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10/17なんでや劇場に向けて(2)~ユダヤ教・キリスト教の成立過程

引き続き、10/17なんでや劇場「社会共認の歴史⇒これからは事実の共認」の参考に、ユダヤ教・キリスト教の成立過程を再掲する。
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■ユダヤ教
以下、『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』(岸田秀著 新書館)から引用。

旧約聖書の「出エジプト記」にあるように、BC13世紀の中頃に、奴隷としてこき使われていた白人たちが虐待に堪え兼ねてモーセに率いられてエジプト帝国から逃亡する。この逃亡奴隷の白人たちがつくった宗教が唯一神ヤハウェを崇拝するユダヤ教という一神教であり、この一神教のもとに団結した白人たちがユダヤ民族と称されることになったと考えられる。
ユダヤ民族の祖先とされているセム族はBC20世紀頃から古代オリエントあたりにいたとされているらしいが、このセム族が戦争捕虜として囚われて奴隷にされたか、あるは、エジプトを侵略したヒクソス族に従属していたセム族が、第18王朝によってヒクソスがエジプトから追われたとき(BC1570年頃)に取り残されて奴隷にされたか、いずれにせよ、エジプトで奴隷になっていたセム族がそのうち耐えられなくなって逃亡し、カナンの地に留まっていた残りのセム族と合流してユダヤ民族となったとされているようであるが、どうもよくわからない。
エジプト帝国の対外征服の過程で戦争捕虜になっていたのはセム族だけではないであろうし、まだユダヤ教という絆が発明されていなかった何百年ものあいだ、エジプトで奴隷になっていたセム族と、カナンの地に留まっていたセム族とは、離れ離れになっていたわけで、一方が奴隷だったのだから自由な交流があったとは考えられないが、この両グループは、そのあいだ、どのようなことを根拠にして、お互いに同じセム族であると認識し続け、出会ったとき、そのことを確認することができたのであろうか。昔からカナンの地に同じ民族のセム族がいたというのは、カナンの地に辿り着いたユダヤ民族がカナン占領を正当化するためにつくった作り話ではなかろうか。
エジプトで奴隷になっていたのは、セム族だけでなく、多くの雑多な民族であり、ユダヤ教という一神教が発明され、彼らがこの一神教を軸にしてまとまったとき、初めてユダヤ民族が成立したのであって、そのときカナンにユダヤ民族の同族がいたわけではないと想像しているが、わたしは古代オリエント史の専門家ではないので、その説に自信があるわけではない。
スペイン人やイギリス人に滅ぼされ、根絶やしにされた民族は別として、生き残り続けている民族としては、ユダヤ民族ほど過酷な運命に翻弄され続けた民族はいないであろう。逃亡奴隷としてのその悲惨なスタートは言うに及ばず、カナンの地にあって王国を築き、ダビデ王、ソロモン王のもとで栄えたのも束の間で、BC10世紀には王国は北のイスラエルと南のユダに分裂し、イスラエル王国はBC8世紀にアッシリアに、ユダ王国はBC6世紀にバビロニアに滅ぼされる。
その後は、マケドニア、エジプト、シリアの周辺諸国に支配される。やっとBC2世紀の中頃、オリエントと地中海世界の支配勢力がギリシアからローマへと移る狭間の時期、東方に勢力を伸ばそうとするローマ共和国の支援のもとに、ユダヤ民族は、ユダヤ民族の絶滅を図るシリアと25年間も勇敢に戦って(マカバイオス戦争)、バビロン捕囚以来ほぼ450年ぶりにふたたび独立を獲得したものの、支援者だったローマはいつの間にか支配者に変じ、それから80年も経たないBC63年に、ユダヤの地はまたもや異民族のローマに支配され、AD6年、その直轄属領となる。広大なローマは、周辺に多くの属領をもっていたが、不満を抱きながらも、おおむね従順だった他の属領民のなかでユダヤ人だけが、属領民になっても、例外的に反抗的であったらしい。
その上、一神教のユダヤ教徒は、ローマ人には奇妙に見える戒律をかたくなに守り、ローマの神々を敬わなかったため、また、皇帝をヤハウェに優る神と認めず、皇帝礼拝を拒絶したため、属領民として最もひどく迫害されたとのことである。

■キリスト教
以下、『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』(岸田秀著 新書館)から引用。

ローマ帝国に関して不思議なのは、同じく一神教であるユダヤ教とキリスト教は、まず初めは、同じように差別され、迫害されて信者を大量虐殺されたのであるが、そののちの運命は大きくわかれ、ユダヤ教は相変わらず差別され、迫害され続けたが、キリスト教はついにはローマ帝国の国教になったということである。この違いはどこからきたのであろうか。
イエスが説法して歩いていた頃のイスラエルはどういう状況だったのであろうか。イエスがベツレヘムで生まれたときのユダヤの王はヘロデ王であった。ヘロデ王は、ゼウスの化身とされていたローマ帝国アウグストゥス皇帝の傀儡であり、ローマに対しては限りなく卑屈で、ユダヤの民に対しては残酷無法な暴君であった。(中略)イエスを含めて、当時のユダヤ人一般は、外部の権力に迎合する傀儡政権の支配下の植民地人であった。
植民地人とは心服できない権力に服従しなければ生きてゆけない状況におかれている者である。そういう状況において、いちばん安易な生き方は、内面では権力を否定し、軽蔑し、必要に応じて外面では権力に服従するふりをする生き方である。ところが、ユダヤ教は、その律法主義にも示されているが、外面と内面の一致、形式と内容との一貫性を重んじる厳格な一神教であった。
ここで、棄教すれば事は簡単である。実際、ユダヤ教徒だということで差別されるということもあり、棄教したものも多くいたであろう。しかし、棄教しないとすれば、ユダヤ教徒は非常に困った窮地に追い込まれる。迫害されないように権力に迎合すれば、戒律に背くことになり、神に見放され、罪と不安のなかで暮らさねばならない。かといって、権力は強大でとても打倒できそうにない。キリスト教の派生を余儀なくさせたユダヤ教の欠陥または弱点とは、ユダヤ教それ自体の欠陥というより、植民地という状況において信者が信仰と生活を両立させるのが困難になるという欠陥であった。
ここに、非常に好都合な脱出口を提示してくれる者が現れたのである。イエスである。彼が提示した脱出口とは、戒律を厳守しなくてもいい、すなわち、内面と外面を使い分けてもいいとしたことと、神の国における救いを説いたことである。愛を説いたということは内面を重視したことであり、内面で心清らかに神を信じているなら、食物規定とか安息日とかの外面の戒律を必ずしも守らなくていいし、ローマ皇帝に税金を払っても、ローマの神々に頭を下げてもいいのである。イエスについてゆけば、ユダヤ人は、ローマ人の要求に外面的には従いながら、内面では敬虔な信者であることができるようになった。
救いに関していえば、ユダヤ教は天国とか死後の世界とかを認めない宗教であり、救いはあくまで現実の地上の世界のものでなければならず、それは戒律と律法を厳守することによってしか得られない、したがって、敬虔なユダヤ教徒である限り、当時のイスラエルにおいて救いを得るのは絶望的であった。ところが、死後に行くことができる天国、神の国に救いがあるとなれば、この世にいて救いがないことは致命的ではないことになる。今は絶望でも、未来に救われる希望があるという「福音」をイエスは説いてくれるのであった。(中略)圧政に打ちひしがれた惨めな現実にかんじがらめになってもがいているユダヤの民衆に、イエスは、唯一の救いの道を示したのであった。
イエスは逮捕され、処刑されるが(中略)、イエスは理想化され、その信奉者は減らないどころか増えてゆく。ローマ帝国の支配下で、依然として、イエスが示した脱出口にしか絶望から脱出する希望がもてなかったからであろう。ここで、ローマに迎合するユダヤの支配層、富裕層は別においたとしても、ローマの支配に不服なユダヤの民衆それ自体が二つのグループにわかれてゆく。あくまでユダヤ教に忠実であり続け、ユダヤ民族の独立を守ろうとするグループと、現実にローマに反逆するのはあきらめ、幻想の世界(神の国、天国)に救いを求めようとするグループである。前者の中心となったのがいわゆるゼロータイ党で、彼らがユダヤ戦争を惹き起こす。彼らは、たとえ可能性はきわめて小さいにせよ、現実にローマの勢力をイスラエルから追い出すしかユダヤ民族が救われる道はないと考えた人たちであり、後者がのちにキリスト教徒となる人たちである。

私権時代の統合原理=力の序列原理では、支配する者と支配される者に分かれる。ここに原理的矛盾がある。誰しもが支配するのは好きでも、支配されるのは嫌である。従って、支配される者は心底から支配を認めているわけではない。こうして、面従腹背が必然的に発生する。
私権の強制圧力が強い時代でも、私権圧力が社会の隅々にまで浸透することはなく、圧力が働かない隙間の自由空間が存在する。自由空間では自我発の自己正当化・他者否定が蔓延ることになる。元々から面従腹背で腹の底から支配を認めていない上に、自己正当化と他者否定の温床空間では、都合の悪いことは隠蔽、誤魔化し、言い訳に終始する。これが私権体制の原理的矛盾・欠陥である。

このように私権体制は必然的に面従腹背⇒自己正当化と他者否定を発生させるが、とりわけ、掠奪闘争によって本源集団(原始共同体)が破壊され尽くした古代オリエント~ヨーロッパ世界では、その支配体制は面従腹背を至る所で内在させることになる。
ユダヤ教徒が弾圧・迫害されたのは、その選民意識ゆえに支配階級に対して「面従」しなかったためであろう。当然、それではユダヤ教は普遍化しないどころか追い詰められる一方なので、「内面と外面の使い分け=面従腹背」を正当化することによって、ヨーロッパ世界で普遍化していったのが、ユダヤ教の一分派であるキリスト教なのではないだろうか。
以降、キリスト教は「騙せば勝ち」を布教戦略として拡大に成功する。「カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へ」というイエスの言葉も、現実の武力支配権力へは面従腹背で、内面(信仰)は現実の権力への面従とは別の所に在るということを暗示している。この内面と外面の使い分け構造があったからこそ、内面の信仰対象であるキリスト教会が、外面世界の国家権力を凌ぐ共認権力と財力を確立することができたとも言える。
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