- 日本を守るのに右も左もない - http://blog.nihon-syakai.net/blog -

11/28なんでや劇場に向けて(3) 日本・中国の気候変動(1万5000年前~2000年前)

最後に、東アジアの気候変動の概略を押さえた記事を紹介する。
『るいネット』「日本・中国の栽培の起源年表」 [1]からの引用。
いつも応援ありがとうございます。

ヤンガー・ドリアス寒冷期に西アジアは食糧不足に陥り、同類闘争圧力が高まった。それを回避するために栽培・遊牧が生まれた。以降も温暖期と寒冷期の繰り返しで遊牧部族が増加し、5800年前以降の寒冷・乾燥期にとうとう略奪闘争が始まった。以上が、西アジアにおける栽培・遊牧の起源の起源・拡大仮説です。
このヤンガー・ドリアス期は日本では縄文時代草創期に当たります。最新の発掘データでは、長江周辺の稲作の起源もヤンガー・ドリアス期にまで遡る可能性があります。ところが、日本ではヤンガー・ドリアス期に栽培は始まらなかった。西アジアと縄文の違いは何なのか? 長江の稲作も寒冷化⇒同類闘争圧力説で説明できるのか?等々、検証すべき課題が多々あります。

12,800年前頃に,「ヤンガ-・ドリアス」と呼ばれる「寒の戻り」があり,日本以外の他の地域(ヨーロッパや西アジア)では,食料を確保するため,農耕を開始しました(⇒この時期に「小麦」の栽培も始まったと考えられています)。しかし,日本の場合は,この寒冷化(「ヤンガー・ドリアス」)は,農耕への移行につながりませんでした。その理由は,当時日本列島にはすでにブナやナラなど落葉広葉樹の森が広がりつつあり,食料が森や川から得られやすかったこと,イネ科の草木が生育する広大な草原が無かった,もしくは稲の野生種が無かったことなどが理由と考えられています。「ヤンガー・ドリアス」の寒冷化が終了した後の数千年は,むしろ現代よりも温暖な気候となり,列島全体が森で覆われました。中でも東北地方では「三内丸山」の人々が栗などを大量栽培し,人口増をささえていました。(引用「米 稲作 起源 食品関係の粉粒体(2)」 [2])

西アジアだけでなく、日本や中国長江周辺の栽培にまつわる出来事を時系列で押さえて、総合的に栽培(遊牧)の起源を検証する必要があります。以下、その年表です。
【1】1万5000年前以前 氷河期 北方・南方より日本列島への流入 
【2】1万5000年前以降 温暖化が進み、海面上昇
【3】1万3000年前以降 ヤンガー・ドリアス寒冷期 西アジアでムギ栽培開始 長江流域でイネ栽培開始? 人類がアメリカ大陸全土に拡大。日本は縄文草創期(南九州で集落が現れる=上野原遺跡。土器が作られ始める)
【4】1万年前以降 温暖化 日本は縄文早期(対馬暖流が日本海へ流入し、日本列島に森林が拡がる。竪穴住居が作られ、集落が各地にできる)。
【5】8000~5800年前頃 世界的に気候最適期で現代より温暖。
【6】6000年前以降 日本は縄文前期(人口が増加し、日本列島全体に集落が拡がる。三内丸山の人々が栗栽培)
【7】5000年前以降 寒冷期に入る。西アジアで略奪闘争 日本は縄文中期(環状集落=大集落の発展。磨製石斧の拡がり→森の開拓)
【8】4000年前以降 引き続き寒冷期。中国では4200年前からの寒冷化によって、中国北部の稲作牧畜民(漢民族)が南下してきて、長江周辺の稲作漁労民を滅ぼした。日本は縄文後期(集落の崩壊・分散→人口減少。赤山遺跡ではトチの実の共同アク抜き作業)
【9】3000年前に再び寒冷期。さらに激しい畑作牧畜民(騎馬民族)が拡大・南下し、長江流域の稲作漁労民は、雲南省や貴州省へと逃れた。また一部の人々は日本へと逃げのびて、米を伝えた(雲南省の人々と日本人の風俗習慣は非常に似ているとのこと)。日本は縄文晩期で、西日本で稲作(陸稲)が始まる。
【10】2000年前 水田稲作が始まり、全国へ拡がる(弥生時代)
 1800~1700年前 倭国大乱⇒卑弥呼の邪馬台国連合
 
参考「米 稲作 起源 食品関係の粉粒体(2)」 [2]

るいネット [3]
メルマガ [4]

[5] [6] [7]