
「新疆ウィグル自治区(トルコ系)の踊り子たち」(中東のベリーダンスに似て挑発的である)
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2011年03月06日の記事「モンゴル方面では遊牧化よりも父権転換が先行していたのではないか?」 [2]によれば「母権制⇒父権制への転換が起きたのは、5000年前~4000年前頃(紅山文化~下層夏家店文化の時期)であり、父権制への転換が起こった後に遊牧は本格化した」ということである。
この記事は、モンゴル高原の東部~大興安嶺山脈付近にいた遺跡の発掘事実を元にしている。つまり、この説はツングース祖族については当てはまるだろう。実際、大興安嶺山脈周辺は獲物が豊かな森林地帯であり、その後のツングース族も清建国の直前まで、半農半牧・狩猟生活を続けていた。
また、『スキタイと匈奴 遊牧の文明』(林敏雄著 講談社) [3]では、3700~3600年前の段階ではユーラシア草原にはまだ純粋の遊牧は見られず、ましてや騎馬遊牧民は出現していないとしている。これが学界での定説のようである。
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ところが、同じモンゴル高原でも、西部のゴビ砂漠の近くでは東部に比べて乾燥が激しいはずで、その周辺にいたトルコ祖族が乾燥化に適応すべく、早くから遊牧を始めた可能性も否定できないだろう。
実際、同じ新モンゴロイドO3でもトルコ祖族とツングース祖族では、その後辿った道が全く違う。ツングース祖族が長く、モンゴル高原の東部~大興安嶺山脈周辺で半農半牧・狩猟生活を続けたのに対して、トルコ祖族は遊牧である(モンゴル祖族の遊牧もトルコ祖族から伝わったものであろう)。また、トルコ族はその後西進を繰り返し、概ね2000年前以降はユーラシアの草原地帯を制覇したのはトルコ族である。そして、最終的にトルコ族はアナトリア半島にまで辿り着いている。
★それにしても、何故、トルコ祖族は西進を繰り返し、中央アジアの草原地帯を制覇したのか?
7800年前から始まる最温暖期が5700年前に終わり寒冷化が始まると、モンゴル高原は乾燥化した。とりわけ西部では乾燥化が激しかったはずで、トルコ祖族は寒冷期に湿潤化するパミール高原やタリム盆地に向かったはずである。一方、5500年前にはイラン高原で最初の略奪闘争(戦争)が始まっており、その敗者の一部が東に逃げ延びてきたであろう。おそらく5000年前頃には、トルコ祖族とイラン高原の略奪闘争の敗者は、タリム盆地やパミール高原のどこかで遭遇したはずである。

「新彊ウイグル自治区の遊牧」
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『変身のための起源論』「先史アジアの6祖族」 [5]によると、
【テュルク祖族】
「原郷」から西へ放散した集団です。この集団は早くから、肉体的にも文化的にも印欧祖族(=アーリア族)と混融を起こしました。その後の世界史を席巻した「馬と金属の文化」も、この混融から広まったものです。彼らの直系の子孫は、アジア内陸から地中海にまで広がるトルコ系諸族。そのほか東欧・ロシア・華北中国人などにもこの血統が入っています。
【モンゴル祖族】
「原郷」中央から南へかけ展開した集団です。いわゆる「モンゴロイド=黄色人種」とは定義が違うのでご注意を。北方では騎馬遊牧、中国に南下した集団は農耕民となりました。これも大人口となり、東-中央アジアの広域に拡散しました。中国史の主役となった血統です。
【ツングース祖族】
「原郷」から東へ放散した集団です。長く狩猟文化を維持しました。また「トナカイ飼育」文化も顕著です。モンゴル系とは混じり合い、その境目がはっきりしません。シベリア-旧満州-朝鮮半島を軸とする諸民族のソースです。
このように、トルコ祖族(=テュルク祖族)が、印欧祖族と混血したという説が一般的である。
実際、金属器と馬の飼育は印欧語族をはじめとするコーカソイドからトルコ族に伝わったものであろう。それにとどまらず、遊牧や父権制もコーカソイドからトルコ族に伝わったものである可能性も否定できない。

画像は『変身のための起源論』 [6]からお借りしました。
『古樹紀之房間』「匈奴の出自と龍トーテム」 [7]によれば、安田喜憲氏などは、新モンゴロイドはコーカソイドとの接触で牧畜を取り入れただけではなく、その特徴である父権制度も導入し、その龍信仰は父系的文明の象徴だと見做しているとのことである。
また、『テュルク&モンゴル』「モンゴル系かテュルク(トルコ)系か」 [8]によれば、現在トルコ系に分類される人びとは、…大なり小なり、モンゴロイドとコーカソイドの混血であるらしい。『歴史・神話 | 杜父魚ブログ』 [9]でも、ウィグル族は人種的にみるとモンゴル高原にいたテュルク系遊牧民と古代にタリム盆地に住み着いたコーカソイド(インド・ヨーロッパ語族)の混血とのことである。
このように、トルコ祖族(=テュルク祖族)が、コーカソイド(印欧祖族)と混血したという説が一般的であり、混血自体は事実であろう。しかし、問題はその遭遇~接触の在り様はどうだったのかである。
★略奪→戦争だったのか? 一方が片方を受け容れたのか?
それによって、元々のテーマである、新モンゴロイドO3における父権制と力の原理の関係構造は違ってくる。しかも、トルコ族・モンゴル族・ツングース族、各々で違いが相当あるのではないだろうか?(モンゴル族は、トルコ族とツングース族の中間の位置にあるだろう)
例えば、記事冒頭の新疆ウイグル自治区(トルコ系)の踊り子たちは、中東に劣らず挑発的である。
★つまり、新モンゴロイド(とりわけトルコ祖族)とコーカソイド(印欧語族やセム語族)が、タリム盆地やパミール高原でどのように遭遇し、どのような成り行きで、馬や金属器や(場合によっては遊牧や父権制)がトルコ祖族に伝わったのか?
これがまず、解明すべきテーマであろう。
(その後のトルコ族が西進を繰り返し、中央アジアの草原を制覇した理由のヒントも、ここにあるのではないだろうか)