
「中東のベリーダンス」
2010年11月09日「人々の意識⇔国家(制度)⑪~国家成立を抑えるためにも性文化の追求が不可欠~」 [1]には、次のような記述がある。
ベリーダンス(Belly dance、あるいはbellydance)は中東およびその他のアラブ文化圏で発展したダンス・スタイルを指す言葉。女の顔を隠すベール(≒性を抑制)がある国のダンスがこんなに挑発的というのは、かなり面白い。
中東のベリーダンスは古代エジプト時代に既にあったらしいが、その起源はもっと古くに遡るであろう。
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確かに、中東の父権多妻婚下では、ベール等によって女の挑発を抑制する一方で、他方ではベリーダンスのような女の挑発力を発揮させている。あるいは似たような事例では、アラビアの遊牧部族ベドィウン族では、婚前交渉は自由奔放だが、結婚後の不倫は厳罰である。
「『婚姻論』付 世界の各部族の婚姻形態」 [2]から引用する。
●砂漠のベトウィン族:アラビア
アラビア砂漠に住む回教徒だが、未婚女性のセックスは自由奔放。婚前交渉から生じるトラブルの責任は、全て男が取らなければならない。例えば女を棄てると、当人と近親者の男2人が断首刑に処せられる。結婚の自由も女に認められており、気に入らない縁談は拒否できる。しかし結婚後の姦通については厳しく、離縁されたのち実家の男たちの手で処罰される。
☆中東の遊牧部族が、一方で女の挑発や婚前交渉を容認しながら、一方で強力な不倫のタブーやベールなどによって挑発を抑止するのは、何故か?
☆一方、同じ父権制の遊牧部族であるモンゴル系部族は女の挑発は控えめであり、婚前交渉もタブーである。両者の違いはどこから出てきたのか?

それは、両者の出自の違い(元狩猟部族か元採集部族か)によるものだと考えられる。
以下、『実現論』「前史チ.採取時代の婚姻様式」 [3]から引用する。
観念機能(事実認識=洞窟・貯蔵・火・調理具・戦闘具・舟・栽培・飼育)の進化によって生存力を強化した人類は、約1万年前、弓矢によって外敵と互角以上に闘えるようになった頃から洞窟を出て地上に進出する。そして地上に進出した人類は、忽ち外敵を駆逐して、繁殖していった。その結果、繁殖による集団の拡大→分化を繰り返した人類に、ようやく同類闘争の潜在的な緊張圧力が働き始める。とは言え採集部族や狩猟部族は、互いに贈物etc.を通じて友好関係の構築に努め、闘争を回避していた。
しかし、外圧が低下すると集団統合力が低下し、規範収束力も低下してゆく。同時に、外圧の低下につれて解脱収束(中心は性充足の欠乏)が強まってゆく。更に、集団規模が拡大したこともあいまって、原モグラ以来1億年に亙って踏襲してきた首雄集中婚を維持することが困難になっていった。こうして約1万年前、人類の雌雄(婚姻)関係は劇的に変化してゆくことになったが、豊かな山野や海辺に進出して木の実などの採集や漁労に転じた採集生産の部族と、従来通り獲物の豊かな森林で狩猟を続けた狩猟生産の部族では、全く異なる婚姻規範を形成する。
東アジアの黄色人(モンゴロイド)をはじめとして、世界人口の過半を占めていた採集・漁労部族は、仲間の解脱収束→性欠乏の上昇に対して、皆が心を開いた期待・応望の充足を更に高める方向を目指し、部族内を血縁分割した単位集団(氏族)ごとの男(兄たち)と女(妹たち)が分け隔てなく交わり合う、総偶婚規範を形成した(但し、氏族を統合している部族レベルでは首雄集中婚が踏襲されている事例が多いので、正確には上部集中婚・下部総偶婚と呼ぶべきだろう)。なお、その後同類闘争の緊張圧力が高まると、再び集団統合力を強化する必要から、氏族ごとの閉鎖性を強め分散力を強める兄妹総偶婚は廃止され、部族内で定められた他の氏族の異性たちと交わり合う交叉総偶婚に移行してゆく。何れにしても、期待・応望充足を最大の活力源とする採集部族は、総偶婚によって期待・応望(=共認)充足を破壊する性闘争を完璧に解消して終うと共に、総偶婚によって一段と期待・応望充足を強めたことによって、その充足を妨げる自我回路もほぼ完全に封印していった。
(中略)
それに対して、ヨーロッパの森林地帯に留まった白色人(コーカソイド)をはじめとする狩猟部族は、その狩猟という生産様式から、まだまだ強い闘争圧力を受けて強い集団統合力を維持し続けており、その結果、首雄集中婚の規範が長く残り続ける。しかし、外圧の低下によって次第に解脱収束が強まり、集団規模も拡大してゆく。そこで狩猟部族は、首雄集中婚を踏襲しつつ、首雄=族長という資格を一段下に拡張した勇士集中婚を形成していった(これは、女長老が采配する母系氏族の姉妹たち全員が勇士を迎え入れる、勇士婿入り婚とも言える)。
★中東の遊牧部族は、元狩猟部族→勇士(婿入り)婚→性闘争本能刺激のために女の挑発
モンゴルの遊牧部族は、元採集部族→総偶婚→性闘争解消→女の挑発不要
元々は狩猟部族で勇士(婿入り)婚だったのが、生産様式が遊牧に転換するに伴って婚姻制度も父権制に転換したのが中東の遊牧部族である。それに対して、元々採集部族で、元々の婚姻様式は総偶婚だったのが、遊牧に転じて婚姻様式が父権制に転換したのがモンゴル部族だと考えられる。
狩猟部族の勇士婚(勇士婿入り婚)は、男の性闘争本能 [4]を刺激し、それをエネルギー源にすることで男の活力→戦闘力上昇を目的とした婚姻様式である。そして、男の性闘争本能を刺激するのに一番手っ取り早い方法は女の挑発である。これが、狩猟→勇士(婿入り)婚発の遊牧部族において、未婚女性のセックスが自由奔放、かつ女の挑発が顕著な理由であろう。
ところが、性闘争本能は「自分以外は全て敵」とする本能であり、集団を破壊する危険性を孕んでいる。性闘争本能を刺激するだけでは集団は破壊されてしまう。そこで、ベドィウン族のように、結婚後の不倫はタブー化し、さらにベールなどによって女の挑発を抑制するといいう規範を強力に作り上げたのだろう。つまり、狩猟→勇士(婿入り)婚発の遊牧部族は、一方では男の活力上昇のために性闘争本能を刺激すると同時に、他方では集団の統合維持のために性闘争を抑止するという、綱渡り的なバランスをとっているのである。
それに対して、モンゴルの遊牧部族は元々が採集→総偶婚であった。つまり、総偶婚によって性闘争を完璧に解消して終うと共に、総偶婚によって一段と共認充足を強めたことによって、その充足を妨げる自我回路もほぼ完全に封印した。このように性闘争を完全に解消したわけだから、そこから遊牧に転じても性闘争をエネルギー源にはせず(できず)、狩猟→勇士(婿入り)婚発の中東遊牧部族のような女の挑発は生まれなかったのだろう。 また、彼らは総偶婚の時代から皆で共認した規範で定められた異性たちと分け隔てなく交わりあっていたのが、遊牧→父権制に転じても家父長が決めた相手と婚姻する様式に変わっただけなので、そこでも女の挑発を強化する必要性は登場しない。かつ、モンゴルの遊牧部族の方が中東の遊牧部族よりも自然圧力が厳しくなく、比較的豊かであることも、モンゴル遊牧部族が女の挑発によって男の戦闘力を上げる必要がなかった理由であろう。
★人類史の総括~性闘争刺激こそ西洋の自我・私権の源流?
しかし、改めて考えてみると、中東の遊牧部族が採った組織方針(男の性闘争本能の刺激)は極めて危険なやり方である。実際、世界中の狩猟部族発の民族の大半に、不倫をタブー化する伝承や神話が残っている(アダムとイブもその一つ)が、性闘争によって集団統合が破壊され、滅亡した、あるいは滅亡の危機に瀕した部族が多数存在したことを暗示している。
あるいは、性闘争本能の刺激が、部族連合国家時代以来の富族強兵共認⇒戦争の根本原因となっているとも言えるのではないだろうか。さらに言えば、西洋の自我・私権の源流という問題も、ここ(性闘争本能の刺激)にあるのではないだろうか。
西洋文明が終焉しつつある今、忘れてはならない人類史の総括ポイントであろう。
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