これから、「日本の外交をどうする?⇒インド・イスラム・東南アジアへの同化⇒その歴史認識の再構成」というテーマを追求してゆこうと思います。こういうテーマを設定した意図を述べます。
いつも応援ありがとうございます。
「インドのシン首相」
画像はこちら [1]からお借りしました。
「9/23なんでや劇場 (5)~破局後の後進国の私権意識をどうする?」 [2]では、次のように提起されました。
数年後に予想されるドル・米国債暴落に始まって、私権性の強い国家群(米中・・・)は崩壊してゆく。生き残るのは共同体的気質を残した日本・イスラム・東南アジア・南米の一部と予想されるが、その後の世界をリードするのは日本と欧州しかない。
今後、イスラム・インド・東南アジアの国々とどのような関係を築いてゆくのかが、日本の外交上の重要な課題となります。そのためには、これらの国々に同化する必要があります。そのことは「10/17なんでや劇場(7) 現代~近未来 対象への同化こそが新しい認識を生み出す」 [3]で提起された通りです。
充足を生み出すには、相手に同化する必要がある。実現するためには、対象に同化する必要がある。つまり、今後必要とされるのは、対象に対する同化であり、同化能力こそが現代~近未来の最終制覇力(実現力)であるということになるだろう。
「メッカの巡礼」
画像はこちら [4]からお借りしました。
ところが、私たちは西洋や中国の歴史はある程度知っていますが、イスラムやインド・東南アジアの国々の歴史や文化について、ほとんど何もわかっていません。
しかも、「10/17なんでや劇場(3) 武力時代の東洋の共同体質⇒秩序収束⇒規範収束」 [5]で明らかにされたように、例えば「カースト制度をはじめとする身分序列は民にとって苦しみであった」という西洋発の固定観念に私たち自身が嵌っていたことも否めません。
共同体体質故に、秩序収束⇒規範収束(身分序列や生活規範)が強いからである。日本人と同様にインド人もイスラム人も、規範秩序に守られているという感覚であって、だからこそ居心地が良いのである。(西洋人はそのことを批判するが、それは彼らが共同体性を失った自我民族だからに他ならない。)
そこで、インド・イスラム・東南アジアの国々に同化する。そのために、その歴史認識を一から事実に基づいて再構成する必要を感じています。それが出来てはじめて、これらの国々とどのような関係を築いてゆくのか、その答えも見つかると考えています。
対象に同化しさえすれば新しい認識が付け加わることによって、より正しく状況が掴め、もって事実を追求すること(原因を追求すること)が可能になる。