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人類は私権時代の全てをリセットし、ゼロから進化過程を辿り直している

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画像はこちら [1]からお借りしました。
「10/17なんでや劇場(7) 現代~近未来 対象への同化こそが新しい認識を作り出す」 [2]では、次のように提起されている。

ここまでの流れは、本能次元の秩序収束⇒共認(仲間・課題)収束⇒観念(認識)収束という流れであるが、これは本能機能⇒共認機能⇒観念機能という人類の進化過程(実現過程)をそのままなぞっている。
このことは、現代~近未来が実現の時代であることを示しており、社会期待として捉え返せば、実現期待の時代に入ったとも表現できるだろう。

現代の人類が、その進化過程を辿っているというのは重要な視点である。
この認識に照らせば、現在の社会意識がどの段階にあるかが掴めるからである。
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改めて、原猿⇒真猿⇒人類への進化過程を振り返っておく。
まず原猿段階での親和充足共認を母胎として、真猿段階で闘争共認(課題⇒役割⇒規範共認)を形成した。その上の原始人類は精霊信仰⇒観念共認を形成した。つまり、親和充足共認⇒闘争共認⇒観念共認という進化段階を経て人類は進化してきた。
さらに原猿段階より以前にある本能の次元では、全ての生物がもつ秩序収束の本能が働いている。本能は、自然圧力に対して生命が適応するため⇒秩序化するために塗り重ねられてきた、秩序化の体系である。
’70年以降私権が衰弱→消滅するにつれて収束不全が強まり、秩序崩壊の危機を誰しもが潜在意識で予感している。これは秩序本能を直撃し、それを原動力に秩序収束している。その悪い事例が嫌煙権やマナーファシズム、ましな事例が課題収束である。
人類にとって、秩序は共認によって形成される。だから収束不全から直ちに共認収束のベクトルに入ってゆく。最初は、’80年代に始まる仲間収束⇒’02年頃、私権観念が崩壊し収束不全が増大すると、次の秩序収束先として、課題(勉強・仕事)に収束する。そして、課題収束は必然的に追求に向かうので、追求と逆ベクトル(弛緩過程)にある遊びはうち捨てられてゆく。
以上の現象事実から見て、「10/17なんでや劇場(6) ’70年~現代 収束不全⇒本能的な秩序収束⇒課題収束⇒認識収束」 [3]で提起された通り、人類がその進化過程を辿っていると考えて間違いないが、問題は共認収束の内訳である。
共認機能は、原猿段階の親和充足共認と真猿段階の闘争共認(課題⇒役割⇒規範共認)に分かれる。従って、一足飛びに課題収束するわけではなく、まずは充足関係の形成に収束し、それを母胎としてはじめて闘争系の共認(課題⇒役割⇒規範)が形成される。そして、それらの土台の上に、認識収束し観念共認が形成されることになるであろう。
つまり、本能次元での秩序収束⇒(人類の秩序は共認によって形成されるので)共認収束⇒充足関係の形成⇒課題収束という進化過程を人類は再度辿っているのである。
『るいネット』「可能性と不全(肯定か否定か)」 [4]から引用する。

●充足機能がなければ、不全を知覚することは出来ない。
本能や共認や観念の充足機能があるからこそ、その非充足状態を知覚する機能が必要になった。
原猿が直面した本能不全も、性闘争本能や捕食本能という充足機能に付帯する不全感覚として知覚される。しかし、性や食の本能(充足機能)それ自体では、この本能不全=壁を突破することは出来ない。そこで、より根源的な適応本能が、可能性を模索することになる。そうして、不全捨象の解脱充足機能(=新たな充足機能)が、形成された。それら全ては、適応=充足機能(or状態)の獲得というベクトルに貫かれている。
もちろん、その過程では、原猿初期や私権時代の様に、何の可能性も見付けられずに不全感や現実否定の意識の中に閉じ込められて終う一時期も存在する。(その結果、私権時代は、現実否定(or捨象)の感応観念へと可能性収束するしかなかった。これは、解脱充足へと可能性収束した原猿と同じ位相の時代であるとも云える。もちろん、解脱充足や感応観念では、元々の縄張り本能の不全や共認充足の不全を解決したことにならないことは、云うまでもない。)
何より、不全感や否定意識に閉じ込められた状態は、一定期間しか続かない。適応=充足機能(or充足状態)の獲得という根源ベクトルに貫かれて、原猿は本能不全を超える新たな充足機能=共認機能を獲得したし、極限時代の人類は適応不全を超える新たな充足機能=観念機能を獲得した。本源充足の可能性が開かれた今、人類が私権不全を超える新たな充足状態=本源社会(共認社会)の形成に向かうのは、必然である。

’08年世界バブルの崩壊→私権観念の消滅を契機として、人類は新たな充足状態=本源社会(共認社会)の形成に向かい始めた。
それに当たって人類(とりわけ日本人は)私権時代の全てをリセットして、出発点=原猿の親和充足の地平に戻ろうとしているのではないだろうか。そして、その共認充足を母胎として、今後10年で、親和充足⇒規範共認⇒観念共認の時代へと一気に急上昇してゆくのではないだろうか。「実現の時代に入った」とは過去の進化過程(実現過程)を辿り直しているということを含意しているのだと思える。
逆に言うと、今現在は(一部を除き)観念収束の時代ではない。そこで、いきなり観念の地平を提示しても共認は形成できない。まず充足関係が形成できて、その次に規範共認、その次に観念共認の地平が開かれるのではないだろうか。これが、この間提起されている「まず充足」 [5]ということの意味であろう。
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