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西アジアにおける牧畜の起源と伝播過程

2011年02月13日「力の原理と父権制の関係構造 ~プロローグ~」 [1]で提起された、それぞれの遊牧部族が父権制に転換したのは何故か?という追求に入ってゆきます。
その基礎資料として、西アジアにおける牧畜の起源と伝播過程を示す発掘事実を整理しました。
いつも応援ありがとうございます。


参考にしたのは『ムギとヒツジの考古学』(同成社 藤井純夫著) [2] 

ヤギ・ヒツジの家畜化は、ムギの栽培化にくらべて1000~1500年遅れて始まる。
9200~8600年前にかけて、ユーフラテス中・上流に肥沃な三角地帯でヤギのやヒツジの家畜化が広まる。家畜ヤギはレヴァント南部から、レヴァント北部を経て、タウルス南麓、ザグロス方面にまで分布。家畜ヒツジは西アジアの北半、とくにタウルス南麓からザグロス西麓にかけての地域にほぼ限定されていた。
8600~8000年前にかけて農耕・牧畜混合農業が、東はザグロス山麓南端から西はアナトリア高原中央部、南はシナイ・ネゲブ地方にまで伝播。
8600~8000年前のサグロス山脈の南西側斜面(イラク側の斜面)のジャルモ遺跡はムギ栽培とヤギ・ヒツジ牧畜が複合した、小規模農耕集落で、約20~25件の家族(最大150人程度)が暮らしていたと考えられている。動物土偶や地母神像などが出土していることから見て、母権制であったことが伺える。
一方、イラン側斜面では当時の遺跡が希薄で、イラン高原は、人口そのものが希薄であった可能性も指摘されている。
8000年前以降に、東はイラン高原以東、西はアナトリア高原の西半、南はシナイ・ネゲブ以南(エジプトを含む)の諸地域へ広がる。
アナトリアやコーカサス・カスピ海地方は発掘調査が進んでいないが、元々、森林適応型のトリアレト細石器文化(狩猟部族)。
コーカサス地方へ農耕・牧畜遺跡としては、カスピ海西岸ダゲスタン地方にチョク遺跡がある。ここでは、8000年前以前の地層からは野生ムギは出土していない。8000~7500年前の地層には突然、栽培ムギが検出される。また、野生動物と並んで、ヒツジ・ヤギ・ウシなどの家畜動物骨も出土されるようになる。チョク遺跡における農耕牧畜の始まりはいかにも唐突であり、外部からの波及によって成立した可能性が高い。但し、石器は森林適応型のトリアレト文化(狩猟部族)の伝統を強く保持。
7500年前頃 メソポタミア中・南部の低湿地にも農耕牧畜が伝播(但し、発掘が中断しがちで、古い層から遺跡が発掘される可能性は残されている)
こうして、7500年前までに、西アジアの大半が農耕牧畜化し、混合農業が成立。その本源となったのは、9200年前以降ユーフラテス中上流域で成立した混合農業である。
7500年前頃になると、ザグロス山脈東側のイラン高原でも多数の農耕集落が成立し、各地で彩文土器が出土。
但し、コーカサスでは大型の農耕牧畜集落が営まれるようになるのは、若干遅れて7000年前~5500年前の後期新石器時代のことらしい。

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