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世界が注目する日本人の可能性 5~縄文文明こそ日本文明

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縄文と古代文明を探求しよう! [1]よりお借りしました
市場社会・西欧人の価値観が行き詰まり、実感レベルで深刻になってきています。豊かさ期待から本源期待へ、市場社会から共同体社会へと転換する現在、日本人と日本社会の最基底部に脈々と流れている縄文精神が再発見されつつあります。
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日本の歴史を顧みると縄文文明に外部から刺激を与え活性化させる時代と外圧の影響が小さく縄文文明の伝統が大きく開花した時代があった。
るいネット [2]より

日本文明の根幹を形成する縄文文明に、外部から刺激を与え活性化させる時代があった。
それが弥生時代・古墳時代・奈良時代・室町時代・安土桃山時代そして明治・大正・昭和の時代である。
これらの外部からの刺激の時代は、ともすれば安寧と豊かさのなかに停滞しがちな縄文日本丸を推進・発展させる帆の役割を担った。
たしかに、これらの外圧の文明は、縄文日本丸の帆の役割を果たし、日本文明に活力と刺激を与え、その進路にも大きな影響を与えたが、日本文明の根幹を根本的に揺るがし、これを根本的に変革するほどの影響は及ぼさなかった。
中国文明や欧米文明は日本文明に刺激を与えた外圧の文明にすぎず、日本文明とはまったく異質の文明だったのである。
また、外圧の時代が激動と殺毅の時代であったのに対し、外圧の影響の小さな平安時代や江戸時代は、縄文文明の伝統が大きく開花し、戦争のない平和な時代であった。
日本人が魂の安寧をもっとも感じ、その魂の琴線に語りかけ、日本独自の文化が花開いたのが、この時代である。

弥生時代以降、中国文明や欧米文明に遭遇するたびに、それらの文明を貪欲に受け入れてきたが、どれだけ受け入れても、決して日本文明の根幹を根本的に揺るがすことはなかった。

このように日本文明の根幹には、縄文時代以来の文化的伝統が巨大な潮流として存在し、弥生時代の稲作文化も安土桃山時代の南蛮文化も、そして明治以降の近代ヨーロッバ文明も、 この縄文文明の伝統に刺激を与え活性化する役割は果たしたが、結局のところ縄文文明にとりこまれ、のみこまれていったのだ。
そのように見るならば、縄文文明こそ日本文明であるといっても過言ではない。縄文文明こそ、日本の内なるフロンティアなのである。

市場社会・西洋の価値観による社会の崩壊が迫っている現在、潜在思念に合致しない観念や制度は、現実に合わせて組み替えたり、淘汰するという縄文回帰の時代でもあり、縄文文明の伝統は、21世紀の時代の精神でもある。
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艶やか時代絵巻 熊野詣 [3]よりお借りしました

平安時代の10世紀初頭に始まり12世紀に頂点に達した「蟻の熊野詣」といわれる熱狂的な熊野崇拝も、やはり縄文文化への回帰の現れではなかったかと梅原猛氏は指摘する。
「それはもう一度日本の深淵文化の根底に触れて、根本的に歴史を新たにしたいという個人を越えた巨大にしてひそかなる意志に左右されてのことであったと思う」と。
それはまた21世紀の新千年紀をむかえる現代日本人が共有する時代の精神でもある。現代の縄文への回帰は、まさに梅原氏が指摘するように「根本的に歴史を新たにしたい」という願望から発するものなのであろう。
それにしても熱狂的な熊野崇拝が起こり、縄文への回帰が引き起こされた10世紀から12世紀は、中世温暖期といわれる地球湿暖化の時代に相当しているのが、私には興味深い。
きたるべき21世紀も地球温暖化の時代である。その地球湿暖化の時代になぜか、日本人は基層文化としての縄文に回帰する。
そこにはきっと海洋的な気候風土、とりわけ森の風土に特色づけられる日本の自然と、森の民、海の民としての日本人とのかかわりあいの特殊性の謎が隠されているにちがいないと思う。

縄文文化が花開いた江戸時代の後の20世紀は、男原理に直結した西欧がリードした時代であり、21世紀は再び相手発の女原理を基盤とした縄文回帰の時代でもあります。
るいネット [4]より

充足・安定を尊ぶ縄文体質とは、すなわち女原理。女原理で動いてきた我々日本人にとって、女性の勤勉さは肯定・感謝の対象であり同化対象です。そこを基点に、男性にとっての労働=闘争も認識して価値を見出していったのが日本人なのだと思います。(労働=闘争を男原理と直結させて理解する欧米人にとって、ここは理解しにくいでしょう)
今後、充足発の実現方針を出していくのは、男原理の闘争過程ですが、たゆまぬ努力の源泉である勤勉さは、女原理の勤勉さであると思います。
この勤勉さが、充足発の闘争を実現する日本人的基点になると思えてきました。

次回は、西欧人の観念体系と比較しながら、日本人と、日本人の社会の基底に脈々と流れている共同性が、日本人の観念体系を形成してきたかを検討します。

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