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シリーズ『超国家・超市場論』1補足 生命進化のダイナミズム

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(画像はコチラ [1]からお借りしました。)
前回のエントリーでは、社会や国家を統合し活力を引き出していくためには、社会的な評価指標が決定的に重要であることを明らかにした。そして、かつてあったお金や身分の力が現在衰弱し、そのことが社会活力を衰弱させたことを大きな原因となっていることも明らかにした。
現在は社会的な評価指標が不在の状況である。我々は次代の国家やマスコミにかわる社会統合機構はインターネット上の開かれた認識形成の場が中核となると考えている。しかし、おそらくはほとんどの人がインターネットが社会統合の中核機構になることについて大いなる疑問を抱くであろう。はたしてそうなるのかどうか、あるいは別の機構が中核になるのかどうかも含めて検証するためには、人類史や生物史を遡り原始集団・国家・市場の統合原理、ひいては生命体の統合原理をおさえていくことが不可欠となってくるだろう。
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認識形成の場』が提起された原点に戻って考える時、最終的に問われてくるのは、新しい社会統合機構の中核となるべき認識形成サイトは、旧体制(つまり、国家と市場)を超えることが出来るのかという問題でしょう(当然、その中に、新しい社会はお金を超えることが出来るのかという問題も含まれています)。
そして、この問いに答えるには、既に実現論1_1_00『可能性への収束=統合』で明示されている、「新しい状況に適応すべく生み出された最先端の機能の下に全ての古い機能が収束することによって、全体が統合される」という最先端適応or最先端統合の論理が不可欠になると思われます。
ただ、適応論・統合論だけでは抽象的すぎてピンとこない方が多いでしょうから、改めて具体的に原始集団、国家、市場の夫々の適応原理(=統合原理)を押さえ直しつつ、認識形成の場(=まつり場)を中軸とする新しい社会統合機構がどの様にして古い体制(国家と市場)を超えてゆくのか(=その実現基盤は何か)を明らかにしてゆきたいと思います。
『超国家・超市場論1 新しいまつり場は、国家と市場を超えられるか?』 [2]より引用

実現論の冒頭では生物の統合原理について述べられている。

生きとし生けるものは、全て外圧(外部世界)に対する適応態として存在している。例えば本能も、その様な外圧適応態として形成され、積み重ねられてきたものである。また全ての存在は、本能をはじめ無数の構成要素を持っているが、それら全ては外部世界に適応しようとして先端可能性へと収束する、その可能性への収束によって統合されている。また、外部世界が変化して適応できなくなってくると、新たな可能性(DNA塩基の組み替えの可能性)へと収束し、新たな可能性(例えば、新たな配列)の実現によって進化してゆく。従って、歴史的に形成されてきた存在は(=進化を重ねてきた存在は)、生物集団であれ人間集団であれ、全て始原実現体の上に次々と新実現体が積み重ねられた、進化積層体(or 塗り重ね構造体)である。つまり万物は、それ以前に実現された無数の実現体によって構成されており、それらを状況に応じたその時々の可能性への収束によって統合している、多面的な外圧適応態である。
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『実現論 イ.徹底した現実直視と事実の共認』 [3]

改めてエッセンスを拾い出せば、
全ての生命体は外圧に適応すべく存在している。つまり外圧への適応状態=統合である。
外圧が変化して適応できなくなってくると新たな可能性(生物の場合はDNAの組み替え)=先端新機能に収束する。
新たな外圧の変化に適応するために、その新機能の下に旧い機能が再編成=再統合される。
これが進化である。
新たな外圧に適応すべく最先端の可能性に収束し、生み出された最先端機能の下に全ての機能が再統合=再適応される。これが生命体の統合原理であり進化原理なのである。
引き続き、具体事例として魚類から両生類への進化を例にとって見てみよう。
【魚類から両生類へ】
魚類に対比したとき、両生類の最大の特徴は、「陸の上でも動き回れる」ことにある。しかし、魚類にとって水から陸にあがることは容易なことではない。両生類の武器は四肢にあるが、この新機能はそれだけでは用を成すことはない。この新機能を実現するには、陸上での重力に耐えうる強固な骨格が必要になる。(水中では浮力が働くためストレートに重力がかからない。)さらに、陸上で酸素呼吸するためには、肺の発達も不可欠になる。
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(画像はコチラ [4]からお借りしました。)
ではなぜ、それらの進化が必要であったのか?
繰り返すが水から別天地である陸に上がることは容易なことではない。
裏返せばそのためには劇的な肉体改造が必要となってくる。そこまでして進化を求めたのは、新たな外圧(生物にとっては逆境)である。具体的には淡水(川や湖)における淡水肉食魚類の大繁殖を前にして、そこから逃げ延びるために浅瀬に移動し、本来魚類が生きていくことができない陸上への適応を強いられたからだと思われる。
これが魚類から両生類への進化の過程である。魚類は陸上で生き延びるために(陸上へ可能性収束し)、四肢という最先端機能の下に全ての機能を再編成=再統合していったのである。
http://www.showtime.jp/app/detail/contents/j19tvt321003050308961/
【人類社会(原始共同体から国家社会へ)】
次に人類社会の例を見てみよう。
人類社会は5000年前、略奪闘争という新しい外圧にみまわれた。そして原始共同体から部族連合を経て武力支配国家と変遷していった。
つまり略奪闘争という圧力の坩堝の中で、人類社会は国家という最先端機能の下に再統合されたのである。
略奪闘争の戦乱が続く中、苦難に喘ぐ人々は新たな秩序(平和安定への期待)を求めた。そういった秩序期待が、それを実現する可能性を持つ武装勢力に集まり、その結果彼らが武力によって戦乱を平定し、新たな力の秩序を作り出した。
これが国家の源である。
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(画像はコチラ [5]からお借りしました。)
この国家は身分制度や軍隊・監獄・法律・税制・文字などの新たな新機能をも生み出した。
国家による再統合のためには、これらが不可欠だったからであろう。この新秩序の下で、いわゆる「文明」も開化した。
しかし、この国家を頂点とする身分序列は、大多数の原始共同体から自治権を剥奪し彼らを奴隷に貶めた。そして、自治権を剥奪された人々は集団、守るべき集団を喪い、その結果集団について何も考えられなくなってしまった。
現代人の脳容量は実は原始人から縮小している。視力や聴覚の五感も衰退している。自立した集団を失った結果人類の肉体機能や知能は明らかに衰弱したという負の側面も決して見逃してはならないだろう。
(この武力闘争が力の序列に収束する原理的な理由は、後々のエントリーで明らかにしたい。)
このような事例に見られるように、生命や集団(社会)は外圧(の変化)に適応すべく再統合されるのである。
この外圧に対する適応方法には闘争適応と共生(取引)適応に大きく二分される。
次回は、この適応原理の中身を検証する中で、国家や市場の本質に迫ってゆきたい。

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