http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=214136 [1]
昨年8月30日の参院選では、国民の期待を受け民主党が政権交替を実現・・・
画像はこちら [2]からお借りしました
「特権階級の空中浮遊」とはどういうことなのか?その本質は何か?を紹介するシリーズの第11回です。
いよいよシリーズも残すところあと2回です。
これまでの流れは・・・
第1回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(1)~特権階級の世界と大衆の世界の断絶と接点」 [3]
第2回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(2)~戦後日本の意識潮流とマスコミの第一権力化」 [4]
第3回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(3)~小泉・中曽根元首相の共通点と電通によるメディア支配」 [5]
第4回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(4)~輸血経済(自由市場の終焉)と失われた40年」 [6]
第5回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(5)~小泉の支持率・目先収束とマスコミの扇動報道」 [7]
第6回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(6)~“民主党攻撃を強化せよ!徹底的にやれ!”」 [8]
第7回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(7)~「報道の自由」を盾に、「国民の知る権利」をいいように踏みにじる報道行為は許されない~」 [9]
第8回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(8)~日本の政治を動かしているのは政治家ではなく官僚だ!~」 [10]
第9回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(9)~暴走する検察:検察権力の強大さ~」 [11]
第10回「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(10)~特権階級の暴走と下層階級の暴走~」 [12]
でした。
前回は、「上も下も暴走」する構造について考えてみましたが、今回は、’09年頃の社会状況を基に、暴走の果てに「空中浮遊」に至る構造について考えてみます。
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まずは「るいネット」 [13] より。
■’09年末なんでや劇場ノート1~偽ニッチの罠に嵌った特権階級 [14]
’09年末なんでや劇場は、市場論の史的進化を踏まえながら、09年の諸現象を象徴する「特権階級の暴走と無能化」の本質に迫る勉強会となった。
●’09年は「特権階級の暴走と無能化」が決定的になった。
’09年は脱官僚、政権交替、事業仕分けと大衆の特権階級への疑念が顕在化してきた1年でもあったが、他方で、既得権益を死守せんとする、特権階級の暴走、そしてその無能ぶりが明らかになった年でもあった。
小沢・鳩山といった「政治主導」を掲げる政治家たちへの執拗な「司法権力(検察)の脅し」そして「共認権力(マスコミ)の中傷」。小沢に食ってかかった宮内庁官僚の発言。普天間における国益を無視し防衛利権に固執し続けるマスコミの売国的報道。菅谷さん事件のような権力犯罪。・・・・「国民のため」という大前提を喪失し、自分に都合のよい正当化観念を掲げて、己の利権拡大に固執するばかりの「特権階級」の暴走はあまりにも目に余る。なんといっても検察もマスコミも権力の一角を担う以上、絶対不可欠な「公正・中立に対する配慮」を投げ捨てて、偏向し、裁量権を拡大利用するその姿はまさに「暴走」というしかない。
しかも国民のため、みんなのためという対象性を喪失した言説、政策方針は、現実を混乱させるばかりの失策続きである。その結果「官僚は無能」と大衆からそっぽを向かれつつあるにも関わらず、そのような現実すら理解できていない、というのだから、もはや「無能」の極みでもある。
官僚と言えば、学歴社会におけるトップレベルのエリート=秀才であり、「官僚は無能」に対し「え?そうなの?」と違和感を覚える人もいるかもしれません。しかし、以下のように考えてみると、確かに彼らの一見高い能力が、いかに役立たずかが見えてきます。
『自分のことしか考えていないのが無能
みんなのことを考えて追求するのが有能』
言われてみればそうだ。社会すなわち「みんな」の目線から見れば、例え何かを遂行する能力が高くても、それがみんなにとって役に立つものでなければ無能。むしろ、自分の欲求ばかり満たそうとするから周りにとっては有害だろう。
有能と無能を分かつもの、それは『周りのことを考えているか、自分のことしか考えていないか』である。
(社会における有能・無能とは [15])
つまり、“自己中”ゆえに全く社会の役に立たず、自分のことしか考えないから周り=大衆の期待や評価(白い目圧力)を感じ取れない・・・故に益々露骨な暴走を繰り返す。その結果、益々彼ら特権階級の無能ぶりが誰の目にも明らかになり、大衆から相手にされなくなりつつあるのが現在の姿ではないかと思います。
続きです。
●果たして歴史上、ここまで特権階級が暴走し、無能化したことはあっただろうか。
<中略>
とはいえ、貧困が消滅する’70年以前は、国益の拡大=国家私権の拡大=国民利益の増大、というベクトルを逸脱するような売国的行動には国民の監視圧力も働いており、それ故にそれなりに三権分立も機能していたし、マスコミも司法も「公平・中立」という大原則を逸脱することはなかった。
ところが’70年以降、国民の私権圧力が衰弱したことをいいことに、特権階級は権力行使と己の私権確保に埋没するようになり、売国的行動が多発するようになる。つまり私権圧力衰弱下での少数私権派の反動的勢力拡大である。つまり、特権階級は偽ニッチの罠に落ちたのである。
特権階級の自己中化を加速させたのが、“偽ニッチの罠”です。(前回記事 [12]参照)
私権圧力衰弱に伴う国民の監視圧力衰弱をいいことに、これ幸いと私権獲得のニッチに飛び込んだ・・・しかし、それは「私権原理から共認原理」へのパラダイム転換において、進化ではなく滅亡へと向かうニッチ・・・罠であることに全く気付くことができなかった。(参考:私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな発へ) [16])
昨今の特権階級の失策続きは、「偽ニッチ→滅亡」の構造がいよいよ顕在化してきたためと言えるでしょう。

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もう一方の特権階級である、マスコミも急激な変化に直面しはじめました。
以下は、昨年8月末の衆院選時のマスコミ報道についての論説です。
民主党政権下でのマスコミ
日本のマスコミは、本当におかしいと国民はすでに気づいてしまった。もしかしたら、国民から捨てられつつあるのではないかという恐怖心に、今、大新聞・大テレビの幹部たちは、襲われつつある。
今日のぼやき(リンク [18] )より
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しかし、官僚たちと、それから、テレビ5社・新聞5社の、電通(でんつう)の子分の、許すまじき、アメリカの手先どものこれまでの、永年の悪業の数々は、許すべきではない。 田原総一朗(たはらそういちろう) を筆頭にして、本当に、打ち首にすべきである。
このあとに載せる、獄中の植草一秀氏から、私に昨日の午後、入った連絡で 「 ②酒井法子氏の報道ばかりで、2005年と比べて圧倒的に少ない選挙報道」という指摘がある。
本当にそうだ。テレビ、新聞が、選挙報道を、ほとんどしない。NHKを含めて、奇妙なほどに選挙報道をしない。 自分たちが、これまで、ずっと、自民党寄り、アメリカの手先ぶり、大企業寄り、残酷な金融資本の太鼓( たいこ)持ちをずっとやってきたからだ。彼らの内心の忸怩(じくじ)は、急激に起こった。「自分たちは、もしかしたら、国民から捨てられつつあるのではないか」という恐怖心に、今、大新聞・大テレビの幹部たちは、襲われつつある。
だから、それで急に、「報道の中立、公平」に目覚めて、自分たちが、これまでやってきた、奇怪な偏向報道(アメリカの買弁報道)に、はっと気付いて、それで、「今度の選挙は、極力、報道しない。報道しないことで、自民党を支援する」という態度に出た。 そして、この、卑怯なメディアの態度も、裏目に出つつある。
国民はすでに気づいてしまった。日本のマスコミ=マスゴミは、本当におかしな、日本国民を洗脳するための道具であり、「日本国民に向けられた刃物」(評論家の森田実氏の言葉)なのだ。低劣で、愚昧極まりない、白痴お笑い番組ばかりを作って、日本国民を愚弄し続けた。 そしてだんだん見向きもされなくなっている。自業自得(じごうじとく)である。
<中略>
こんなはずではなかった。と、彼らは、今、慌てふためいている。官僚たちと、メディア(マスコミ)各社の幹部たちは、本当に、「こんなはずではなかった。国民が、こんなに急に、変身(変貌)して、自分たちに立ち向かって来ようとは」と震(ふる)えている。 自分たちによる国民洗脳が、急激に、もう通用しなくなったのだ、と、8月になって、ようやく本気で気づきだしたのである。

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「だんだん見向きもされなくなっている。」については、この間の視聴率・購読数・広告費の低落や、本業での赤字経営を見れば明らかです。
しかし、このようにマスコミに対する違和感が上昇し、国民洗脳(染脳)が急激に通用しなくなったのはなぜでしょうか?
ひとつは、’70年の貧困の消滅に伴い「豊かさ期待」が消滅したことにより、マスコミによって「豊かさ」に込められた快楽や利便への幻想の化けの皮が剥がれはじめ、誰もが違和感を感じはじめたためだと考えられます。
更に、昨今の私権拡大可能性の消滅+秩序崩壊の予感から、心底での収束不全 [21]が急上昇しており、本能次元の秩序収束を経て、今や課題(勉強・仕事)収束の段階に移行しつつある・・・つまり、「遊び」よりも「追求」という意識が顕在化しつつあり、マスコミの栄養源である遊びや娯楽・芸能が急激に衰退しはじめた・・・これがもうひとつの原因であると考えられます。(参考:10/17なんでや劇場(6) ’70年~現代 収束不全⇒本能的な秩序収束⇒課題収束⇒認識収束 [22])
つまり、大衆は官僚の無能さやマスコミの騙しに気付きはじめ、相手にしたくない「おかしな人達」と見做しはじめた・・・こうして自己中化する特権階級と、共認収束する大衆との間の断層はどんどん広がっていき、今まさに「空中浮遊」段階に入ったのではないでしょうか。
次回はいよいよ最終回です。特権階級の空中浮遊とはどういうことなのか?・・・乞うご期待 