引き続き、10/17なんでや劇場「社会共認の歴史⇒これからは事実の共認」の参考に、イスラム教の成立過程を再掲する。
■イスラム教
イスラム教が登場した1400~1300年前のアラブ世界には、特異性がある。
遊牧部族の共同体集団がいくつも並存していた。武力支配国家はまだ登場していない。そこに急激な市場拡大の波が押し寄せる。
6000年前、世界の共同体集団は掠奪闘争⇒戦争によって蹂躙され、武力支配国家によって制圧されたわけだが、アラビア半島の大部分は砂漠という極限環境であったがために掠奪闘争にさらされず、遊牧部族の共同体集団が残存した。結果、アラビア半島の遊牧集団たちは、武力支配国家という段階を経ずに、いきなり市場の拡大圧力にさらされることになったことが伺える。
市場の拡大は私権意識を増大させ、貧富の格差を拡大させる。かつ、自我を封鎖する力の序列原理⇒武力支配国家も存在していない。アラブの遊牧集団の部族間闘争が激化するのは必然である。このように市場の拡大は遊牧部族の共同体社会を破壊してゆくことになる。彼らが大混乱に陥ったことは想像に難くない。「この混乱をどうする?」これがイスラム教が登場した当時の、アラブにおける社会統合機運の中身ではないだろうか。
ムハンマドの課題意識も、アラブの遊牧共同体社会と市場競争→部族間闘争をどう統合するか(折り合いをつけるか)というものだったのではないか。
イスラム教では商売は肯定されている。しかし、それは皆のために肯定されているのであって、だからこそ金利収入は禁止し、喜捨という富めるものが貧しいものに財産を分け与えることが規範化されている。これがイスラム教における共同体集団と市場の折り合いの付け方だったのではないだろうか。
そのためにムハンマドはまず、ウンマという部族を超えた共同体(教団)を形成した。ウンマの成員はみな部族の絆を断ちきってムハンマドについてきた者たちだった。各部族の守護神信仰では、部族を超えた共認(共同体)は形成できない。だから、ムハンマドが提起した統合観念が唯一神アッラーである。そして、この共同体ウンマに各部族を服属させていった。これがアラビア半島の諸部族を統合してゆく。これがイスラム国家の原初形態である。
ムハンマドの目指したものは、集団の破壊ベクトルをもつ市場を遊牧部族の共同体連合国家によって制御することだったのではないだろうか。集団を超えた市場を制御するためには、集団を超えた規範観念の共認が不可欠である。『コーラン』をはじめとするイスラム法が、人々のあらゆる活動を律する規範体系となっているのは、そのためであろう。
「掠奪闘争⇒力の序列によって統合された武力支配国家→私権の拡大可能性が閉ざされるので⇒私権の抜け道として市場拡大」。つまり、武力支配国家⇒市場拡大というのが通常コースだが、極限環境のアラビア半島では武力支配国家は登場せず、遊牧集団がいきなり市場化の波に晒されることになった。ここでは、通常コースとは逆に、市場化による秩序破壊を食い止める⇒市場を制御するために形成されたのが、イスラムの遊牧共同体国家だと考えられる。
以下、『縄文と古代文明を探求しよう!』「イスラム教とユダヤ教、キリスト教を分けたもの」 [1]から引用。
●結局三つの一神教をあり方を分けたのは、本源的な集団の残存度。
簡単にまとめると
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・ユダヤ教 :迫害された集団が団結し自己正当化するために一神教を掲げた。集団内部でもお互い警戒心も孕むため禁止事項が多い。
・キリスト教 :民族や母集団を失い、バラバラにされた個人の救済のためにキリストが登場。個人の内面での信仰が保証されて、支配者に対しては面従腹背となり、自我の温床となる(後に近代思想・個人主義へ発展)。
・イスラム教:アラビア半島は、半島で砂漠によって文明の中心から隔離されていたこともあって、古来からの部族集団が残っていた。その部族集団の規範を生かしつつ広域統合(←市場化)の必要性から、部族の枠を超えた一神教を取り入れた。部族共同体の枠を拡大して、相互扶助的で一体感を高めようとする。
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イスラム教がユダヤ教やキリスト教に対して比較的寛容だったという事実も、以上のような性格を裏付けているように思います。
以上のように見てくると、本源的な集団の残存度⇔解体度に応じて、同じように見える一神教でも様相が全く異なってくることを示しているのだと思います。そう考えると日本人の心性にイスラム教は意外にも近いように思う。