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シリーズ『超国家・超市場論』第3回 『国家と市場は、外圧に対する適応原理が全く異質な存在である』 ~闘争(能力)適応と共生(取引)適応~

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当ブログでは、“認識形成の場(認識形成サイト)は国家や市場という旧い体制を超えることが出来るのか”に焦点を当てて論述している、四方勢至氏の「超国家・超市場論」を連続シリーズで紹介している。
前回のエントリー [3]では、国家や市場の成り立ちや原理について押さえるために、まず最も基礎部分(基底部分)である、生物の統合原理=「あらゆる生命体や集団は、外圧(外部世界)に対する適応態として存在している」ことを紹介した。
 
今回のエントリーでは、生命体や集団の適応原理とはどのようなものが存在し、そして国家や市場は各々どのような適応原理に基づいているのかを明らかにしていきたい。
 
応援よろしくお願いします。


超国家・超市場論2 闘争(能力)適応 と 共生(取引)適応 [4] (るいネットより引用)

全ての生物は、環境(外圧)に対する適応態として存在する。そして環境(外圧)が変化すると新しい環境(外圧)に適応すべく新しい最先端の可能性へと収束し、やがて新しい機能が生み出されると、古い諸機能は新しい環境に適応し得る最先端機能の下に収束することによって、全体が再統合される。
 
一般に生物にとって最大の外圧⇒課題は、敵生物との外敵闘争であり、従って闘争機能の進化を中心とする闘争能力の機能進化が、先端機能=統合機能の進化の主軸となる。その他にも、この闘争(能力)適応から発展した集団(統合)適応という様式があり、これもごく一般的な適応様式である。例えば哺乳類etcに顕著な序列本能も闘争圧力に対応した集団(統合)適応の進化形であり、また、霊長類に固有の共認機能も、この集団(統合)適応の進化形である。
しかし、生物の適応様式は実に多様で、例えば共生(取引)適応という様式も、比較的よく見られる適応様式である。(注:共生とは相互利用の関係であり、異種間の取引関係であるとも云える。)

引用文のとおり、生命体の適応方法には大きく「闘争(能力)適応」と「共生(取引)適応」とが存在する。
そして、「闘争(能力)適応」とは、外圧(外敵)に「直接」対応した闘争機能(能力)の機能進化である。他方、「共生(取引)適応」とは、いわゆる共生関係(寄生関係含む)で、外圧(外敵)に対して、他の生物を利用して、栄養摂取や防衛機能の一部を依存する適応方法である。
 
まず闘争適応について見ていく。闘争適応の代表的な事例は、例えば鹿の立派な角や、脚力に代表される、敵生物と闘う(もしくは逃走する)為の機能進化である。
 
そして「集団(統合)適応」も、この闘争適応から発展したものである。何故なら生物が、群れ・集団を形成するのは外敵からの防衛や捕食に有利だからである。
 
そしてこの集団(とりわけ哺乳類)は、概ねこの集団本能から派生した「序列本能」によって統合されている。この「序列本能」とは例えば集団内に成体のオスが10匹いるとすれば1番から10番まで序列化されることで、集団内の秩序を保つという本能である。この本能によって、弱いオスは強いオス(序列上位のオス)に従うので、日常的にはオス同士の争いが起きず、集団の統合が損なわれることがない。その意味で、この序列本能が、集団適応上の先端機能とも言えるのである。
また、このオスの序列は、概ね各オスの外敵に対する闘争能力(鹿であれば、優れた角や脚力を持つオスが上位オスとなる)に対応している。
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また霊長類の場合は、本能を超えた「共認機能」(課題や役割を相互に認め合う機能)によって集団を統合しており、能力序列を共認することで集団は統合されている。(共認機能は霊長類が、本能には存在しない同類闘争という新しい外圧に晒されたために、形成されたからであるが、この霊長類の著しい特徴については、後のエントリーで詳述したい。)
 
他方、共生適応の代表例は、例えば蜜蜂と花の関係である。蜜蜂は花の蜜を栄養分としてもらい受けると同時に、花粉を体に付けて移動するので、植物にとっては受粉の役割を蜜蜂に担ってもらっている。
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しかし、ここで注意すべきは、蜜蜂は必ずしも花のみに栄養を全面依存しているわけではない。また花も全面的に蜜蜂に受粉を依存しているわけではないことである。つまり各々は単独でも生存できる闘争機能(蜜蜂であれば羽根や針など)を有している。つまり一般的には全的外圧から見れば、闘争機能(適応)が主として存在し、共生適応が従として補完的に存在するという関係であることである。言葉を代えれば共生適応(機能)は、全的外圧から見れば部分解に過ぎないことを意味する。

社会統合の問題を考える上で、『統合様式とは、何よりもまず、外圧(≒闘争圧力)に対する適応様式である』という大前提を決して忘れてはならない。
例えば、国家は闘争系の集団(統合)適応の原理に基づいた存在であるのに対して、市場はその闘争からの抜け道としての共生(取引)原理に基づいた存在であり、両者は適応原理という最も深い所で根本的に異なった存在であることを、(傍観者たる学者からの受け売りの様な、底の浅い概念を使ってあれこれ考える以前に)しっかりと認識しておく必要がある。

国家とは、一言で言えば外敵(異民族)からの闘争圧力に対して国を防衛し、国内秩序を維持するための統合機構である。それは略奪闘争の戦乱圧力を平定し、野放図な私益闘争を秩序化するために生まれた(この国家形成の過程も後のエントリーで詳述したい)。
そして、反乱や野放図な私益闘争を封鎖・抑制し秩序を維持するために、身分秩序(例えば朝廷や幕府を頂点とした、貴族や武士に始まり、庶民にいたる力のヒエラルキーで序列下位の者は、序列上位のものに従うことで社会や集団が秩序化される)に収束しそれを制度化してきた。もちろん、これらが制度化される基盤となったのは、武力のヒエラルキーである。
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他方、ではそれに対して市場とはどういう存在なのか?
まず、市場(交易)の起源を見てみよう。それは武力闘争の抜け道であった。
約5000年前に略奪闘争の末に形成されたのが武力支配国家であるが、国王や有力貴族などに蓄積された富を当て込んで、弱小周辺部族(武力ではかなわない層)が貴重品や装飾品を統合者に売り込むことで富を蓄積したのが本格的な交易(市場)の起源と思われる。つまり武力闘争に対応しそれを秩序化させる、統合目的ではなく、武力闘争のいわば「抜け道」として登場したのが交易(取引)なのである。
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加えて、市場は社会(集団)の統合を国家に依存している存在である。
市場は、自らが引き起こした恐慌やインフレや著しい貧富の差などを自ら解決することはできなかった。それらを解決したのは、事実として国家である。つまり、共生(取引)適応の原理に則る市場は、(商取引にある相互の関係を統合することくらいは可能だが)、全的外圧に対しては、社会を統合する力など端から持ち合わせていないのである。
 
以上より、国家と市場とは「闘争適応」と「共生適応」という全く適応原理が異なる(異質な)存在であることに改めて注目する必要がある。
 

また、最近の議論の中心になっている『評価指標』を考える際にも、『闘争圧力に対する適応様式=統合様式』という視点が不可欠で、その認識を欠けば、「そもそも評価指標とは何なのか」訳が分からなくなる。
例えば、哺乳類でも霊長類でも、評価指標となっているのは上記の「力or能力」を判断する認識機能そのもの(云わば、モノサシが本能や共認内容として肉体的に備わっている)であり、人類の私権時代も同様に「力の序列」を制度化・観念化した身分(肩書き)というモノサシが使われている。
 
更には、次代の認識闘争・評価闘争の指標として想定される投稿資格(or評価ポイント)も明らかに能力序列の指標であり、それも含めて、全ては能力序列という統合原理に基づいていることが分かる。
それに対して、お金という評価指標だけが異なっているが、それはお金の母胎を成す取引or交換という方法が、闘争(能力)適応や集団(統合)適応とは異なる、共生(取引)適応(この取引関係は、闘争関係からの抜け道である)の原理に基づいたものだからである。
従って、次代の評価指標を考える場合、(投稿)資格や評価ポイントは、外圧に対する闘争能力の評価であり、統合機能を持つと考えられる。しかしお金は、市場の取引適応において生み出された評価指標であり、統合機能を持たない。
では次代の評価指標とは何かを考えるためにも、その背景となる外圧=闘争圧力と、統合機能の関係を明らかにしていく。

評価指標とは、集団や社会の統合のために存在してきたことは前々回のエントリー [8]で明らかにした。
そして注目されることは、外圧に対する「闘争(能力)適応」⇒「集団適応」における統合様式は、哺乳類から人類史を貫いて、力のヒエラルキー(能力序列)であるという共通性がある事である。
「身分」や「肩書き」もこの観点から見れば、人工的に固定化された制度であるがゆえに歪みこそ見られるが、(社会的な)力のヒエラルキーであるという点は共通である。
 
それに対して交換関係から生まれた「お金」だけは、もともと交換関係の指標であり、モノの価値を示す指標であり、力のヒエラルキーとは全く異質なものである事は、ご理解いただけるであろう。
 
次代の社会統合の様式、ひいては評価指標とはどのようなものになるのかが、われわれが最終的に求める答えである。その答えに迫るために、次回以降のエントリーでは、歴史的な外圧と統合機能との関係を、より詳しく見ていくことにしたい。

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