「特権階級の空中浮遊」とはどういうことなのか?その本質は何か?を紹介するシリーズの第9回です。

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第1回 [2]は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(1)~特権階級の世界と大衆の世界の断絶と接点」
第2回 [3]は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(2)~戦後日本の意識潮流とマスコミの第一権力化」
第3回 [4]は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(3)~小泉・中曽根元首相の共通点と電通によるメディア支配」
第4回 [5]は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(4)~輸血経済(自由市場の終焉)と失われた40年」
第5回 [6]は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(5)~小泉の支持率・目先収束とマスコミの扇動報道」
第6回 [7]は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(6)~“民主党攻撃を強化せよ!徹底的にやれ!”
第7回 [8]は「特権階級の空中浮遊」とはどういうことなのか?(7)~「報道の自由」を盾に、「国民の知る権利」をいいように踏みにじる報道行為は許されない~
第8回 [9]は「特権階級の空中浮遊」とはどういうことなのか?(8)~日本の政治を動かしているのは政治家ではなく官僚だ!~
でした。
今回は、マスコミや従米政治家とは別の特権階級である「官僚」の内、特に暴走ぶりが目立つ『検察』に注目してみました。
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まずは、こちら [10]の投稿を御紹介します。
●別冊宝島Real041号『暴走する「検察」』
イントロダクション「誰も手をつけられない“伏魔殿”」より
検察権力の強大さを、いったいどれだけの国民が知っているのだろうか。
彼らは、ありとあらゆる犯罪被疑者を「起訴」(裁判所に被疑者の審理・裁判を要求)する権利を独占的に与えられている。被疑者は、検察官がクロだと思えば起訴されるし、そうでなければ起訴されない。つまり、検察官は国民を“自分の裁量”で法廷に引きずり出す権限を持っているのである。
この権限に比べたら、警察の力など取るに足りないものだ。警察官は、被疑者を捕まえて、犯罪の証拠を揃え、検察に引き渡す。後の判断は検察がすべて行うわけで、警察官はそれに口出しできない。要するに、警察官など、検察官から見れば使用人のようなものなのである。
そんな検察権力の象徴が、お馴染みの東京地検特捜部だろう。田中角栄元首相から、近年では鈴木宗男代議士に至るまで、大物政治家を次々と逮捕・起訴してきたその力量は、他の追随を許さない。とてもではないが、自民党の顔色を窺う警視庁あたりには真似のできない力技である。
だが、そんな“日本最強の権力装置”の動向については、誰がチェックしているのだろうか。
検察官も人間である以上、その手に転がり込んできた“強大な権力”を必ずしも正当に行使するとはかぎらない。悪用することだって当然、ありうる話だ。ところが恐ろしいことに、検察権力の濫用にブレーキをかけるものが、この国には存在しないのである。
たとえば、日本の司法をつかさどる裁判所は、検察が起訴した事件に対して、なんと99%を超える異常な有罪率で応えている。“検察の言いなり”としか言いようがない。
では、行政機関たる検察庁を運営する内閣はどうかというと、その実権を握る政治家たちは、検察を敵に回したくないためか、めったに口を出さない。
検察がもっともその動向を怖れているマスコミにしても、田中角栄逮捕のころに喧伝された「検察ヒーロー伝説」の影響が残っているせいか、特捜部を“正義の味方”視する風潮がいまだにある。事件報道のネタ元である検察には楯突くことができないという業界の内部事情もそこにはあるが、いずれにせよ、大手の新聞・TVには、検察批判の報道がほとんど見られないのだ。
以上の投稿からも検察の大きな権力と暴走は分かるが、なぜここまで暴走するのか?もう少し押さえてみます。

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【歴史的には】
・実は、戦前は検察はあまりに巨大な力を持っていて検察司法という言葉があるくらい司法の世界の主役でした。裁判でも裁判官と同等か超えるくらいの力を持っていた。捜査でも検察が主体で警察を手足のように使っていた。国家暴力の国内での有力存在だった。
・特に 「検察VS政党政治」は、平沼赳夫衆院議員の祖父で、検察官僚であった平沼騏一郎の台頭から始まったと言われる。ちょうど100年前の1909年、製糖を官営にしようとして大日本製糖の重役が手分けして金を配った「日糖疑獄」という事件が起こった。代議士に次々と逮捕者が出たために、当時の桂太郎首相は検察に対して捜査の停止を要請した。これは、「政治による司法への介入」であったが、桂首相と交渉した当時民刑局長だった平沼は、これを逆手にとれば「司法が政治に介入できる」ことに気付いた。そして汚職事件に関連している政治家を罪に問うかどうかを交渉材料として、政治に対して影響力を行使しようとする「政治的検察」が誕生した。と言われる。
参考引用 [12]

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★元々強大な権力を持っていたのが事実(立法=政治にも介入可能)。そして戦後は検察の存在が無くなるかと思いきや、GHQのはからい(=手懐けられて)で権力保持が出来、時代と共に肥大・暴走してきている。
★政党との権力闘争は100年以上の歴史があり、政治権力が強くなる都度、アメリカの意向に応じて破壊させられている。
【体制的には】
・本来、民主主義の根幹を成す三権分立があるが、「検察=検察庁」は、行政機関としての側面と司法機関としての側面を併せ持った機関だ。 所属する検察官は起訴権をもち自らも法廷に立ち、刑事裁判の判決執行について指揮権を行使している。
・また、三権の一つである司法の裁判所とも人的交流は多く、体制的には両者共、行政(内閣)の法務省の組織である。
※この辺は三権のバランス(=どこを重視するか)により国家型も異なるので一概には言えないが、少なくとも体制的(人的含め)には、権力分立・監視の点において弊害は多い事が伺える。
※日本の司法をつかさどる裁判所が、検察が起訴した事件に対して、99%を超える異常な有罪率で応えている事から独立した司法とは呼べない数値根拠であろう。
・そして、一応体制上では「検察官適格審査会」という検察官を罷免・適格の審査を行う機関はあるが、その目的としての役割は果たせていない。というのもこの構成が良くない。実際、国会議員6人(衆議院議員4人、参議院議員2人)、最高裁判所判事1人、日本弁護士連合会会長1人、日本学士院会員1人、学識経験者2人の計11名で構成されているからだ。これだと裁判官・検察官・弁護士という三者一体の人達で多数を占める格好になるからだ。
※実際、審査会で裁かれる前に懲戒免職・辞職となる事からも「審査」する意味が無い事も示している。

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★検察は検察でしか裁けない仕組になっているというのが事実であり、これが強大な権力でもある(いくらでも隠蔽可能で圧力は働かない)。
参考:暴走する「検察」②~検察を捜査する機関が日本にはない~ [15]
【まとめ】
1.検察は元々(設立当初より)強大な権力を持っている。
2.政党との権力闘争は100年以上の歴史があり、近代以降は「検察>政党」という力学関係。
3.検察(検察庁)は権力分立という民主主義の根幹において、行政機関としての側面と司法機関としての側面を併せ持った機関として存在する(国家官僚のニッチ的存在)。
4.検察には圧力を掛ける体制が無い。
政党権力が失墜してから検察は、唯我独尊状態・無圧力状態と言える。まさに国民が普通に捉える感覚を失って暴走している。唯一歯止めを掛けれると思われるのが三権の残りの「立法」のみで、検事総長の人事権を握る事だ。
直近の10/24の検察・検審を糾弾する1000人規模のデモ(皆の期待)は、「マスコミ(共犯者)は当てにならない。検察の暴走を止めれるのは政治家しか居ない。」という事を示している。