- 日本を守るのに右も左もない - http://blog.nihon-syakai.net/blog -

モンゴル方面では遊牧化よりも父権転換が先行していたのではないか?

scythians-01.jpg
画像はこちら [1]よりお借りしました。
この間、「力の原理と父権制の関係構造 ~プロローグ~ [2]」の提起を受けて、モンゴル方面の遊牧部族における母権制⇒父権制への転換に焦点を当てて追求してきました。
モンゴル方面の遊牧部族における母権制⇒父権制への転換(1) [3]
モンゴル方面の遊牧部族における母権制⇒父権制への転換(2) [4]
イラン高原とモンゴル高原の遊牧部族の違い(仮説)【2】 [5]
ここまでを振り返って、部族移動や生産様式や婚姻様式の変化を整理し、モンゴル方面での父権性転換について押さえ直します。


【スンダランドからモンゴル高原への移動】
●1.4万年前~ 温暖化
約1.4万年前からの温暖化(→海面上昇)によってスンダランドが水没を始めたのに伴い、スンダランドからモンゴル高原へとモンゴロイドが移動
●約1.3万~1.15万年前 寒冷化(ヤンガー・ドリアス)
約1.3万~1.15万年前の急激な寒冷化によって、モンゴル高原に移動してきていたモンゴロイドは南下(チベット方面及び朝鮮半島方面)し、モンゴル高原は一旦無人となる。
●約1.0万年前~ 温暖化
約1.0万年前からの温暖化の時期に再びスンダランドからモンゴル高原へとモンゴロイド(トルコ族・モンゴル族・ツングース族の祖)が移動。
【モンゴル高原への移動後】
●8200年前~7400年前頃:興隆窪文化
・生産様式 狩猟+採集(+雑穀農耕)
・婚姻様式 母系
●5500年前~4300年前頃:紅山文化
・生産様式 農耕+狩猟+採集(+牧畜)
・婚姻様式 母系・母権
●4000年前~3500年前頃:下層夏家店文化
・生産様式 雑穀農耕+狩猟(+牧畜)
・婚姻様式 父系・父権
※異民族への防御策としての囲壁構築
これらから、下記の3点は固定できると考えられます。
(1)スンダランドからモンゴル高原へ移動した段階では、母系のままであった。
※興隆窪文化を始め、中原の仰韶文化(約7000年前~5000年前)、黄河下流域の大汶口文化前期(約6300年前~5500年前)などはすべて母系集団であった。
(2)モンゴル方面で母権制⇒父権制への転換が起きたのは、5000年前~4000年前頃(紅山文化~下層夏家店文化の時期)である。
※中原(中原龍山文化)や黄河下流域(大汶口文化中期~後期)でもほぼ同時期に父権制へ転換している。
【参考】
大汶口文化 [6]
黄河流域の初期文化 [7]「古代で遊ぼ」より
(3)モンゴル方面では、父権制への転換が起こった後に遊牧は本格化した。
【参考】
騎馬民族の起源  ~紀元前1千年の騎馬戦術の出現~ [8]
騎馬民族国家の成立  ~掠奪戦のための部族連合へ~ [9]
これらから考えると、モンゴル方面では、もともとモンゴルにいた部族が遊牧化⇒父権転換をした可能性は低いと考えられます。
モンゴル方面での父権転換は、5500年前頃に西方のイラン高原で遊牧化⇒父権転換した部族が、モンゴル方面へと侵出してきて、母系(母権)集団を侵略したことで広がっていったのではないでしょうか。
【参考】
イラン高原とモンゴル高原の遊牧部族の違い(仮説)【1】 [10]
 
最後まで読んでくれてありがとうございます。
応援もよろしくお願いします。
 

[11] [12] [13]