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11/28なんでや劇場(4) 戦争の起源

第4回目では、人類文明史を左右する「戦争の起源」を追求します。
今まで、長く隠され歪められた歴史の真実とは・・・
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るいネットより、11/28なんでや劇場(2)戦争の起源 [1]より引用です。
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●戦争の起源
では、戦争はいつ、どこで始まったのか?
5500年前のシュメールで城壁都市ができているということは、それ以前から戦争が始まっているということ。従って、戦争が始まったのは、5700年前(原白人の第二次南下)~5500年前(城壁都市)の間のどこかであろう。
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                       城塞都市ジグラット
では、どこで始まったのか?
原白人orセム族がシュメールを襲った。あるいは、ハム族がエジプトに、セム族が小アジア・イラン高原に侵入する際も無抵抗で進んだはずはなく、原住部族を蹴散らして進んだ。いずれにしても、中東の各所で同時的に戦争が始まったと考えられる。
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                    シュメールの位置
そして、戦争を仕掛けた主体はやはり遊牧部族であり、農耕部族とは考えにくい。∵農耕部族が敵を蹴散らしながら、中東の砂漠地帯を越えてエジプトに侵入したとは考えにくく、それができるのは遊牧部族しかない。
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                     セム族、ハム族の分布
実際、シュメールを襲って滅亡させたのもセム系の遊牧部族である。餓えた遊牧部族がシュメールに次々と侵入し、いくら撃退しても侵入が続くものだから、ついにシュメールは力尽きて、セム系の遊牧部族に乗っ取られてしまう。また、このセム系の遊牧部族は元は母系集団であったが、戦争が始まると力の原理が優勢になり父権集団に転換(つまり母系の勇士婿入り婚から父権の一夫多妻婚へ移行)している。
戦争の原因として農業・牧畜・遊牧という生産様式によって人口が増えたからではないかという説が提示されたが、それだけではなく、これらの生産様式によって生産力は上がったが、その分適応力が下がったからだと考えるべきだろう。すなわち、それぞれの生産様式は(農業であれば灌漑といった)特殊技術を必要とするので、簡単に転換できなくなっている。従って、気候が変動すると、他部族を襲うしかなくなったのではないか。
あるいは、余剰生産力によって生まれた富の蓄積の遍在が原因で戦争が始まったという説も出たが、少なくとも5000年前までは余剰生産力は発生していない。∵生産力が上昇した分、人口が増えるだけだから。余剰生産力の分配に偏りが出るのは、戦争によって支配-被支配の関係になってからの話である。

次の「(5)インドの部族移動の歴史と中国の部族の追求課題」に続きます。

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