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『超国家・超市場論 第12回』 ~シリーズまとめ:外圧の変化に対する社会統合機構の変遷~

当シリーズでは、国家に代わる社会統合機構について考察した、るいネット投稿『超国家・超市場論』をシリーズで紹介している。
今回はその最終回として、歴史を俯瞰した、外圧と社会統合機構のあり様の関係をまとめて見た。
 
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①原始時代、人類は極限的な自然圧力のもと、本能ではそれに対応できなかった人類は、集団内の仲間の期待圧力を活力源にして、観念機能を武器に進化し、徐々に自然圧力を突破していった。(この同類圧力によって進化するあり様は、サル、人類を貫く特徴である)。参照 [1]
この原始集団(本源集団は)集団の皆で課題を共認し、役割を共認する、即ち共認原理で統合されていた。これが人類史の99,8%を貫く基底構造である。参照 [1]
 
②一万年前弓矢の発明によって他の動物と対等に戦える防衛力を手に入れた人類は、人口を増大させ、他集団とも接触するようになっていく、しかしこの段階では、戦争は発生せず「共生(取引)適応」(参照 [2])に基づく、「贈与」によってた集団と友好関係を保っていた。参照 [3]
 
③しかし約5500年前、自集団の縄張り獲得に収束し、自集団を正当化する観念(守護神信仰)に収束した人類は、寒冷化を契機に、ついに人類最初の略奪闘争=戦争を発生させてしまう。一旦戦乱が開始されると玉突き的に戦乱は拡大し、本源集団(共認原理で統合された集団)は悉く蹂躙され秩序は崩壊する。この生存圧力の下での本能的な縄張り闘争は、力の強いものが弱いものを従えるという、本能的な力の原理=序列原理にによってしか統合されない。
そして安定秩序を保つためその力の序列を追認した末代固定の身分制度を共認することで、始めて社会統合がなされる。この身分序列を骨格とするヒエラルキーが、国家の本質である。参照 [4]
 
④しかし序列原理には弱点がある。それは一旦安定秩序が形成されると統合階級=支配階級には殆ど圧力が掛からなくなり、悉く堕落して遊興階級に転落し、堕落していない他の勢力に取って代わられるという事である。
つまりその度に秩序の崩壊を招くという、統合原理としては致命的な弱点である。
同時に遊興階級と化した支配階級の財を目当てに、私権闘争の抜け道(身分制度によって私権獲得の可能性が封じられているので、その抜け道)としての市場が発生し拡大してゆく。参照 [5]
しかし、市場は共生(取引)原理に基づくものであり、社会を統合する機能を持たない。事実市場時代入って(犯罪が激増するなど)秩序は解体される一方である。
 
⑤’70年ごろ先進国では貧困がほぼ消滅し、生存圧力は消滅する。その途端に、人々の私権収束・私権闘争は衰弱し、力の原理(序列原理)は崩壊過程に入る。と同時に、市場も縮小過程に入る。
生存圧力の消滅は人類史上(生物史上)初めての事態であり、生存圧力を背景とした本能的な縄張り闘争(私権闘争)を背景とした、序列原理⇒国家はもはやこの圧力の転換に対して原理上適応できない。
現在の社会を貫く中心圧力は、社会的な期待に基づく評価闘争という同類圧力であり、それは必然的に社会的な共認の獲得を巡る共認闘争である。
今人類は、改めて統合原理の転換と新たな社会統合のありようの提示が求められているのであり、それは人類史500万年を貫く共認原理しかありえず、社会的な共認闘争の場(評価闘争の場)→開かれた共認形成の場が旧来の国家に代わる、新たな社会統合機構となるだろう。参照 [6]
 
以下別表にて、外圧状況と社会統合機構のありようの変遷をまとめてみる。
 
[7]
 
<表の解説>
状況を貫く圧力=外圧に対応して、社会の人々に共通の社会期待が生じる。もしくはその社会期待を受けて、それを実現するための同類間の競争が生じ、同類間の圧力を強化する。
制覇力とは、その闘争を制覇し、社会を統合する力の源である。
その制覇力を源にした、能力ヒエラルキー(力のヒエラルキー)が社会的評価指標となり、そのヒエラルキーが社会統合機構の骨格となる。
 
※1原始時代は、集団を超えた社会空間はまだ登場していないため、評価指標・及び社会統合機構は不在、あるいは不必要であった。
 
※2資本力は市場競争の制覇力であるが、統合力とは必ずしもいえない。※3参照
 
※3市場時代は、国家という機関は存在していたが、実質力を持っているのは財界であった。しかし財界は利益追求の主体であり、例えば戦争や、政情不安定な状況の方が、各勢力に武器をより多く売りさばけるなど、社会統合にとってむしろ対立的な局面も多く、社会統合の敵対者の側面も持つ。その意味では市場時代は本質的に、社会統合機構は不在であるとも言える(武力支配の時代には、支配域=国家の安定秩序は統合階級にとっても不可欠であった。市場時代の財界との大きな違いに注目すべきだろう)。
 

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