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中国周辺の部族移動の歴史と、夏・殷・周の起源について、中間整理する。
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■中国周辺の部族移動と夏の起源
●2万年前までに、原モンゴロイドのうち、ヒマラヤ・チベット高原の南回りでスンダランドに到達したのが南方モンゴロイド、北回りした部族のうち、東シベリアまで到達したのが北方モンゴロイド(パレオ・アジア祖族。一部はアメリカ大陸にまで到達)。北周りの途中でチベット高原に止まった原モンドロイドが、原チベット族(チベット祖族)。
☆但し、北方モンゴロイド的形質が形成されたのは8000年前以降という説もある。
●2万年前~1.5万年前の最終氷期の極寒期に、北方モンゴロイドがモンゴル高原に南下して住みついたのが原アルタイ族。
そして、1.3~1.1万年前の短期寒冷期(ヤンガー・ドリアス期)に、原アルタイ族が拡散する。
東進したのがツングース祖族、モンゴル高原に止まるor南下したのがモンゴル祖族、西進したのがトルコ祖族。
●1.4万年前~ スンダランド水没に伴い、南方モンゴロイドが東南アジア→中国南部→中原へと北上(→後の苗族=仰韶文化)。
●8000年前~6000年前(最温暖期)
南方モンゴロイドの人口増加→単位集団分割によって、中国の大部分が母系氏族共同体社会に。婚姻制は群婚制。その典型が苗族=仰韶文化。

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●5500年前 寒冷化によってトルコ族、モンゴル族、ツングース族が南下。また、原モンゴロイドのチベット族が寒冷化によって、その一派が中国西北部の甘粛・青海地方~黄河上流ルートで中原へ東進(→神農氏族)、もう一派が四川省西部の長江上流域ルートで中原へ東進(→黄帝族)。部族間で戦争が始まり、私有制を伴う父系氏族社会へ。婚姻制は一夫一婦制の族外婚で、男が私有財産を継承。
中原の覇権を巡って争っていたのは、次の3つの勢力である。
①山東地方発の東夷。その代表が神農氏族や黄帝族と戦った伝説の蚩尤(しゆう)。
☆苗族という説もあるが地理的にみて北方のツングース族では?)
②西方から中原に移動したチベット族(甘粛→黄河ルートの神農氏族、四川→長江ルートの黄帝族)
③長江中流域の苗族
但し、神農氏族・黄帝族のチベット族同士も時には組み、時には対立している。最終的には、黄帝族が神農氏族を駆逐し、夏王朝を建てる。
寒冷化によって南下してきた北方遊牧部族、東進してきたチベット族によって黄河中流域の仰韶文化は凋落。仰韶の住民は西遷し、チベット族の一派神農氏族の故地である甘粛・青海に移動。この時、中原での覇権闘争で敗北した神農氏族も甘粛・青海に逃れる。
☆甘粛に逃れた南方モンゴロイドの仰韶人(苗族)と原モンゴロイドの神農氏族は、そこで混血?
●4070年前、長江ルートでやってきたチベット族の一派である黄帝族が夏王朝を建てる。
現在、中国語は東南アジア系のシナ-チベット語に分類されているが、それは、8000年前~6000年前の最温暖期に南方モンゴロイドが母系制社会を形成した土台の上に、原モンドロイド=チベット族による夏王朝が建てられたことを示唆している。
●また、4000年前の甘粛と青海地方で青銅器・黄銅器文化が出現。より西方のイラン系遊牧部族から伝わったと考えられるが、このことは同時に、いよいよイラン系遊牧部族の侵略圧力にチベット族が押され始めたことを示唆しているのであろう。
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