)のご支援」って。要するに将来原子力発電業界に有用な人材を、学生の頃からわざわざお金を出して育てているということです。
現在の学生の進路は今後のことですが、因みにアルゴンヌ研究所への派遣第一号(原子力で初の国費留学生)である大山彰氏は、、動力炉・核燃料開発事業団理事、原子力安全委員会委員、原子力委員会委員長代理などを歴任し、東京大学の名誉教授となりました。Wikipedia [13]
同じく派遣第一号の伊原義徳氏も、日本原子力研究所理事長、日本原子力学会会長、原子力委員会委員長代理、財団法人高輝度光科学研究センター (SPring-8) 理事長などを歴任し、2002年(平成14年)に勲一等瑞宝章受章だそうです。Wikipedia [14]
東大に入って原子力を学び国費や電力会社、原子力学会にお金を出してもらって留学して、官僚や関係機関の要職を得る。こうして現在の原子力関係者が養成され原子力村となってきたのです。
そもそも東大は明治の初めから官僚養成期間でした。
「文官高等試験合格者が権力の座に着いた昭和初期に日本はおかしくなり始める」 [15]
この構造は半世紀以上経った現在でも続いているのです。
しかし、彼らは何故これほどまでに無能なのでしょうか?
なんでや劇場レポート(5) 試験エリートは無能⇒10年後には社会統合気運 [16]

決まった答を踏襲するしか能がない現在の官僚たちはトコトン無能である。…試験勉強の場合はただ機械的に理解・暗記するだけ

です。対して現実の課題は試験ではなく現実の仲間関係や場合によって遊びの中などにもあります。試験に明け暮れるほどこうした人間的な経験から遠ざかります。言い換えれば受験勉強しかしない人間は現実の課題に真っ当な答えを出せないのです。。
東大とはここに入る為に徹底して機械的な理解・暗記に邁進した者が集う大学であり、彼らは入学した時点で実は最も無能な(現実の課題に答えの出せない)人々かもしれません。にも拘らず試験に合格しさえすれば最高の学歴が手に入るのです。無能なのに最高の学歴って、そりゃ変でしょう
最も試験勉強に明け暮れ、最も無能になって東大に入学した彼らは、その後東大でどんな人間になっていくのでしょうか?このことを計る一つの事例をご紹介します。
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このレポート原子力工学研究者からのメッセージ [17]は、東北大震災の一月後に東大の原子力工学系教授が連名で発表したものです。
読んで唖然とするのは、大半を事故の経緯に費やし、じゃぁどうすれば良いのか?の部分が、

「モニタリング体制を強化する」「適切な情報を得られるようにする」「格納容器内の気体を窒素ガスで置換する」

しかないことです。これが一月かけて最高学府の専門教授陣が出した答えなのです。これで本当にこの事故が終息するとはとても思えません。因みに彼らは、現職は東大教授ですが全員東大卒です。
試験に明け暮れ現実の課題には答えの出せない東大合格者は、その後東大で学び卒業しても相変わらず答えは出せないようです。
このように見てくると東大と言う大学は、
①元々試験勉強だけが異常に得意で現実の課題にはまったく興味のない無能な人々をかき集め
②その後大学でもその無能さを特に改善することも無く
③卒業後には官僚や関連事業の要職を任される

 
を行う、学問や人間性などより、官僚、御用学者として徹底的に人間を無能化する機関である、ということなのです。官僚、御用学者にはむしろ無能な方が望ましい、ということを徹底的に行ったのが東京大学なのです。
普通の人々は「東大」というだけで「優秀な人」と見てしまうでしょう。しかし、それは国(≒官僚)による「ダマシ」であり、実態は、東大になど入ろうものならこうした役に立たない無能者になってしまうのです。
今後の社会では、東大などに入らないようにし、東大の人の言うことなど真に受けない、という考え方が必要となるかもしれません。

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