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世界が注目する日本人の可能性1~歴史に見る日本人の可能性1~

 対日グローバリゼイションの攻勢は、レーガン共和党政権が主導した日本市場開放圧力から始まりました。更にグローバル化を露骨に画策したのが小泉/竹中政権だ。マスコミが煽り立てた小泉フィーバーに世論を巻き込んで、「対日年次改革書」に従ったグローバル化を画策して日本をガタガタにさせ、日本社会の伝統や日本人の持つ共同体性に計り知れない打撃を与えたのです。
 ブッシュ夫婦の眼前でプレスリーの物真似に興ずるポチ・小泉を見て、心ある日本人は世界を巻き込んだグローバリズムとはアメリカ従属のことだったと思い知りました。この様な米国発の金貸し勢力が企てたグローバリズムの嵐は、戦争屋・ブッシュや金融資本主義勢力の好き勝手な振る舞いを世界中に蔓延らせ、世界のいたるところで凄惨な殺戮戦争や貧困を生み出すことになったのです。
 自民党清和会支配からの歴史的な09年・政権交代に、日本国民は脱米政権を期待したものの、稚拙な鳩山政権は持ちこたえることが出来ず、小泉紛いの仙谷/菅政権の登場に至っては米国盲従スタンスが世界から見抜かれて、小物扱いの無能ぶりを曝け出す始末となってしまったのです。
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 この様な日本の特権階級が加担したグローバル化(→米国追従)が猛威を振るってきたにも拘らず、多くの日本人の心底で息づく日本人らしさが必ずしも薄められて仕舞ったとは云えないとも思えます。世界中から舐められて小物扱いされる日本の政治体制(暴走する特権階級)とは別次元で、日本人の勤勉な真面目さや約束を守る正直さは世界の人々はもとより、彼の中国人といえども実は知り抜いているのです。(だから彼らは日本の農産品や工業製品を購入し日本の不動産を買っているのです)。
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 飢えの圧力を既に克服した先進国は悉く私権活力の衰退から国家財政までが破綻して、閉塞感一色となってしまいました。リーマンショックに続いて、ドル・米国債の暴落が引き金になって世界を震撼させる大混乱が数年以内には想定されます。
 然し08年の世界バブルの崩壊を契機に、日本社会では「豊かさ期待」に代わって「本源期待」が人々の心底から生起して来ました。これから先10年の日本社会は、先駆的な企業や農業生産者や「本源期待」に目覚めた人々から、共同体の建設が始まって行きます。
 今、日本人の共同体性や同化能力が世界の注目を集め始めました。世界が注目する日本人のものの考え方や集団規範、そして日本人の国民性や民族性とは何か、世界規模で始まる経済破局を前にして考えて行きたいと思います。そのプロローグとして、「歴史に見る日本人の可能性」の引用から始めて行きます。
るいネット [1]より

■なぜ、大衆と特権階級の断層が広がるのか?
   私権空間の空洞化 → 特権階級の暴走
   ↑               ↓
私権の衰弱            大衆と特権階級の断絶
   ↓               ↑
   豊かさ期待の消滅→収束不全⇒共認収束
1970年に豊かさが実現されるまでは、人々は貧困の圧力に晒され、飢えから逃れる為に必死になって働いた。この社会では、私権(お金や、お金を得るための身分)が共認されている(皆に認められている)ため、社会の全ての物財は私有の対象となり、私権を確保しなければ生きていけない。つまり、貧困の圧力の下では、私権獲得が第一義課題であり、活力源であった。この社会では、豊かさ期待という社会共認の中に、全成員が包摂されており、支配層も大衆も豊かさ期待と言う意思において一体であり、両者は繋がっていた。
しかし、1970年に工業生産の発展によって豊かさが実現されると、私権獲得はもはや第一義課題ではなくなり、人々はその為に必死に働こうとはしなくなる。私権獲得と言うそれまでの活力源を喪失し、若者は先行して「相手に喜んで欲しい」「みんなの役に立ちたい」という思いを強め、期待に応えて得られる共認充足を、新たな活力源とし始めている。
豊かさが実現されると、豊かさ期待は薄れて行き、無意識の深い地平で私益追求から離脱して共認充足に移行してゆく大衆と、あくまで私権追求・市場拡大を志向する特権階級の間に断層が生まれ、どんどん拡大していった。この断層は、1990年のバブル崩壊で大衆の私権追求意欲が急速に衰弱して行ったことにより、断絶し始めた。
いまや自らの私権=特権にしがみついているのは特権階級だけであり、共認収束を強める庶民との断層は広がる一方である。
そして、新しい活力源は、私権獲得ではなく共認充足にしかない。その意味で、世界でも最先端を進んでいるのは日本のように思える。日本に可能性はあるのか?

続けて、東洋と西洋の民族性の違いについて検証していきたいと思います。

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