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前回の記事地震・原発を契機に人々の意識はどう変わるか?【1】:原発問題の本質は特権階級の無能と暴走 [3]では原発問題の本質は特権階級の無能と暴走であると述べましたが、今回は前回の根拠とも言えるいかに特権階級が無能で暴走しているかを事例紹介から明らかにし、
さらに今回はもう一歩踏み込んで、本来は統合を担うべき特権階級がなぜ無能・暴走してしまったのか?の構造まで明らかにしたいと想います。
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早速、いかに特権階級が無能で暴走してきたかの事例を『官僚』『マスコミ』『学者』に分けてるいネット [4]より紹介します
<<政府・官僚>>
るいネット [4] 総がかりで福島第一原発事故を隠蔽する各省庁① [5]より要約して紹介します。
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●『風評被害を恐れて洗って測定していた農林水産省』
福島県で出荷制限されていたほうれん草などの葉もの野菜の放射線量を、洗えば1/10に放射線量が落ちると言って政府の指示で既に水洗いしているものを報告し、食べても安全と宣伝していた。
●『なるべく計測値が低くなるように計測する経済産業省原子力安全・保安院』
放射線量が高い値を示すと大衆が必要以上にパニックを起こすのを恐れて、世界基準を無視し計測方法を変えてまで計測値が低くなるように測定結果を捏造していた。
●『事故1月後に突然、安全基準値を20倍にする文部科学省』
原発事故以前の年間被ばく限度を1ミリシーベルトとしていたのに、緊急事故後の復旧時と限定してはいるが基準値が1ミリシーベルトから20ミリシーベルトとこれまでの20倍に引き上げられた。
年間20ミリシーベルトとは、原発作業員や放射線を扱う仕事に就いている人の5年平均で20ミリシーベルトの基準値と同レベルである。
上記の事例に共通して言えることは、風評被害・大衆のパニックを恐れての行動であることです。しかし、最も風評被害の根本原因となっているのは、基準値を上げても安全であるという科学的根拠が一向に示されないことです 🙁
いや、基準値の根拠が示されていないというよりむしろ、政治的な判断によるところが大きく根拠が示せないというのが現状ではないでしょうか
このように政府・官僚がこの期に及んでもいかに自分のことしか考えない『無能』で暴走しているかが分りますよね。
<<マスコミ>>
るいネット [4] 「原発安全神話」はいかにしてつくられたか? [8]
より要約して紹介します。
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強烈なのは、ほとんどあらゆるメディアのスペースを買いとって繰り広げたパブリシティの壮大さである。東大・京大教授、男女キャスター、脳科学者、スポーツジャーナリスト、将棋名人、俳優、元文部大臣、ヒット続出の漫画家……挙げていけばキリがない。(内橋克人「『原発安全神話』はいかにしてつくられたか?」「世界」五月号)
これまであそこまで危険な原発が積極的に安全神話を作り上げてきて、今尚『反原発』を明確に掲げる者がでて来ないというのはそれだけで大衆に対しては、実は原発は大丈夫なのではないか?という意識を植え付け、原発の安全神話に貢献していえるのではないでしょうか
<<学者>>
るいネット [4] 「想定外だった」としか言うことができない“無能”学者 [11]
やはりマグニチュード9は責任逃れの嘘数字 [12]
より要約して紹介します。
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地震の規模をあらわすマグニチュードは当初7.9とされていたが、当日午後4時の段階では、8.4に、さらに午後5時半ごろ8.8に変更された。その後、13日には、海外約40地点での地震波の観測データを詳しく解析し再計算した結果、9.0となった。これは「1900年以降では60年にチリでM9.5を記録した地震などに次ぐ、世界で4番目の超巨大地震。」(東京新聞2011.3.14)>
想定外の根拠となったマグニチュード9.0の地震ですが、実はM8.4では想定の範囲内に納まってしまうので急遽マグニチュードの算出方法を変えてまで想定外の出来事に捏造した。
これまで何も考えずにマニュアル思考で固めたウソ・ゴマカシの判断根拠が今回の震災を期に、音を立てて崩れ始めています。己の都合の為に定めた判断根拠がウソ・ゴマカシで塗り固めているが故に、想定外にすることでしかゴマカシきれない、所詮ゴマカシはゴマカシでしか塗り重ねることができない。そしてこれまであんなに有能だと思われていた学者までも、己の都合しか考えていない無能であるというのがはっきりしたのでないでしょうか
■特権階級の無能・暴走ぶりが明るみにでてきたのはなんで?
昔は上記のような事実が明るみにでることは殆どありませんでした。それはマスコミという唯一の情報源を一方的に受信するのみで、例え事故が起こったとしても、政府の発表をマスコミが記事にして報道するので容易に隠蔽することができたからです:-(
しかし、現在はネットという情報の送受信できる媒体があり、みんなが必要としている事実を伝えない政府・官僚・マスコミ不信から、『本当の事実はなんなのか?』という急速な事実収束が進んでいるのが事実が次々と明るみに出る構造です (大衆の意識がどう変わってきたかについては本シリーズの後半で扱っていきますので乞うご期待!)
●なぜ政府・官僚・マスコミに対する不信感が強まったのか?
⇒己の保身を第一とする無能者が社会統合の位置に陣取っていることが根本問題 [15]
■特権階級はなぜここまで無能なのか?
特権階級(官僚、マスコミ、学者)の無能・暴走ぶりはこれまで挙げてきた通り明らかですが、あの東大を出たんだからとか自分より頭がいいから、賢いからというだけで彼らをどこかで、おかしさは感じているにも関わらず『無能』とは言い切れないことってありませんか?
そこで最後に特権階級はなぜここまで無能なのか?にまで踏み込んでみましょう。
勝ち組ほど、阿呆になる時代 [16]より要約紹介します。
それは、人類が、これまでに獲得してきた認識群ではどうにもならないような大転換期を迎えたからなのです。1970年ごろに貧困を克服した先進国は、過去3千年の人類史を覆すほどの大転換期を迎えました。それは一言で言えば、自分第一の社会から、みんなで作ってゆく社会への転換です。そこでは、自分第一の時代を導いてきた認識群はまったく役に立ちません。みんなの時代を導く新しい認識群(新理論)が必要になります。
しかし、彼ら国を動かす地位にある人たちは、旧認識を売り物にしてその地位を得ています。旧認識を捨てれば、たちまちその地位を失ってしまうので捨てることができません。
そもそも『有能』と『無能』の違いとはいつの時代も共通して言えることですが、
みんな(=社会)の期待に応えるのが『有能』です。
貧しい時代においては、社会全体が豊かになるために頑張ってきました。みんながそれぞれに自分の豊かさを求めていたので、例え己の利益を求める為だったとしても、自分たちに豊かさを与えてくれる=豊かさ期待に応えてくれる特権階級は『有能』だったわけです。
しかし、豊かさを実現した現代の社会期待とは、物的な豊かさではなく心の豊かさ=安定・充足期待に他なりません。しかし、自分第一の頂点とも言える特権階級層は自分第一であるが故に、これまで旧観念で築いてきた地位を否定できず、未だに旧観念にしがみついているので、新たな大衆の安定・充足期待の意識など掴むことなどできない、当然社会期待に応えることなどできないのは明らかです
つまり未だに旧観念にしがみついて自分のことしか考えていない特権階級は『無能』としか言い様がなく、無能であるが故に暴走しているのです
次回は、試験エリートの無能とえげつなさをさらに深く追求していきます